タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

  • みすず書房
3.84
  • (39)
  • (57)
  • (57)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 1290
感想 : 88
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622087571

作品紹介・あらすじ

■ 進化は「まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」。一つはヒトや鳥類を含む脊索動物、そしてもう一つがタコやコウイカを含む頭足類だ。練達のダイバーでもある著者によれば、「頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、異世界の知的生命体に出会うことに最も近い体験だろう」。私たちとはまったく異なる心/内面/知性と呼ぶべきものを、彼らはもっている。本書は頭足類の心と私たちの心の本性を合わせ鏡で覗き込む本だ。
■ 海で生まれた単細胞生物から、現生のタコやイカへの進化の道筋を一歩ずつたどれば、そこには神経系の発達や、感覚‐行動ループの起源、「主観的経験」の起源があり、それは主体的に感じる能力や意識の覚醒につながっている。「タコになったらどんな気分か」という問題の中には、そもそも心とは何か、物理的な身体とどう関係するのかを解き明かす手がかりが詰まっている。
■ 知能の高さゆえのお茶目な行動や、急速な老化と死の謎など、知れば知るほど頭足類の生態はファンタスティック。さらに著者が通う「オクトポリス」(タコが集住する場所)では、タコたちが社会性の片鱗を示しはじめているという。味わい深く、驚きに満ちた一冊。

【海外レビューより】
エキサイティング、ドラマティック、鮮烈で、目から鱗。あっと驚くような見方やスリリングな可能性に満ちている。……すべてのナチュラリスト、すべてのダイバー、そして人間以外の生物がどんな「経験」をしているかに思いをめぐらせたことのあるすべての人の思考を刺激して、愉しませてくれる本。つまりは、誰もがこの本を読んでほしい──それによって、この地球と海を私たちと共有する他の動物と、もっと複雑で相互に思いやりのある関係を結びたいという気持ちを誰もがもつように。
──サイ・モンゴメリー(『愛しのオクトパス』著者)

本書の哲学は海の岩礁の上、砂の中で始まり、じわりじわりと上方へ、高度な抽象概念へと這い上がっていく。こんなふうにボトムアップで哲学ができるとは。哲学はいつもこうあるべきだ。
──チャールズ・フォスター、『リテラリー・レビュー』誌

38億年前の単細胞生物に始まり、頭足類の意識の覚醒と発達へと至る壮大な旅路をたどる本。
──ダミアン・ホイットワース、『タイムズ』誌(ロンドン)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 驚いたことにタコやイカは色の識別ができないらしいのだ。どうしてあんなに周囲に合わせて色を変えて擬態したり、威嚇のために体の色を変えるのだろう。
    なんと、目による知覚で脳が指示するのではなく、皮膚細胞そのものが、周囲の色を感知して自律的に変化しているらしい。
    これは“多くの動物では、脳と身体が明確に分かれるが、タコはその区別とは関係のない世界に生きている”ということの1つの証左なのだろう。

    かといって、これはタコが感覚刺激だけで行動する、考えない動物だということではない。タコはじっくり目で見て観察してタコ同士や人間同士を区別できるし、食べられないものを使って遊ぶこともできる。
    タコがあまりにも賢いため、つい擬人化したくなるが、タコは人や猫やカラスの親戚ではない。
    なにせ、身体の中でどこからどこまでが脳なのかそもそも正確に定義できない、人を含む脊椎動物とは認知の仕組みが大きく異なる生き物なのだ。

    筆者は生物学と神経心理学の面でタコを追求し、ダイバーとしてタコを愛する。しかし、哲学者たる筆者の面目躍如と感じるのは、ホワイトノイズから意識へと題された4章と、ヒトの心と他の動物の心の6章である。

    極単純な進化的に初期の動物の中では、主観的経験はホワイトノイズに近いものだった。とりあえず常にざーと言う音が聞こえている状態に例えられる。その中で、痛みや快感といった根源的な感情、すぐに何かの反応を必要とするような感情が最初に生まれたのだろう。
    これは既に主観的経験を獲得しているといえる。

