問いからはじめる社会運動論 (有斐閣ストゥディア)

  • 有斐閣
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784641150775

作品紹介・あらすじ

気候サミットと世界中で呼応した若者のデモは記憶に新しい。社会運動が近年あらためて注目をあつめるものの,研究するにはどのような方法があるだろうか。本書では実際の研究足跡を追いつつ,いかにして社会運動に接近し,理解していくべきかを説明する。

感想・レビュー・書評

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  • 知りたい情報が載っていて、私にとって完全にあたりだった。
    自らの研究をどう進めたかを覗き込めるなんて有益すぎる…。

    P.4
    海外(少なくとも北米やヨーロッパ、ラテンアメリカなど)の大学・大学院では社会運動論に関する授業はよくなされています。社会運動論の教科書も数多く出版されています。アメリカやフランスでは高校で社会学を学びますが(日本では「公民」「現代社会」などの授業しかありませんが)、高校生向けの社会学教科書にも「社会運動」が出てきますし、大学で読む社会学の教科書には「社会運動論」が当然のごとく含まれています。

    P.9
    私が学部・大学院生のころ、日本における社会運動論の主流は、資源動員と呼ばれる理論でした。1970年代からアメリカでかなり力を持つようになった理論で、もともとは不満や構造の変化と社会運動の発生・発展・衰退との間に、動員のプロセス(中心的な運動グループがいろいろな資源=資金や人材を戦略的に収集・活用するプロセス)を挟むことで、より説得力のある説明を目指すアプローチとして登場してきました。
    当時、資源動員論のライバルとされていたのが、「新しい社会運動」論と呼ばれるものでした。その言葉は、環境運動や女性運動を、労働運動に代わる「新しい社会運動
    」として捉える(あるいは捉えてよいか自体を検討する)ようなヨーロッパの研究者たちの研究全般をざっくりと指していました。
    ①社会運動の意義や意味に関する研究の一例として「新しい社会運動」論があり、また②社会運動をめぐる因果関係に関する研究の一例として資源動員論がある、ということが見えてきたのでした。

    P.40
    調査を始めて非常に戸惑ってしまったことの一つの要因として、私が想定した参加者イメージが間違っていたことがあげられると思います。私は当初、男女共同参画に反対する運動団体に参加している人というのは、皆熱心な”活動家”のような人だと思っていました。調査協力者は全員、A会の会長さんに紹介してもらった人たちですが、今から振り返れば会長さんの人選はとても良かったのだと思います。つまり、バックラッシュを狙っている人というのは先の分析で扱った生地のように男女共同参画に対して理路整然とした主張を持っている人たちばかりではなく、むしろそうした自分の意見を論理的に提示できる人というのは限られた一部の人で、その背後には男女参画のことはよくわからないけれども、反対している人の意見には「なんとなく」賛同できるという人がたくさんいたのです。そして、そういった人の大半は女性であり、まさしく私の問題関心からして話を聞かなければならない人だったのです。

    P.45
    保守運動のように、政治的な指向が強い団体を調査研究する上で私が常に気をつけていることは、自分の「価値判断」が分析や考察、あるいは文章のレベルで潜り込まないように注意を払っていることです。
    「価値判断」とは、マックス・ウェーバーが『社会科学と社会政策に関わる認識の「客観性」』という本の中で提唱した概念です。私たちは様々な物事について、良い/悪い、好き/嫌いといった評価を知らず知らずのうちに下しがちです。ウェーバーはそういった主観的な評価を「価値判断」とし、社会科学が科学たりうるためには、「価値判断」という認識と、事実をありのままに見つめる「事実判断が異なるものであることを理解することが重要であると主張しました。

