習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622079224

作品紹介・あらすじ

「インスピレーションを得るための公式や型紙は存在しない。だけど、それを得る自分なりの方法を発見するために辿るべきプロセスならある。」幼少時は『ボビー・フィッシャーを探して』に描かれたチェスの神童、長じて卓越した武術家となった著者が、チェスと武術に共通する高度な習得プロセスを例示しながら、トップ0.1%の競技者を目指す「超」能動的な学習法を手引きする。読む者に自らの未開拓の可能性を顧みさせる、NYTimesベストセラー。

感想・レビュー・書評

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  • チェスや太極拳を極めた著者がその習得過程を突き詰め、「極める」という事を考え抜いた本である。自己啓発本としても読めるが、学ぶ、体得するとは何かを考えさせられる。

    ー 決められた動きをスローモーションで、徹底的に純化させながら、何千回も繰り返してきたことで、僕の体はもはや直感的にそういう姿勢を取ることができるようになっていた。この種の学習体験はチェスでもよくあることだ。チェスのテクニックや原理、定石が自分の無意識と一体化するまで徹底的に学ぶ習慣がついていた。

    ー 正解を出すことと知能レベルには因果関係は無いことが示されている。難問を突きつけられた時、実体理論者で頭脳明晰な子供の方が、習得理論者でさほど賢くはないとされている子供よりも、はるかにもろく崩れてしまう傾向が強い。

    ー 騒音などの外部刺激に対して、いかに平常心を保つかと言う訓練。

    気になった箇所を書き出したが、特に最後の「平常心を保つ」という点は今の自分には強く刺さる考え方だ。外部刺激だけではなく、内発的な感情に対し、いかに動揺しないか。そうしたコントロールスキルも向上するという事だろうか。ならば、人間は機械のように冷静でドライな存在になってしまわないのか。感情が鈍磨する事と、感情を統制する事の違いを理解して身に付けられれば、悲しみからの立ち直りは早いだろうか。生物として、心が囚われて身体が危機に晒されるのは、望ましくない。平常心は防御機能として、意識して鍛えるべきだと再認識した。

  • チェスと太極拳で世界一になった著者の意識的学習法を紹介した本。
    思考が揺らぎ始めたら、少しの間だけすべてを忘れて回復させる。

  • チェスのトッププレーヤーでもありながら、太極拳の世界でもトップに登りつめた著者が、習得のための方法論を自身のエピソードを交えながら語っている本になっている。

    当然、トッププレーヤーの経験による方法論なので、難しいと感じるところもあったが、
    読んでいて、考えさせられるというか、真似していきたいと思わせてくれる内容だった。

    そもそも、能力や知識への考えとして、生まれつきや人によって得意不得意の決まっているものと考えるのでなく、誰でも少しずつ、身につけ、上達していけるというマインドセットは大切だと感じたし、
    ゾーンに入るための習慣づくりの方法論、特に、困難な状況でも、むしろそれを利用して高い集中を保てるように訓練していくということは、この本を読むまであまり考えなかった内容で、勉強になった。

    方法論としても、ドキュメンタリー的にもおもしろく読める良い本だった。

  • あころさん推薦

  • 気になる箇所を書き出していったら、膨大な量になったので、そんなメモたちの要約にあたるんじゃないかと思われる部分を記す。



    それがどんなに小さなものであれ、ある一つの技術を徹底的に磨き上げさえすれば、その感覚をクオリティの指標にすえて、磨く対象をさまざまな別のものに広げていけるところにある。よい感覚がどんなものが一度わかってしまえば、別の何かを追求する際にも、その感覚を得られるようになることを目標にすればいい。

    単純な日常のなかに価値を見いだすこと、平凡なものの中に深く潜って行き、そこに隠れている人生の豊かさを発見することが、幸運だけでなく成功も生み出すはずだと僕は強く信じている。