    主観的経験とは、「自分の存在を自分で感じること」という意味だ。別にヒトの特権ではない。
    例えば、電気信号を発する魚は、主観的経験による認知がなければ、自分が発してている電気信号なのか、誰かが発した電気信号なのかの違いがわからない。つまり多くの動物たちは、主観的経験を備えているのだ。そうするとどの段階で、私たち人間が持っているような『意識』に近いものが生まれたというのが次の問いだ。
    その道筋は1つではないだろう。ホワイトノイズから単純な形態の主観的経験、そして意識へと至る道は、進化の試みの中でいくつもあるはずだ。
    帯びにも書かれた『進化はまったく違う経路で、心を少なくともニ度作った』ということ。

    ではヒトの心と動物の心の違いを考えていくと、様々なレベルの意識が動物に備わっている中で、人間は高次思考ができる。
    簡単にまとめると、「自分の思考についての思考」だ。
    例えば、“なぜ自分は今、これほど機嫌が悪いのか”ということを人は考える

    高次思考を行うためには、内なる声(インナースピーチ)が必要だ。言語は、コミュニケーションのための唯一の手段ではないのは事実だ。実際単純な言語手段しか持たない動物が複雑なコミニュケーションをとっている例はいくらでも見つかる。
    しかし高次思考をするためには内なる声が必要であり、内なる声を獲得するためには言語化が必要である。ここが恐らくヒトの心に生じた特異性なのだろう。

    私たちは自分に向かって何かを問いかけることも多いし、自分に向かって説明や忠告をすることも多い。これは心に浮かんでは消える意味のないたわごとではない。
    私たちの内面では絶え間なくおしゃべりが続く。そのおしゃべりから逃れるためには、瞑想の必要を感じるぐらいだ。
    ここではちょっと苦笑する。

    寿命を進化論で論じた章や、まだ見知らぬ海で起きている進化の壮大な実験など、読みどころが多くて学びの多い一冊であった。

  • タコやイカは知性が高いと言われている。進化樹の中でははるか昔に枝分かれした人類とタコであるが、異なる進化の中で神経系をそれぞれで発達させているのが興味深い。人間は脳で集中制御しているのをタコでは腕部にも脳のような機能があるなど、違いはあるもののタコにはタコの心があるようだ。また、もし異星人が存在するのであれば、独自進化した異星人の心を知るためにもタコの心を研究するのは有意義だ。まずはタコになった気分を考えるというのは面白い思考実験になりそう。こんなことを考えられるのも人間の特権のようなのだけど。何冊か類書を読んだうえで、この本にたどり着いたが、読みやすくて分かりやすい。

  • スキューバをしながらオクトポリスというホタテの貝殻に敷き詰められたタコ達の住処や生態を眺め、哲学や生物学の授業を受けているようだ。タコを擬人化してその知性を探りながら、読書中、私自身の意識は海底にある。ダンゴムシに心があると言われれば、それはこじ付けだと感想を述べながら、タコに知性があると言われれば、それなら分かる気がすると興奮しながら一気読み。また面白い本に出会えた。

    カンブリア爆発と呼ぶ生物多様性を生む時期より前、エディアカラ紀にも多様な動物がいた事がわかってきた。6億年前だ。カンブリア爆発は、生物同士の関係性、被食者と捕食者の競争により激化したと考えられる。攻撃や防御の手段、海中を泳ぐ進化を遂げ、その樹形図を辿りタコは生まれた。

    タコのニューロン数は5億と人間の1000億より少ないが、犬にかなり近い。頭が良い。ビンの蓋を開けたり、巣穴を記憶できる。カラスのように遊んだり、仲間同士で戯れるような仕草も見える。人間の顔を区別する事もあるらしい。しかし、タコの寿命は1から2年。知性の機構を持つ必要があるのか。こういう話の展開は面白い。

    著者は哲学者らしく、その切り口でも知性を探る。ダニエル・カールマンはシステム2思考(人間が意識的に行う速度の遅い思考の事)、システム1思考(習慣や直感に頼る高速思考)を分類したが、そもそも心の声、言語無く思考が可能かという点まで論が及ぶ。人間の失語症患者にも心はある事を例示し、必ずしも言語は必要条件にならぬ事を説明。

