チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)

制作 : 上村 忠男(解説) 
  • みすず書房
4.12
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622083504

作品紹介・あらすじ

「では、なにがカオスを動かしているのか」「カオスはそれ自身で動くのです」異端審問記録ほか埋もれた資料を駆使しつつ民衆文化の深層にスリリングに迫った現代歴史学の名著。

感想・レビュー・書評

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  • 樺山紘一氏の『新・現代歴史学の名著』で紹介されていたなかで、一番気になったのが本書。歴史書とは思えないタイトルをみて、期待に胸が高鳴った。なにやらおもしろい気配がする。

    冒頭、筆者はこんな言葉を投げる。「ブレヒトの『労働者の読者』はずっと以前にすでに、『ギリシヤのあの七つの門をもつテーベの都市を建設したのはだれですか』と問うていた。歴史の資料はこれら名もない石工たちについてはなにも語っていない。けれども、この問は依然としてその重さを保ちつづけている」。

    筆者はその名もなき人々の姿を描くため、ドメニコ・スカンデッラという人物の足跡を追う。ドメニコ、あだ名はメノッキオ。粉挽で家計を支える一家の大黒柱、村での人望もそれなり、ちょっとお喋りなのがたまに傷。口は禍のもととはいったもので、異端的な思想を周囲に述べ広めようとした科で異端審問にかけられる。ときは16世紀、各地で対抗宗教改革が行なわれていた時代、異端審問の苛烈さは頂点に達しようとしていた。
    皮肉な話だが、メノッキオが異端審問にかけられ独特の思想を披露したがために、彼の名は今に残った。筆者がみつけなければ埋もれてしまうほど控えめにではあるが。

    筆者はメノッキオの裁判記録を紐解く。それはまるで探偵のような仕事ぶりである。わずかな手がかりから、彼が「脳味噌でこしらえた」という思想ーチーズからうじ虫がわくように天使が生まれるーがどのような歴史的意味をもつのかを検討していく。どの章も、一見とるにたらぬメノッキオの言葉から証拠をそろえ、16世紀の民衆文化を明らかにする。天晴れ、おもしろい。

    とくに印象に残った箇所について。「ルター派と再洗礼派」と題された章で、筆者はメノッキオと審問官の間で交わされたある特徴的な議論を挙げる。あるとき審問官がメノッキオに対して、「信仰義認」について説明を求めた。メノッキオがルター派に近い思想を持っているのではないかと睨んでの質問だった。いつもは高尚な議論も臆せず自分の意見を饒舌に述べるメノッキオが、このとき「信仰義認」という神学用語に頭をかしげてしまう。メノッキオの住むフリウリ地方にも宗教改革の話は届いていたし、メノッキオ自身が読んだと自称する書物のなかでも使われている言葉なのに、彼はなんのことだかさっぱりといった様子。教義論争がいかに市井の人々と遠かったのかを思い知らされる一瞬である。

    メノッキオの思想の根には、むしろ民間信仰がある。審問官がメノッキオのいうことを理解できないのは、それが正統でも異端でもない、キリスト教がこのときまで入りこめなかった土着の世界観だったからだ。だから審問官は未知への恐怖から、最後には「未ダ嘗テ知ラレザル種類ノ誤レル異端ノ説」としてメノッキオを断罪する。

    メノッキオをとおして、わたしたちはエリート文化と民衆文化の循環関係を見出す。まったく両者が乖離しているわけではなく、メノッキオのように数少ない文字を知る人もいて、本も買えたし、本の貸借りのネットワークも村内に少なからずあった。しかしあるとき、すなわちはメノッキオが異端に処せられた前後から、あやふやな境界線にはっきりとした区別(差別)が設けられ、民衆教化がはじまったのだ。

    『チーズとうじ虫』でこれほどまで話がふくらむとは。最後に、筆者が引用したE・P・トンプソンの言葉をここに紹介したい。曰く、「コンピュータによる大ざっぱで反復の多い印象主義、コンピュータはただひとつの再帰的な要因については反吐の出るほどくりかえすが、プログラムを組むことができない記録資料は完全に無視してしまう」。

    科学的な歴史も結構だが、歴史家が相手にしているのは不合理な人間であり、おごるなかれ、その人間は人智を軽く飛び越える宇宙に生きている。地道なデータ収集による統計が教えてくれることは多いが、わからないこともある。筆者のような変わり者が教えてくれることもあるだろう。

  • 読むというより、取り組むというような感じの本。
    いわゆる異端審問がテーマである。
    タイトルに込められた意味も読むことで徐々に理解できるようになってくる。
    膨大な史料・資料を丹念に調べ、まるで物語のように構築されていくのが凄い。
    難解だが、なんというかくせになるような感じで少しずつ読んでいる。