    具体的な練習メニューを書いてくれてる部分もあるし、チェスや太極拳の試合の攻防を詳細に描写している部分もある。

    著者は、とても努力する人で、繊細で、工夫を凝らして上昇していった人なのだとわかる。

    ハイレベルな話だけでなく、ハイレベルを極めると上のような、平凡な日常も発見の連続のようになるのだろう。

    この本を読むと、自分の日々の努力にはまだまだ努力が足りないと思えてくる。くさってるんじゃなくて、やる気を起こさせてくれる。



    訳者の言葉づかいで気になった箇所

    「ゆく」を多用。たまに「行く」。「行」の意味合いが強い時に使ってるのか、平仮名が多いから漢字にしただけなのか。

    私、個人的には「いく」が好きだけどなー。

  • でもそこには問題があった。映画が公開されてからというもの、どの大会に出場しても、サインを求めるファンの群れに囲まれた。僕はチェスの局面に神経を集中する代わりに、有名人としての自分のイメージに気を取られていた。そうなる前は、小さい頃からずっと、深く深くチェスに没頭するひとときを、難解さが幾重にも折り重なった深淵な層の中を泳ぎ回るひとときを、宝物のように大切にしてきた。そうやってチェス盤の前で何時間も過ごしてから立ち上がると、チェスだけでなく、大好きなバスケットボールや海や心理学や恋愛に対する洞察力までもが燃え上がる炎のように湧き出してくるのを感じることができた。

    小さいころから無茶をするのが大好きで、近所の建築現場から拾ってきた木材やブロック材の廃品で間に合わせの自転車ジャンプ・コースを作ったりもした。最初はヘルメットを被るのもこばんでいたが、ある華麗なツイスト・ジャンプを試みて顔面から着地したとき、母から、ヘッドギアを被って乗馬する母を見習わないのなら、これからは彼女も何も被らずに馬に乗ることにすると脅迫されてからは、しぶしぶヘルメットだけは被るようになった。

    懸命な努力が報われたのだから、バラの香りを嗅ぎたくなるのは当然だ。むしろ大切なのは、僕が思うに、バラは儚いからこそ美しいということを認識しておくだ。鼻から吸い込んでいるその瞬間にも、もうその香りは消えようとしている。深く息を吸い込んで勝利を十分に味わい、次に息を吐き出すときには、その瞬間で自分が学んだことに注意を向け、次の冒険へと進んでゆけばいい。

    チェスプレーヤーとして当時の僕が何よりも先に乗り越えなければならなかった第一の障害は、無作為に起こる予期せぬ出来事―誰もが日常的に悩まされる小さな地震のようなこと―があっても、気が散らないようになることだった。パフォーマンス向上のためのトレーニングとして僕が最初にやるべきことは、どんな出来事に出くわしても思考の流れを止めずにいられるようになることだ。それができるようになったら、今度は何が起きてもそれを逆にアドバンテージとして利用できるようにする。そして最終的には、地震に相当するものを自力で起こせるようになって自給自足を実現させ、外部からの刺激がなくてもインスピレーションの奔流を促すことのできる心理的プロセスを身につけるのだ。

    心の平静は、ワールドクラスのパフォーマーにとっておそらく最も重要な資質ではないかとされているものであり、また、コンスタントに養い続ける必要があるものだ。

    ミュージシャンも、役者も、運動選手も、哲学者も、科学者も、作家も、小さなミスから素晴らしい何かを創造できることを知っている。その一方で、絶対的な完璧さや過去の成功の再現といった儚い安心感に頼ろうとするパフォーマーには問題が起こりやすい。たった一つの小さなミスが、恐怖心や心離れや疑心や混乱の引き金となり、意思決定のプロセスを鈍らせてしまうのだ。
    こういう悪循環には十分気をつけろと、僕はあの素晴らしい生徒たちに何度も語った。試合中、危機的局面にあっても、心を今という瞬間に置いておけば、敗北の間際からでも勝利を導き出すことができるものだと語り、その方法も教えた。深呼吸を2、3回してみるとか、冷たい水で顔を洗ってみるだけで悪い心理状態からスッと抜け出せることもあれば、より過激な対処法が必要となることもある。僕はたまに、難解な戦いの最中に頭が鈍っていると感じたら、試合会場からいったん退出して外で50ヤードの短距離ダッシュをしていた。観客からは奇行に見えるかもしれないが、あれをやると悪い心理状態をすっきりと洗い流すことができるので、会場に戻ってきた僕は、確かに汗まみれかもしれないが、心をまったく新たな状態にリセットして盤面に臨むことができた。