    P.57
    問いを狭めるには、通常二つの方法があります。一つは、研究テーマに関する先行研究や関連文献を多く読んで整理し、自分なりの仮説を構築し、その仮説を検証するために適切な方法でデータを集めて、分析し、結果を提示する、仮説検証型の研究です。本書はすべての章が第1節「研究のきっかけ」、第2節「事例の紹介」、第3節「何が知りたいか」、第4節「データとその集め方」、第5節「分析の仕方」、第6節「課題や限界点、注意点、悩み」という構成をとっています。この構成で言えば、仮説検証型の研究は、実際の研究プロセスでも1と2⇒3⇒4⇒5⇒6と順番に辿ります。
    もう一つの方法が探索型研究です。この方法では、まず調査をはじめ、並行して関連文献も読み、自分がぶつかったものから「何が意味のある問いか」を少しずつ探っていきます。本書の構成に照らせば、1と2がおそらく最初にあり、4⇒3⇒4⇒5⇒4⇒5…というように、常に調査に戻りながら、問と分析を洗練させていきます。
    ただし実際の研究は、仮説検証型と探索型にハッキリ色分けできるのもではなく、多かれ少なかれ両者の要素が混ざっています。それでも、自分はどちらのタイプの研究をしているのかを意識することによって、今何をすべきかを明確にできるでしょう。

    P.63
    福岡さんから「東大闘争について知りたいならば、参加した人の人生全体を聞きとらないと」と助言を受け、私は「そういうものか」くらいの気持ちで、生活史の聞き取りを選びました。この言葉の意味をちゃんと理解できたのは聞き取りを重ねた後でした。過去の社会運動について当事者の生活史を聞き取ることには、2つの意味があるようでした。
    1つ目は研究者にとっての意味です。アメリカの社会学者C・ライト・ミルズは、社会学特有の考え方や発送方法を「社会学的想像力」と呼び、社会学的想像力は「歴史と個人史とを、さらには社会のなかでの両者の関りを洞察する」と述べています。「個人と歴史、そして社会における両者の交差という問題に立ち戻ることなくして、社会をめぐる研究はその知的冒険を全うすることはできない」ともミルズは書いています。生活史では、一人の人が人生の中で経験する大小さまざまな出来事を直接聞き取ることによって理解することができます。まさにこの社会学的想像力を磨くことができる調査方法と言えます。
    生活史を聞き取るもう一つの意味は、当事者にとってのものでした。東大闘争に参加したのは、当時大学一年生から大学院生まで、その多くが10代後半から20代までの若者でした。一部の元参加者は東大闘争の経験や問題意識を出発点として、1970年代以降現在に至るまで、他の社会運動に関わったり、職業人や地域で暮らす生活者としておかしいと感じたことには声を挙げる姿勢を貫いていたりしました。こうした元参加者にとって東大闘争とは、その後の人生をどう歩んだ窯で説明せざるには、語り切れるものではなかったのです。

    P.68
    同時に、戦後史を勉強し、東大闘争参加者が生きた時代に起きた国外の社会的・政治的事件や社会運動をまとめた年表を作成しました。最終的に、「1940年から1975年までの社会情勢・社会運動・学生運動をまとめた年表」「1968年から1975年までの東大闘争の経過と社会情勢を詳しくまとめた年表」「1969年から1969年までの海外の社会運動と学生運動をまとめた年表」という、3種類の年表が出来上がりました。
    環境社会学者の船橋晴俊は、環境問題や公害を念頭に「詳細な年表の作成は、実証的な事実把握を支援する技法」であり、「そこから問題に対する包括的視野に基づく理解が生まれ」ると、調査研究の手法として年表作成を推奨しています。

    P.71
    予示と戦略とは、耳慣れない言葉かもしれませんが、予示的政治とは、遠い理想や目標を設定せずに、運動のなかの実践や仲間との関係性の作り方を工夫し、「いま、ここでじぶんたちがやっていること」をとおして自分たちが望ましいと考える社会の姿をあらかじめ示すことを目指す社会運動の在り方を指します。そこでは、目的に向けた合理的かつ効率的な行為よりも、参加者皆が尊重する議論を通じて決められた行為が重視されます。
    これに対し戦略的政治は、国家の体制や法律、経済といった大きなレベルでの変化を重視し、最終的な大目標に向けて、段階的に中目標や小目標を達成していくことを目指します。このとき、一つひとつの社会運動や抗議活動は大目標達成のための手段として位置づけられており、このような戦略的思考に戦略的政治の特徴があります。また、社会体制に影響を及ぼすためには、明確な指示系統と大人数のメンバーを備えた組織をつくることも必要だと考えられます。