    知覚と運動、思考を司る脳を持ちながら、思考の果てにも自我は見抜けず、何のために生きるのかという主客転倒な哲学を時々考える。1年や2年でその命を終えるタコからすれば哲学など無意味か。無邪気な好奇心を8つの腕に託すその生き様に、考えさせられる。

  • タコが可愛い。これからは食べにくくなる。タコを始めとする頭足類だけでなく、生物の進化、特に神経系の進化についてが興味深い。あと寿命に関する部分も目から鱗。

  • 科学史、科学哲学という分野。概念的な哲学ではなく、科学からスタートする意識の探索は、ある意味分かりやすくて面白い。タコを中心に頭足類の観察からの考察だ。
    他の無脊椎動物と比べても、頭足類の神経系の規模は異常に大きく、短期記憶と長期記憶に明確な区別があり、目新しいものや、食べることはできずすぐに役立つわけではないものに興味を示し、コウイカにはREM睡眠らしきものがあるなど、人間の知性との類似点も見られるのだそうだ。

    「身体化された認知」というのは面白い。脳だけではなく、身体も賢さの一部を担っていて、周囲の環境がどうなっているか、それにどう対処すべきかという情報は、実は身体にも記憶されていると考える。例えば手足の関節のつくりは、歩行などの行動を自然に生むようになっている。適切な身体をもっていれば、正しく歩くための情報のかなりの部分がそこに記憶されている、と。

    頭足類のコミュニケーションを考察しながら、いったい何のためにこの信号(色が変わったりすること)を発しているのか?理由があるはず、と著者は考えるが、受け手となる相手がいなくても、なんだかつぶやいているような…という未だ解明されていない部分が神秘的で、素人にも面白い。

    この本の原題は、”Other minds”. マインドという言葉を心、知性ととらえると、その境目はあいまいだ。著者のいう「主観的経験」、~になった気分、という考え方は面白かった。生きものの寿命も、持っている特徴も、すべてを「進化」というものさしの中で測る。ゴールも方向もない、試行錯誤を繰り返す生きものたちの中に人間もある。こうやって相対的に捉えて傲慢にならないことが、今の人間にとって一番大事なのかもしれない。

  • 現時点における進化の最終形態は人間だと思いますか?
    立派な神経系をもっているのは人間だけだと思っていますか?

    いえいえ、人間でなく哺乳類でもなく、脊椎動物でもない、頭足類「タコ」の神経系のなんと密なこと!

    タコが好奇心旺盛であること。いたずら好きで好き嫌いもあって、自分を研究する気に入らない研究者には容赦なく水をぶっかけたりすること。闖入者である自分の手を引いて海底散歩をしたことなど。
    微笑ましいエピソードと進化ツリーの話が交互に語られています。
    タコとの触れ合いに関してはとても興味深くて、カンブリア紀以前からすでに進化を着々と進めていたことなど、「へーーーー!」とワクワクしながら読みました。
    まー、半分くらいは退屈なところがあったのですが、タコやらイカやらの話が面白くて読み切りました!
    生物として驕っていたなと反省、考えを修正しました。

  • 動物のなかで「知性」が発達しているのは、人間を含む哺乳類、鳥類などいわゆる脊椎動物だと思っていたら、軟体動物のタコやイカが実はかなり高い「知性」をもっているらしいという本。

    たとえば、タコを研究で飼育していると、人間の個別の違いを区分しているみたいで、「嫌い」な研究者には、水槽から水をかけたりするらしい。あと「好奇心」があるみたいで、直接、食べたり、生存にはかかわらないことでも、なにか新しいものがあると、それがなんなのか知りたくなっちゃうらしい。