    当時の僕がチェスで犯したミスのほとんどすべてが、大きな変化の直前か直後ばかりだった。たとえば、長期的な戦略プランで複雑な駒繰りを駆使しながらテンションを築いてゆくポジショナル・プレーをしていたのに、突然その意図に反して別の確固たる戦術が見えたとき、その新しいシナリオを自分の中に取り込むのに必要以上に時間がかかってしまう。または、とても戦略的に局面を作るようプレーしていたのに、そのゲームが突如としてずっと抽象的なエンドゲームへと変化したとき、本当なら一つ深呼吸をして気持ちを切り替えてから長期的なプランを考え直せばいいものを、それをせずに頭の中で手順を読み続けてしまう。他にも、対局開始前に用意しておいたオープニングの手順通りにプレーできても、それに続いて次にどちらの方向に進むべきかを決断するのが苦手だったし、また、戦いのペースが急激に変わると自分のペースを保つこともできなかった。チェスにおけるそういった僕の心理的問題点は、つまりは、それまでの形に拘泥してしまうことに帰結するものであり、それは僕が根深い所でホームシックの心理状態になっているからにほかならない。

    中国武術の教師の多くは、保守的な呼吸法を生徒に共用する傾向が強い。自らが信じてやまない特定の流派が編み出した最上無比の呼吸法を習得しなければ何も始まらないという盲信的な発想からだ。しかしウィリアム・チェンの呼吸に関する考え方は、呼吸は自然でなければならない、というだけの慎ましいものだ。これをもっと詳しく説明するなら、人は何年も忙しすぎる社会生活を送り、動き回り、ストレスを受け続けているため、呼吸にも悪い癖がついてしまうものだけれど、そうなってしまう以前の本来の自然な呼吸に回帰すべきだということ。これには僕も思い当たる節がありすぎた。
    ウィリアム・チェンの太極拳套路では、(外方向または上方向に)広がる動きをするときは、息を吸いながら行う。そうすることで身体と心が目覚め、エネルギーが形成される。この時の感覚について、彼は、好意を持っている人物と握手をしようと手を伸ばすとき、よい眠りから目覚めたとき、または、誰かの意見に賛成しようとするときなどを例にあげて説明している。大抵の場合、そういったポジティブな動きは、息を吸いながら行われるものなのだという。太極拳套路ではよくこれを「指先まで息を入れる」と表現する。そうやって息を入れた後で吐いてみると、ちょうど眠りに落ちる直前の最期のひと吐きのように、身体は緩み、エネルギーの電源が切られる。
    このおぼろげな感覚を体感してみよう。まず胸の前で掌を合わせる。その状態で左右のひとさしゆびを数インチ(約5~7センチ)ほど離し、肩をリラックスさせる。次にやさしく息を吸い入れながら、意識を両手の中指と人差し指と親指におく。息と意識の両方が指先までソフトに通るように心がける。この吸気はゆっくりと行い、酸素を優しく丹田(臍から6センチ強下のところ)に引き込み、次いでそのエネルギーを丹田から指先まで伝えてゆく。息を吸い終えたら、優しく息を吐く。指を緩め、頭の中は眠りに落ちようとするまま放置し、股関節をリラックスさせ、柔らかく静かな意識の中にすべてが落ちていくようにする。

    ある女学生が「五百単語で自分の暮らす町について書け」という課題にすっかり行き詰まる。彼女は一言も書くことができずにいた。この町はあまりに小さく、ありきたりで、こんな町のことを面白く書けるわけがない、というのだ。パイドロスは彼女をその行き詰まりから解放するため、課題の内容に少しだけ手を加えて補正する。この教室の外に建っているオペラハウスの正面について書くよう言ったのだ。そこはこの町のありきたりな通り沿いにある、ごく限られた区域だ。さらに、文章の出だしでは、必ず左上のレンガについて書き始めること。そう言われた女学生は、始めは疑心暗鬼の様子だったが、ほどなくすると創作熱に火がつき、すっかり執筆に夢中になる。