  • 1/3ほどしか知識と理解がついていなかなった。
    放送大学の歴史関係の授業で紹介されている本。

    歴史は有力者自身とその周辺しか語られていないが、これは名もなき民の歴史が異端審問の記録によって詳らかにされており、興味深いとのことだったので購入してみた。

    「粉挽き屋のメノッキオ」の生涯が裁判記録によって明かされているが、メノッキオ自身は、処女マリアは処女じゃないとか、キリストは人間だ、などと言って周辺を感化しようとしたか誰彼かまわず議論をふっかけていたところ、捕まっちゃった、みたいなカンジの書物。
    だけど、異端審問とか魔女裁判とかカソリックとルターの関係とかイタリアの歴史、経済や哲学的思考がわかってこないと読み切れないが、メノッキオの証言はかなり興味深い。

    十指に余るくらい少ない本を読むことしかできなかったメノッキオだがそれらを諳んじられるくらい読み込んで、周辺へ吹聴する。もう、言わずにはいてもたってもいられなくらい本(情報)へ熱狂、好奇心がおさえられず、科学的に真実を追求したい。誰かとその思想を分かち合いたい。その欲求は「薔薇の名前」で修道僧たちの書物に熱狂する姿に重なる。

    異端として拷問にかけられても自身が信ずることを言わずにはいられず、家族に疎まれ見捨てられても沈黙を守ることができなかった。命がかかっていてもだ。メノッキオの衝動や真実は何か。著者はメノッキオは逃亡もできたのに、誰かをかばって逃亡もせず沈黙を守ったと推測しているが、果たして?

    当時のイタリアのカソリック世界が民衆から吸い上げるために機能しているようで、なんだかわかるし、複雑な気分。

    メノッキオが言うようにキリストは人間。宗教も人が始めたものと感じる。

  • ミクロストリアの名著、なのだけど、恥ずかしながら実は読んだことがなかった。必要があってはじめて読んだ。メノッキオという男の読書記録を引きずり出してその発言と照らしあわせながら、彼の「世界像」を描き出していく様は非常にスリリングである。

    ただ、「解説」にもあったが、メノッキオが依拠していたという農民社会の伝統文化が何なのか、いまいちよくわからないという難点はどうしても感じてしまう。解説曰く「メノッキオをとっている立場があるひとつの口承文化に由来するというのはありうることだとしても、その伝承が太古来のものであるというのはありそうになく、立証もされていないという」(p.355)

    とはいえ、1人の名もなき人間の「思想」から、16世紀イタリア社会そのものを考えようとする〈構想力〉には、共感というか見習いたいと思った。というのも、歴史学の場合、どうしても特定の素材に依拠して「何か」を語らなければならないのだが、その「何か」とは、ある「社会」を描くべきだというふうに僕も考えているからである。逆にいえば、その「何か」が、単なる研究史の穴埋めであったり、非常に狭い視野のものだったりしないように、と思うのである。たぶん、これから歴史研究をする若い人が読むと、いっそう良いんじゃないだろうか。そういう力を秘めた一書である。

  • 宗教改革と対抗改革のなかにある16世紀末、異端審問官に対峙した粉挽屋メノッキオ。彼が裁判のなかで明かした自身の宗教観のなかに、改革側の諸教派の教義のみならず、彼が目にしていた書物に示されたユートピア論や、彼が常日頃接していたはずの農民社会のなかにその残響が受け継がれていと想定される古代社会の死生観を読み解く書。

    その解読作業の終幕では同時代にやはり異端審問により有罪とされた粉挽屋の例が示され、彼らの主張の産み出される契機と、その主張内容の多くの点における一致が、粉挽屋(や旅籠屋)という特殊な地位であるとか、当時の農村と都市とを渡り歩いた改革派伝道者の存在であるとか、あるいはまた彼らが著しまた翻訳した書物の流通であるとかの時代背景により説明されている。

    A.コルバンの『記録を残さなかった男の歴史』が諸種の史料と既存の地域史研究の成果とから無名の人間の一生を描き出したのと若干異なり、『チーズとうじ虫』はある粉挽屋の宗教裁判記録から、彼が生きた16世紀ヴェネチア公国の農村社会内外に展開されていたらしい思想のネットワークと堆積構造を再構築してみせている。

  • 少々難しい本だった。キリスト教、特に清教徒革命やルターについての知識を得てから再読すれば、より理解できるか。
    一番感じたのは、情報が溢れている現代と異なる、中世における情報の尊さ、更に言えば書物の価値の高さだ。一人の粉挽き屋が、十数冊の本からいかに情報を絞り出し、自分のものとしていったか、そこを追体験できたのは新鮮だった。

  • ベタな惹句ですが、推理小説を読むように、面白い。歴史探偵の著者が古書から、実在の、一粉挽屋が神をも冒涜しかねない、宇宙の摂理を、如何に手に入れ、どう立ち回っていったのか。

  • 16世紀のイタリア北部にいたメノッキオと呼ばれた粉挽き職人は、十数冊の本からキリスト教に対して独自の解釈を作り出し、異端審問にかけられ最終的に教皇の命により焚刑に処せられた。裁判の記録とメノッキオが残したいくつかの文書や書簡からメノッキオがどの本を読んだことが有り、その本のどの部分からどのような解釈を作り出したのか、丹念に詳らかにしている。