    なぜ、そんなことになっているのだろうか、進化論とか、観察と実験、他の動物との比較などを通じて、探求していく。

    ちなみに著者は科学者ではなくて、哲学者。

    人間とは全く異なる「心」が存在することをしることで、人間の心をより理解しようというところにゴールはある。

    といっても、そんなに哲学的にはならなくて、基本、一般むけの科学書として書かれていて、読みやすい。

  • 生物哲学・科学哲学界の雄にしてインテリジェント・デザイン批判の急先鋒の手による、タコを題材とした「意識の起源」論。意外にも著者の邦訳は本書が初と見える。著者はダーウィン的進化の過程そのものが複数の経路の競争により選別されたものであること、即ちダーウィン的な自然淘汰の産物であることを示す「ダーウィン的空間」の提唱で知られる。本書も直線的でなく複線的に、単発的でなく多発的に進化を捉えるアプローチのもと考察が進められる。曰く「進化が心を二度作った」と。

    ダイビングを趣味とする著者はタコを観察するうち、彼らに「心がある」との抜き難い印象を抱く。そしてその「心」を「主観的経験(自分の存在を自分で感じること)」と一旦定義した上で、いかにそれが生じたかを生物史学的な観点から考察して行く。

    この「主観的経験」の本書での語用は、通常「意識」という言葉でカバーされるよりはやや広義の概念を指しているようだ。高度な記憶機構をもつ人間のような高等生物が現れる前から動物に備わっており、「意識」では捕捉されない無意識の領域も含む、ある種の「気分」のようなものと説明されている。この「主観的経験」は、エディアカラ・カンブリア紀の生物群の相互影響に関する考察から、身体外部に起因するなんらかの変調(e.g. 痛み、快楽)に対する反応の結果生じたものと著者はみる。だとすればその経路を単路に限定する必然性は見出し難く、少なくとも脊椎、節足そして軟体動物それぞれに一度以上ずつ生じたのが現在の生物界の姿であるはず、と主張するのだ。

    この「主観的経験」の発生メカニズムを考察する第6章が面白い。カンブリア紀以降、自分の内部における情報コミュニケーションと、自分と外部とのそれを区別する必要が生じた。そこで「自分用のメモ」として機能する「遠心性コピー(意図した行動を脳内に保持しておき実際の行動と照合する)」が用意され、これを利用することで自分の知覚と行動を媒介する受容と生成のフィードバックシステム「再求心性ループ」が形成される。これが無数に集まって複雑な意識の主体が形成されているというのが著者の主張だ。この点、タコは大規模な神経系や複雑な身体構造を持っており、豊かな主観的経験を蓄積する主体としての資格を十分有する、ということなのだろう。

    本題と関連性の薄いエセー的な記述も多く、必ずしも意識論にのみフォーカスした本とは言い難いかもしれないが、逆に例えばタコの死を描写する箇所など、時折顔を出す叙情的な記述が良いアクセントとなっていると思う。また巻末の訳者あとがきも一読を。「タコ様生物」と「通常単数で用いられる単語の複数形」から、H.G.ウェルズの「宇宙戦争」を連想する訳者の発想力に驚かされる。

  • サルに心があるとか、カラスに高度な知能があるとかいう話を聞くと、それなりに感心はするけれど、ものすごく驚くというほどではない。彼らはヒトと近縁で、脳の構造もヒトと似ている。サルに心があるとしたら、おそらく私たちヒトの心と似たようなもので、同じ起源をもっているものだろうと想像できる。
    だが、タコに心(らしきもの)があり、ヒトと心を通わせることができるとなると話は別だ。ヒトとタコは進化の歴史上、約6億年前に袂を分かったとされる。その頃の動物はやっと原始的な目を持ち始めたという程度で、単純な体をしており、神経細胞は一応持っていたらしいが脳はなかった。ヒトとタコの共通祖先に心はまだ無かったのだ。だから、タコに心があるとすれば、それはヒトの心とは異なる起源を持ち、別個に生じたということになる。「進化はまったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」のだ。

    ヒトの心は進化の副産物に過ぎないという考え方があるという。大きな脳と複雑な神経系、それによって可能となる洗練された行動や高度な知能こそが主産物であって、心はそれに付随して生じた偶然の産物だというのだ。
    だが、もしタコに心があるならどうだろう?歴史も環境も身体の構造も共有していない2つの生き物が、心と呼ぶべき類似した精神活動を共におこなっているとしたら?それは、心というものが偶然の産物などではなく、進化の歴史の中で必然的に生まれたものだということの傍証になるのではないか。そんな想像を掻き立てられる。