    トップになるために必要なのは、ミステリアスなテクニックなんかではなく、一連の基本技術とされているものだけを深く熟達させることだ。どんな分野でも深さは広さに勝る。

    ルークとビショップの組み合わせはルークとナイトの組み合わせより効果的だが、クイーンとナイトの組み合わせはクイーンとビショップの組み合わせよりもよく働きやすいというようなことがわかってくる。一つ一つのコマのパワーは純粋に関係の中で生まれるもので、ポーン構造や周囲の戦況といった可変的なものに大きく左右されることが理解される。そうなってからは、ナイトを見るときにも、そこから数マス離れたところにあるビショップとの関係性を重ね合わせて、そのポテンシャルを考えることになる。

    翌朝、僕はデイヴとレーヤーからストレス・アンド・リカヴァリーのコンセプトについて教わった。LGEの心理学者グループは、ほとんどすべての競技や分野において、一流のパフォーマーは、リカヴァリーするために何らかのルーティーンを行っているという特徴を発見している。とても重大な試合で生き残れる選手の大半は、プレーとプレーの間の短い隙間にリラックスdけいる選手なのだという。

    一貫した安定性のないパフォーマーの多くがこれと同じ問題を抱えている。彼らはパフォーマンス能力をピークに持っていくための刺激となる触媒を探して行き詰まり苦しんでいるのだ。これはまるで、モチベーションを高めてくれる都合のいいツールが宇宙のどこかにフワフワと浮かんでいて、じっと見つけられるのを待っているという発想だ。しかし僕が提案する方法は、これとは正反対で、自ら引き金を作ってしまうというものだ。僕はまずデニスに、日常生活の中で一番心静かに集中できるのはいつかという質問をした。彼は少し考えてから、十一歳の息子ジャックとキャッチボールをしているときだと答えた。息子と野球ボールを投げ合っていると至福の感覚が訪れ、世界にそれ以外の何も存在しないかのように思えるという。二人のキャッチボールはほとんど日課となっていて、どうやらジャックも父親と同じくらいこのひとときを楽しんでいるらしい。これは完璧だ。
    これまでいろいろなタイプの人たちを見てきたが、ほぼすべての人が自分をそういう心理状態にしてくれる活動を一つは持っているのに、当の本人は「こんなのは単なる息抜きにすぎない」と言って見過ごしている場合が多い。その息抜きがどれほど価値あるものになり得ることか、それに気づかないのはもったいないさすぎる!

    茨の道を歩くためには、その道をことごとく革で覆うか、サンダルを作るか、二つの方法がある。

    フランクと組んでトレーニングをし始めると、首を狙われたときに怒りがこみ上げる理由は、僕がそれを怖がっているからだということに気づいた。

    敵意に満ちた極寒のスタジアムで満員の敵チームのファンが失敗を望んで叫び声を上げている一世一代の見せ場と、練習グラウンドとでは、あまりに状況が違いすぎる。そういう状況でも仕事をやり遂げる唯一の方法は、現実をしっかりと認識してそこに集中し、ナーバスになった神経を利用するしかない。完全ではないことを受け入れる心の準備が必要なのだ。

    あの狭い子供部屋にいた少年の頃には、こんな闘いが自分を待ち受けていようとは夢にも思っていなかった。これらのページにつづられている日々を送りながら、僕の考えは進化し、いくつかの恋が終わり、新たな恋が始まり、世界選手権で負け、そして勝った。この29年の半生で何かを学び知ることができたのだとしたら、それは、大切な競技やアドベンチャーや偉大な愛というものは、いくら分析しても分析しきれないものだということだろう。唯一わかっているのは、きっと何かに驚かされることになるに違いないということだけ。

  • 凄すぎる。
    前半の習得術みたいな部分はどんな人が読んでも腑に落ちる点がある。細かい細かい部分まで削ぎ落として書かれた濃密な言葉だから伝わってくる。

    そして最後の決勝戦は圧巻でしかない。
    張り詰めた緊張感と観客の声援が聞こえてきそうなぐらい精密に情景が伝わってくる。

  • 『習得への情熱――チェスから武術へ――上達するための、僕の意識的学習法』
    原題:THE ART OF LEARNING: An Inner Journey to Optimal Performance
    著者:Josh Waitzkin(1976-)
    訳者:吉田俊太郎(1965-)

