ル・コルビュジエから遠く離れて――日本の20世紀建築遺産

著者 :
  • みすず書房
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本棚登録 : 32
感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622085294

作品紹介・あらすじ

「鉄筋コンクリートや鉄骨という構造体と工業化された新しい材料を用いて、時間のなかで成熟する持続的な建築が実現できるのか。また、デザインという意識的な方法によって、生活のなかに溶けこんで地となるような建築を生みだすことができるのか。さらには普遍性と合理性を追求した結果、それまでの建築がもっていた地域性や風土性はどのようにして継承できるのか。モダニズム建築にはこのような新たな難問が立ちはだかったのである。(…)そしてそうした課題と真摯に向きあった日本のモダニズム建築を、私たちはそれとは気づかずにすでにいくつももちえてきた」

2016年7月、「ル・コルビュジエの建築作品」として世界遺産に登録された国立西洋美術館――その実施設計と監理は前川國男、坂倉準三、吉阪隆正による。戦後日本の近代建築は彼ら三人の弟子たちを中心に「ル・コルビュジエ派」によって推し進められてきたが、現在ほぼ半世紀前の建物群が「モダン・ムーヴメントの貴重な作品」と認定されつつも取り壊しの危機に晒されている。神奈川県立図書館・音楽堂、京都会館、大学セミナーハウス、戦没学徒記念若人の広場ほか代表作の生まれた歴史的背景や設計プロセスを新たに掘り起こし、保存・活用すべき「私たちの時代の建築」として提示する。
1955年、国立西洋美術館設計のために来日したル・コルビュジエの足跡を追ったドキュメントも収録。

感想・レビュー・書評

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  • 斜め読み。

    アントニン・レーモンドの作品集のために撮影された一枚の写真が印象的だった。
    レーモンドはフランク・ロイド・ライトに学び、帝国ホテル建築の際に来日し、
    そのまま日本でレーモンド事務所を開設した聖路加病院の設計者の一人。
    その写真には前川國男、吉村順三、ジョージ・ナカシマの若い建築家三人が、
    おさまっていた。

    その後、
    吉村順三はレーモンドに請われて渡米するが、
    1年で日本への最終船で帰国することになるし、
    日系人のナカシマは収容所に入れられ、
    レーモンドが身元引受人になり解放される。
    そのレーモンドも、焼夷弾の試験のために日本家屋を建てさせられたという
    話だった。

    あとは、国立西洋美術館を設計した、
    コルビュジェが来日した際の話が面白かった。
    著名な建築家たちがわらわらと空港に出迎えにいっている。
    銀座の高級クラブにいったり、
    歌舞伎や能を鑑賞したり、
    桂離宮や東大寺を見たり、
    富士山と京都の先斗町に関心を示したりと、大忙し。
    もちろん、
    美術館の敷地を何度も検分しているし、
    弟子たちの設計した国際文化会館や神奈川県立近代美術館も訪れている。
    桂離宮はお気に召さなかったらしいが、
    日本を楽しんでもらえたのだろうか。

  • ふむ

  • フランスの建築家ル・コルビュジエと彼の3人の弟子と言われている前川國男・坂倉順三・吉阪隆正を中心に、20世紀、特に戦後の日本の建築界をリードした複数の日本人建築家についての論考がまとめられている。

  • 2017/2/25

  •  2016年に、上野の国立西洋美術館を含むル・コルビュジエの建物群が世界遺産に登録された。日本で彼が直接手がけた建築物はこれ一件(しかも基本設計のみ)であるが、彼の弟子や孫弟子が日本の建築界に残した影響は大きい。さまざまなエピソードから彼らの足跡を追う。