    本書ではまず、タコが心を持っていると思わせるような行動をとることが紹介される。また、ヒトとタコが進化上かけ離れた存在であることを示し、全く異なる生き物である両者が「心を通わせる」ことができる不思議さについて触れている。そして、その後の数章では、生物の進化の歴史を数億年の単位で遡り、心の起源について探っていく。
    ヒトとタコは何もかも違うと言って良いほど違っている。たとえばタコは原口動物で、ヒトは新口動物だ、というレベルで違う。神経系について言えば、タコにも脳と呼べる構造はあるが、脳とそれ以外の神経系にヒトほど明確な境界線はない。また、驚くべきことに、消化管が脳の中を突き抜けるような体の構造をしているという。しかも、「中央集権的」なヒトの脳と異なり、タコは脳よりもむしろ8本の腕に神経が多く分布しているらしい。
    進化について述べられている章では、この分野における著者の造詣の深さに驚嘆させられる。著者の専門は哲学というからびっくりだ。進化生物学者だと言われても違和感がない。最近の論文も引用されており、その分野が現在進行形で研究されていることが良く分かる。ただ、この進化に関する数章は、ヒトとタコの心の違いを考えるという本書の主題からはやや脱線する部分もある。もし退屈に感じたら、最後の2章を先に読んでもいいかもしれない。この2章に、タコの持つ心の不思議さが凝縮されていると思うからだ。
    第7章「圧縮された経験」では、なんとタコの寿命がわずか2年ほどだということが説明される。それだけの期間で心を発達させることができるのも興味深いが、それ以前の問題として、そもそもそのような短い寿命の生物で心や知能が進化しうるのか、という問題がある。複雑な神経系は、経験や学習を蓄積させるほど能力を発揮できるので、基本的に寿命が長いほど価値を持つ。一方で、脳が大食いの器官と評されるように、神経は「維持費」が多くかかる。2年という短い期間では、複雑な神経系は、メリットよりもコストの方が大きくなってしまうように思われる。それにもかかわらず、なぜこれほどの高度な神経が進化したのか。
    最後の章「オクトポリス」では、頭足類の心について、より詳細に触れられている。タコとイカは頭足類に分類される近縁の動物だが、それぞれの高い知能が独立に進化した可能性があるという。また、頭足類にもエピソード様記憶という、ヒトと同様の記憶の能力があるという。心は、進化の歴史の中で、二度どころかもっと多くの回数生まれた可能性があるのだ。全く異なる起源をもち、異なる構造をしているにも関わらず、似た心や知能を持つに至ったのであれば、それは心にも収斂進化が起こっていると言ってもよいのではないか。
    最後の訳者あとがきも素晴らしい。本書の原題はOther Mindsだが、これがMind"s"と複数形になっていることの意味について書かれている。

    タコという不思議な動物についてよく知ることができるだけでなく、タコを通して私たちヒトの心について考えることができる本。面白かった。進化や、私たちの心がどこから来るのか、ということについて興味のある人は楽しめるのではないかなと思います。

  • まず本書はタコメインではあるが同じくらいジャイアント·カルトフィッシュが良く出てくるので頭足類を主軸と捉えても良さそう。
    哲学者が書く、思考や知覚に焦点を当てた進化論の本でもあるし、タコなどの頭足類という不思議な生き物たちへの愛を綴る本でもある。
    本当にタコという生き物は面白い。あれだけ大きな目があるのに色覚は無さそうだし、色を変えるのは必ずしも擬態だけではないし、足は味覚だけではなく、個々でも動く、まるでタコの身体は指揮者のいるジャズバンドのようなものであったり。
    心、本書では知覚·思考をすることを指すと思われるが、その進化を語るときは哲学的になるものだとは思う。数値化が難しく、感覚的に語るものになりがちだから仕方ないことだが、この手のものは生物学者が書くよりも哲学者が書くほうがこの点はわかりやすいかもしれないなと本書を読んで感じていた。

    あと学者の方でもない限り、今後の人生で一番ジャイアント·カルトフィッシュという単語に目を通すことになる。

全88件中 1 - 10件を表示

ピーター・ゴドフリー=スミスの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×