    【メモ】 
    ・将棋指し[アマチュア]の私にも、参考になる本でした。
    ・この書名。サブタイトル二つと捉えました。
    ・みすず書房の特集ページ 
     https://www.msz.co.jp/topics/07922/
    ・HONZ書評(冬木 糸一 2015年08月25日)
     http://honz.jp/articles/-/41738


    【書誌情報+内容紹介】
    四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/312頁
    定価:3,240円(本体3,000円)
    ISBN:978-4-622-07922-4 C0075
    2015年8月17日発行

     かつてチェスの“神童”と呼ばれ、長じて卓越した武術家(太極拳推手の世界選手権覇者にして、黒帯の柔術家)となった著者が、トップクラスの競技者になるためのart of learning(習得の技法)を語る。技能を倦まず開墾し続け、競技者としては千人に一人、あるいはそれ以上の領域を目指す、「超」能動的な学習術である。
    優れた競技者になるための内的技法は競技の種類によらず驚くほど共通していると著者は言う。「インスピレーションを得るための公式や型紙は存在しない。だけど、それを得る自分なりの方法を発見するために辿るべきプロセスならある」(第18章)という表現に象徴されるように、鍵となるプロセスを意識的に辿ることが、より高い集中力、より高いパフォーマンスレベルでの学習につながっていく。チェスを武術に、武術をチェスに翻訳できるこの著者ならではの離れ業を用いて、「数を忘れるための数」「より小さな円を描く」「引き金を構築する」といった上達の足掛かりとなるプロセスが、印象深く描出されている。
     著者が他ジャンルのトップアスリートやそのメンタル・トレーナーから授けられた洞察も、ここには注がれている。本書が提示する学びへの開かれたアプローチ、学ぶ喜びについての衒いのない、ひたむきな語りは、読む者に自らの可能性を顧みさせる力をもっている。
    https://www.msz.co.jp/book/detail/07922.html


    【目次】
    献辞 [i]
    目次 [iii-v]

    はじめに 002

    I 基礎
    第1章 無邪気に指していた頃 014
    第2章 勝利のための敗戦 026
    第3章 二種類のアプローチ 042
    第4章 ゲームを楽しむ 054
    第5章 ソフトゾーン――「自らを滅却せよ」 065
    第6章 悪循環 077
    第7章 心の声の変化 085
    第8章 荒馬を手なずける 096

    II マイ・セカンド・アート
    第9章 ビギナーズ・マインド 110
    第10章 負の投資 121
    第11章 より小さな円を描く 134
    第12章 逆境を利用する 144
    第13章 時間の流れを緩める 155
    第14章 神秘という幻影 170

    III すべてを一つにまとめる 
    第15章 今という瞬間に心をおくことのパワー 188
    第16章 ゾーンの探求 195
    第17章 引き金を構築する 209
    第18章 サンダルを作る 223
    第19章 すべてを一つにまとめる 242
    第20章 台湾 260

    あとがき [292-294]
    謝辞 [295-296]
    訳者あとがき(二〇一五年七月 吉田俊太郎) [297-301]
    著訳者略歴 [302]

  • チェスの神童と呼ばれ、太極推手の世界選手権覇者で黒帯の柔術家という変態的に習熟の達人である本書はあらゆる学習書を上回る力を持っている

    筆者は飛躍の為には基礎を注意深く積み重ねる事の大切さを解いている。勝つ事や正確に動くことに囚われていては成長は出来ない。まず最初に心がける事は「コンスタントに起こる心理的・技術的課題やミスを探す事だ(ビギナーズマインド)。時として相手のミスからも学べる。またピーク状態でパフォーマンス出来ない期間を許容する事は学習の過程で重要(負の投資)。