     日本の近代建築の歴史を追う上で重要な出来事が目白押しであるが、直弟子の一人、前川國男が手がけた京都会館に関するエピソードが特に興味深い。
     本件は1957年のコンペにより設計者が決定されたのであるが、そのコンペの中で、前川は設計の意図を次のように説明した。
    「東山一帯に囲まれた平面的な岡崎公園と、その水平的な正確を象徴するがごとき疎水の流れ、それに既存の建物、公会堂、勧業館、美術館等の中層建物の高さなどを考え合わせる時、この場所に巨大なマッスの高層建物を置く事は、公園地帯全域に対して不均衡を来すものと思われる」
     また、京都会館について前川はこうも語っている。
    「終戦直後始めて京都を訪れた時の感慨を私は忘れることが出来ない。戦火を受けなかったということはこれ程スバラしい事であったかと、春の日差しを浴びながら無量の感慨を踏みしめて京の街をさまよい歩いた」
     前川は関東大震災と東京大空襲による、二度にわたる東京の焦土を目撃している。その彼の目に無傷の京都がどのように映っただろうか。
    「京都という伝統的な土地柄に、文化センターといった近代的な建物を、どんな形で建築すべきか。正直いってそんなにやさしい問題ではなかった。いうまでもなく京都は「今日」を生きなければならない、然し「今日」を生きるというのはいったいどんな事なのだろうか。総じて人間が「行きる」というのはどういう事なのだろうか。京都は伝統の町という、京都は美しい古都であるという。然しこの美しい京都も伝統の町も、かつて此の町を、かくも見事に作り上げ、かくも見事に行き抜いた京都の人達の「生けるしるしある」想像的な充実した生活を
    のぞいては、うつろな廃墟にすぎないだろう」
     このように前川はただならぬ思いと、それまでに得た知見と技術の粋をこの建物に捧げた。竣工した1960年には日本建築学界賞も受賞しているし、2003年には日本を代表する近代建築の一つとしてDOCOMOMO Japanによって百選にも選ばれた。
     しかし京都会館は竣工から50年、最低限のメンテナンスのみで維持され、大規模な改修などは一切行われなかった。そして1995年にはクラシック専用の京都コンサートホールが完成し、京都市交響楽団が本拠地を移す。
     ついに2011年、京都市が第一ホールを取り壊して改築するという計画を発表するのである。

     こうした有名建築物が取り壊されるとなると、どこからともなく反対の人々が沸いてくるのであるが、その主張というのは曖昧で予算の裏付けもない、単に気に入らない市長のイメージダウンに使ってやろうという政治活動的なにおいを感じることが多い。
     たしかに貴重な文化であるし、残せるものなら残したほうがいいのかもしれない。しかしメンテナンスを怠り、現代の耐震基準に満たないものを使い続けることはこんにちの常識では許されないし、前川自身が言うように「今日」は「今日を生きる人」のものである。古い建物を壊し、新しい建物を建てる、それ自体は自然な新陳代謝でもある。
     そもそも役所がこうした発表をする時点で、物事は大体決まっているのである。それでも残したいというのであれば、いささか無理な注文かもしれないが、やはり普段からもっと念入りにメンテナンスするよう主張しておくべきだし、その費用というものをしっかりと捻出しなければならなかった。
     廃線と同じで、それが決まってから騒ぐのではなく、決まる前に残すように動き出さなければならないのである。

     新しい京都会館は、2016年に「ロームシアター京都」と名を変えて生まれ変わった。次の50年(あるいは100年)を、この建物はどのように過ごすのだろうか。

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著者プロフィール

松隈洋(まつくま・ひろし)

建築家。1957年生まれ。1980年、京都大学工学部建築学科卒業後、前川國男建築設計事務所に入所。2008年より京都工芸繊維大学教授。工学博士(東京大学)。 DOCOMOMO japan代表、文化庁国立近現代建築資料館運営委員。著書『ルイス・カーン――構築への意志』(丸善1997)『近代建築を記憶する』(建築資料研究社2005)『坂倉準三とはだれか』(王国社2011)『残すべき建築――モダニズム建築は何を求めたのか』(誠文堂新光社2013)、編著『前川國男 現代との対話』(六耀社2006)、共著『建築から都市を、都市から建築を考える』(岩波書店2015)ほか。

「2021年 『建築家・坂倉準三「輝く都市」をめざして』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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