    様々な記録を読み解き、一人の人物の思考の痕跡をたどっていくのはとても興味深く面白いのだけれど、いかんせん内容が中世キリスト教神学にどっぷり浸かっているのでその辺の知識が薄いとピンとこない部分も多くかなり難しい。そういう知識が薄いのでその辺の理解が今ひとつではあったが、16世紀の庶民と教会牧師、異端審問官がどのような世界で知識を得て其れを理解しようとしていたのかがうっすらと見ることができた。

  • 『チーズとうじ虫――16世紀の一粉挽屋の世界像』
    原題:IL FORMAGGIO E I VERMI: Il cosmo di un mugnario del’500
    著者:カルロ・ギンズブルグ
    訳者:杉山光信
    解説:上村忠男

    【版元】
    四六変型判 タテ191mm×ヨコ130mm/368頁
    定価 4,104円(本体3,800円)
    ISBN 978-4-622-08350-4 C1322
    2012年6月8日発行

    1583年9月、イタリア東北部、当時はヴェネツィア共和国本土属領のフリウリ地方において、ひとりの粉挽屋が教皇庁により告訴された。名をドメニコ・スカンデッラといい、人びとからはメノッキオと呼ばれていた。職業柄、白のチョッキ、白のマント、白麻の帽子をいつも身に着け、そして裁判の席にあらわれるのもこの白ずくめの服装だった。
    「各人はその職業に従って働く。あるものは身体を動かし骨折って働き、あるものは馬鍬で耕す、そして私はといえば神を冒瀆するのが仕事だ」
    「私が考え信じるところでは、すべてはカオスである、すなわち土、空気、水、火のすべてが渾然一体となったものである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳からチーズができるように。そしてチーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ」
    かく語り、二度にわたる裁判を経て焚刑に処せられたメノッキオとは何者か。異端審問記録ほか埋もれた史料を駆使しつつ地方農民のミクロコスモスを復元、民衆文化の深層にスリリングに迫ったギンズブルグ史学の初期傑作。
    改版にあたり、解説「ずれを読み解く――ギンズブルグの方法について」(上村忠男)を付す。
    https://www.msz.co.jp/book/detail/08350.html


    【目次】
    はじめに/はじめに 注

    1 メノッキオ/2 村/3 最初の審問/4 「悪魔に憑かれている」?/5 コンコルディアからポルトグルアロへ/6 「高い地位にある方々に対して存分に語る」/7 古いものを残した社会/8 「かれらは貧しい人びとからむさぼりとる」/9 「ルター派」と再洗礼派/10 粉挽屋、絵師、道化/11 「これらの見解を、私は自分の脳味噌から引き出したのです」/12 書物/13 村の読者たち/14 印刷されたページと「空想的な見解」/15 行き止まり?/16 処女たちの神殿/17 聖母の葬儀/18 キリストの父/19 最後の審判の日/20 マンデヴィルの旅行記/21 ピグミーと人食い人種/22 「自然の神」/23 三つの指輪/24 書字の文化と口頭伝承の文化/25 カオス/26 対話/27 神話的なチーズ、現実のチーズ/28 知の独占/29 『聖書の略述記』/30 比喩の機能/31 「主人」「貨幣」「労働者」/32 ひとつの仮説/33 農民の宗教/34 魂/35 「わかりません」/36 ふたつの精神、七つの魂、四つの元素/37 ある観念の軌跡/38 矛盾/39 天国/40 ある新しい「生き方」/41 「司祭を殺すこと」/42 「新世界」/43 審問の終了/44 裁判官への手紙/45 修辞の綾/46 最初の判決/47 牢獄/48 故郷への帰還/49 告発/50 ユダヤ人との夜の対話/51 二度目の裁判/52 「空想」/53 「虚栄と夢想」/54 「偉大なる神よ、全能の崇高なる神よ」/55 「もし十五年前に死んでいたなら」/56 二度目の判決/57 拷問/58 スコリオ/59 ペレグリノ・バロニ/60 ふたりの粉挽屋/61 支配者の文化と従属階級の文化/62 ローマからの書簡/注

    訳者あとがき
    解説 上村忠男

  • 「チーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ」序盤著者はまず裁判記録をもとにメノッキオの発言を提示し、ついで彼の読書体験をはじめ痕跡をたどりその真意を徐々に明らかにしてゆく。その手並みは見事というほかない。語りはほとんどテクスト分析のそれである。それにしてもメノッキオの本の読み方は本当に魅力的である。
    研究者としてはギンズブルクのように、本読みとしてはメノッキオのようにテクストを読んでみたいものである。

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著者プロフィール

(Carlo Ginzburg)
歴史家。1939年、イタリアのトリーノに生まれる。ピサ高等師範学校専修課程修了。ボローニャ大学・近世史講座教授、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校教授を経て、ピサ高等師範学校教授。

「2022年 『恥のきずな 新しい文献学のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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