    基礎を積み重ね、無意識化した後それで終わりかというとそうではない。彼曰く凝縮させるプロセスが発生する。エッセンスの真髄を保ちながら小さくしていく。どんな分野でも深さは広さに勝り、ミクロからマクロを学ぶことしか出来ない(より小さく円を描くメソッド)。一つの技法について洞察を深めると往々にして別の事物への深い考察に結びつく。
    基礎を深く身につける事により創造性の閃きが生まれ、それを基礎とする事により進化させる事が出来る。

    時間を緩めるには無意識の力を使う。

    逆境を利用する→逆境はインスピレーションの源泉ともなりうる。今という場所に心をおく事の大切さを思いおこさせてくれる。怪我により今までおざなりがちになってる内的、抽象的、直感的トレーニングに目を向けるキッカケとなる。

    ストレス&リカバリー→リカバリーにかかる時間を意識的に調べる(そしてそれを凝縮する)

    ゾーンに入る為の「引き金を構築する」→意図的に準備する(イチローの朝カレーや準備に対する姿勢)

    「サンダルを履く」→ダーティープレーヤーに対する対処法。激情に流されず、逃げ出さずに自分の内面を観測する事によりインスピレーションの追求、鋭い集中力を生み出す(例 マイケルジョーダンやレジーミラーは野次や相手の選手の毒舌を集中の刺激に変えてしまう)

    発達心理学キャロル・ドゥエック博士は知能に対する解釈の違いで「実体理論者」と「増大理論者」に分かれるとしている。長い目でみて強いのは後者。

  • 勝負の世界に身を置くものにとって、最も示唆に富む書籍である。著者自身も学習理論を学んでいるからだろうか、凡庸で真新しくない研究の解説もある。しかし、それらの解説と彼自身の体験、理論が交わり、具体的にいかに上達し、勝負に勝つか、プラグマティックな方法論の展開される点が魅力である。子供時代に読んだ伝記が将来の職に影響を与えたという話も多いように、伝記には自己啓発的な効果も期待されるが、自らが勝負師であるか、何らかの世界で勝負師として生きたいと思うのであれば、本書は最適である。勝負の世界を生きる優れた方法論と、自己啓発的な効果とを兼ねる伝記は他に存在しない。

    <学習以前の心構え>
    努力すれば能力は漸次的に伸ばしていけるもの(増大理論)だと考える人ほど、実際に上達する(『「やればできる!」の研究』に詳しい)。この考えが根付いていると、困難は自らを成長させる機会であると、長期的な観点から捉えることができる。ジョッシュ自身も、「成功者のほとんどは、より高いところに目を向けてあらゆる戦いで危険を冒しているし、目先のトロフィーや栄光なんかよりも、頂点を目指す過程の中で学んだことの方がずっと意味があるということを知っている」と自らの経験を振り返る。ただ同時に、「傷ついている戦いの真っただ中で、こういった長い目で見た大局観を維持できるかどうか」は最大の難関であり、習得技法の核にあたるものであるとも語っている。

    <ふたつの集中>
    脆い集中と柔軟な集中がある。まず、リラックスとは対極にあるような多分な緊張を含む集中は「ハードゾーン」と呼ばれ、その神経をすり減らす心理状態は、外部要因によって簡単に崩れてしまうものである。しかし「ソフトゾーン」は、静かに深く集中しリラックスしつつも、精神的な活力が漲っている心理状態であり、その状態にあっては、どんな自体が起こっても、その心理状態のまま意識は流れ、ハードゾーンでは障害にしかならなかった外部要因を逆にインピレーションを喚起する素材として自らに取り入れることも可能になる。世間でいわれる「ゾーン」は後者で、アスリートにとっての理想的な心理状態である。

    <心の平静>
    心の平静は達人クラスの人間にとっては不可欠なものである。自らにとって不都合な事が起きれば、衝動(感情)が発生する。ジョッシュは、不都合な出来事とそれに伴う感情への対処法は、それら否定するのではなく、むしろアドバンテージとして利用することにあると語る。彼は、不快を感じたとき、それを避けるのではなく、その状況の中でいかに平安を見出すかを考えるようになったという。こうした鍛錬は日常的に行える。あえて騒音の只中で読書をするのも良いし、嫌な人間と積極的に関わるのも良いだろう。不快を、自らを成長させるものだと捉えなおすことは、良い精神状態を生み出すリフレーミングである。彼は本能的に、チャレンジが必要な困難を探し出そうとしているそうだ。呼吸するかのごとく、今の瞬間に心を留められるようにならねばならない。

    <澄んだ精神状態は勝利を呼ぶ>
    ジョッシュが少年少女にチェスのコーチをした際、彼らに教えたのは、重大なミスをしても澄んだ精神状態をすぐに取り戻し、「今」という瞬間に気持ちを据え続けることの大切さだったという。彼は2本の平行線で、時間と心のあり方をイメージで捉えているという。今に集中しているときは、時間と意識が同時並行で進んでいるため、刻々と変化する状況も捉えることができる。しかし、ミスをした際に、ミスをする以前の状態に拘っていると、心は過去に留まり、実際の状況との乖離が進む。時間と状況は進むが、心は過去に留まったままでは、状況を捉える能力は減退する。

    <負の投資>
    ジョッシュは、「心をオープンにした増大理論の学習アプローチをとり、ピーク状態でパフォーマンスできない期間を時に許容することが、学習の過程に絶対に必要である」と語っている。ベストを目指すためには、世間が理解を示すか示さないかに関わらず、この「負の投資」を自ら責任で背負うことが重要だそうだ。古い信念を作りかえるためにも、時には負け続けることが必要なのだ。彼は、この心構えで太極拳のレッスンを受け続け、自ら、そして他人のミスからも何かを学び取ろうと心がけた。そして数ヶ月も経つと、2、3年学んでいるという人を相手にしても渡り合えるようになったという。ミスを直視することの重要性は、『才能を伸ばすシンプルな本』でも書かれている。

    <より小さな円を描く>
    ある分野で秀でるためには、まず、基礎技術をシンプルな形で徹底的に覚えていく。それが無意識にまで浸透した段階で、それを応用分野に適用することで、無理なく着実に進歩し続けることができる。複雑な応用分野から着手すると、ミスをしないことばかりに気を取られ、進歩は難しくなる。達人級の人間は、徹底的に覚えた基礎技術(*応用技術も段階を経るごとに基礎技術になっていく)におけるエッセンスの真髄を保ちながらも、外形的にはそれを小さくしてゆくのではないかと、ジョッシュは語り、それを「より小さな円を描くメソッド」と呼ぶ。徹底的に覚えることで、その技術は無意識の段階に到達し、最終的には頭で考えるのではなく、感覚として捉えられる段階に達している。その感覚を維持しつつも、目に見える外形的な技術は限りなくそぎ落とすのである。小さな円を描くことで、同じように小さな円を描ける者以外には実際に何が起こっているのかを知られることがない、分解さえすれば基本的な原理に従っているにも関わらずだ。何かに熟達した者であれば、理屈としてはすぐに理解できるだろう。初級者は上級者がどういった原理原則に従ってプレイしているかは検討も付かないが、上級者からは、初級者が何を考えているのか、あるいは何も考えていないか全て筒抜けである。上級者を越えた達人級になるためには、基礎技術を徹底的に深く学び、ただの知識を無意識に、そして感覚にまで落とし込むことが必要だ。ジョッシュいわく、「どんな分野でも深さは広さに勝る」である。

    <チャンク化とその先>
    特定のパターンや原理についての情報を統合することをチャンク化・チャンキングという。彼はチャンク化と神経回路の開墾が物事の熟達に必要だと語る。神経回路の開墾とは、チャンク化のプロセスと、複数のチャンク間を行き来するナビシステムを作り上げる作業のことだという。基本原則から段階的に学習していき、十分チャンク化が為されたときに応用原則へと進んでいく。上位原則までそれを繰り返していくことで、上級者へと達する。上級者なだけのプレーヤーと偉大なプレーヤーの境界線は、心を今に留め、意識をリラックスさせ、無意識を活用できるかどうかにあるという。視野狭窄に陥るか、周辺視野をも活用できるかの違いである。チェスのグランドマスターとただのエキスパートでは、意識的にものを見ている量は、前者の比率がずっと少ないという。グランドマスターのチャンク化がより優秀であり、無意識で処理できる量が多く、少ない意識的思考で、多くの情報を取り扱えるということである。意識する必要のある要素が少ないのであり、グランドマスターとエキスパートでは、同じ時間単位の中で、扱える情報量が大きく異なる。

    <疲労をせずゾーンを保つ>
    「ストレス・アンド・リカバリー」というコンセプトがある。プレーによってストレスに晒された心身をリカバリーすることが重要なのはもちろん、一流のパフォーマーは、何らかのルーティーン(後述)を行っているという特徴があるというのだ。まず、ジョッシュはチェスの対局中、片時も気を抜くことなく熱を込めて集中することがないという発想を持てたことで楽になったという。自分の手番でないとき、相手の思考中も局面に集中することが当然と考えていたが、この概念を知って以降、頭の緊張を取るために機会を利用するようになる(席を立ち水を飲む、顔を洗いに行く)。席に戻れば、エネルギーは充填され、プレーのパフォーマンスも向上したらしい。思考が揺らぎ始めたと思えば、少しの間すべてを忘れて回復させ、フレッシュな状態で戻ってくるようにする。肉体のトレーニングもリカバリー能力の向上には効果がある。心肺機能をトレーニングすることで、精神的疲労からの回復に大きな効果があることがわかったのだ。

    <ルーティーン(引き金)の作り方>
    ルーティーンは自らをリラックスさせ、ゾーンに入るために有用なツールである。ジョッシュは自らをリラックスさせる引き金を探すのでなく、ルーティーンを作り、それを引き金にせよという。まず、リラックスできるものを用意する。例えばお気に入りの音楽を聴くなど。次に、4~5ステップからなるルーティーンを作る。例えば、1.顔を洗う 2.お茶を飲む 3.瞑想をする 4.お気に入りの音楽を聴く これを繰り返し、リラックスした精神状態と、ルーティーンとの間に生理学的な関連性を持たせる。完成すれば、あらゆる活動の合間に行うことで、リラックス状態を呼び起こすことが出来る。慣れてくればステップを緩和しても良い。上の例で言えばお茶をどんな飲み物でも良しとするとか、顔を洗うのを手を洗うでも良しとするとか。徐々に変化させることで最終的には大きな変革、短縮も可能である。

    <感情を利用する>
    感情を遮断したところで状況の解決にはならず、感情を利用することで有効な状況へと導かなければならない。感情の波がやってきたら逆らわずにたゆたうのは基本として、自分にとって良いパフォーマンスを生み出す感情を探し、それを引き金にすることをジョッシュは勧めている。怒りの感情が自分に向いているのであれば、嫌な状況、例えば相手からの盤外からの口撃などを引き金にし、感情を増幅させる。それでいて今の瞬間に心を留めるのだ。自らが怒っていること、そしてそれがパフォーマンスを向上させることを客観的に理解しつつ行うということだ。こうした引き金作りを彼は「サンダルを作る」と表現している。

    <上達法に関するまとめ>
    まず、複雑性を排除した局面を研究し、確固たる基礎的土台を作る。土台が完成したら複雑な状況へと適用させていく。ひとつの技術を徹底的に磨き上げれば、その感覚を指標に、さまざまな対象に応用することができる。ミクロを通してマクロを理解する原理である。土台があると閃きが起こる。閃きとは決して神が与えたものではなく、自ら作り上げたチャンク同士の関連、既存知識から生み出されたものであり、閃きと既存知識の間には必ず関連がある。閃きが起きた際の次の段階は、そこに確かに存在する閃きを生み出した技術的要素を見つけることである。

    その他メモ
    ・自分が優位に立てるかどうかは、闘いのトーンをコントロールできるかに懸かっている。
    ・体力を保つため、長いチェスの間には45分ごとにアーモンドを食べるのが良い。
    ・著者のプラトーに対する態度。『もちろん停滞期だってある。次の成長段階へと跳躍する準備として、必要な情報を取り込んで自分のものにする間は成績が横ばい状態になってしまうものだが、それはまるで気にならなかった。燃えるほどチェスに恋していたので、困難な時期も「やればできる」という態度で臨むことができた』

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ジョッシュ・ウェイツキンの作品

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