    P.80
    自分も歴史的な社会運動の調査研究をしてみたいと感じた人に向けて、研究の注意点について触れておきたいと思います。まず、自分が事例として選んだ社会運動について、現在流通している評価に過度に引きずられないように気を付けてください。うっかりすると、現在を生きる私たちの視点から、過去の社会運動の営みを一方的に評価したり裁断を下したりしてしまうことに繋がります。
    また、大正事例にまつわる象徴的な事件や極端な特徴を念頭に置いて調査や分析を行うことにも、注意が必要です。東大闘争で有名なのは、学生間や学生と機動隊のあいだの「暴力」的なぶつかり合いです。しかし、約2年間にわたる東大闘争では、それ以外の地味な場面も多くありました。
    これらの注意点は、予備知識や先入観を一度脇において、自分にとってのデーターそれが文書資料から得られるのであれ、聞き取り調査から得られるのであれーに向かうことによって、ある程度は自分の視点が偏ることを回避できます。ぜひ、社会運動の歴史を私たちに教えてくれる「生もの」に会いに出かけてください。

    P.86
    「社会運動研究者」とみなされるようになってきますと、不思議なことに、指導教員や釜ヶ崎の先輩方が私に紹介してくださる研究者や文献もまた、「社会運動」に関連するものになっていくのですね。たとえば、アラン・トゥレーヌというフランスの社会学者。社会の大きな変化を社旗運動と結び付けて分析する大規模な調査研究で世界的に知られる社会運動研究者ですが、釜ヶ崎の先輩方は、「濱西君と関心がよく似ているよ」と言って、紹介してくださりました。

    P.90
    もう少し広い観点に立てば、先進国と途上国では、政治的な面、軍事的な面で力関係が大きく異なりますから、自由で対等な経済交渉などほぼできません。ですから、結局、途上国は先進国側にとって都合の良い形で競争させられ、一方的に変化を強いられることになりがちです。もちろん経済・産業的な力自体にも圧倒的な差がありますので、商品やサービスの質の競争では途上国は先進国になかなか勝てません。その結果、自国の産業が壊滅してしまうことも良くあります。であれば、WTOが求める関税引き下げは、結局、先進国と途上国の間にもとからあった力の差をさらに広げることにしか寄与しないように見えるわけです。それゆえ途上国の人々やその支援ニア関わる国際協力NGOは、WTOを批判したのでした。
    また先進国のなかでも、グローバル化の「負の側面」は、労働組合や人権・環境保護団体から批判されていました。それゆえ関税の引き下げをとにかく推し進めようとするWTOの活動は、「負の側面」をさらに拡大し、問題を世界中に一層広げ、みんなをますます不幸にするだけだと見なされたわけです。
    このようにしてWTOは、途上国の人々や国際NGOからだけでなく、先進国の労働組合や人権・環境保護団体からも批判を受けたのでした。

    P.119
    労働組合の大きさは「組織率」で測ることができます。日本の労働組合の組織率は、2018年現在で17%です。これは100人の労働者のうち17人の意見しか反映されないことを意味します。ではなぜ組織率が低くなってしまうのでしょうか。これにはいくつかの要因が考えられます。日本では、労働組合というと、その多くが企業内/企業別労働組合を指しており、企業単位で組合員が組織されています。企業別労働組合は長らく「正社員・男性・日本人」労働者中心の組織を進めてきましたが、雇用の流動化、多様化、グローバル化により、非正規雇用者、女性、外国人など新しいタイプの労働者が増えてきました。しかし、これまでの労働組合ではこうした労働者たちを組織する体制になっておらず、そうしたことも原因で組織率が低下しているわけです。
    また、組織率が低迷するのに伴い、労働組合の社会的/政治的/経済的機能も低下していることが指摘されています。学生に抗議の中で労働組合のイメージを聞くと、「古いもの」「なんかこわい」「よくわからない」「自分たちには関係ない」といった声が返ってくることがあります。

    P.132
    以上の失敗例も踏まえると、質問紙調査は「何かを知りたいから試しにやってみよう!」という姿勢ではなく、質的調査から得られたデータを基に立てた仮説を論証するために実施することが重要です。仮説検証型の手法を意識して調査票を設計することを強くお勧めします。

    P.149
    1980年代後半には、日本でもチェルノブイリ原発事故を受けて一時的に原発反対運動が盛り上がったものの、それは次第に沈静化していきました。その後、私が学生だった1990年代後半~2000年代初めにかけては、日本における社会運動のトレンドが講義型から提言/協働型へと移り、異議申し立てよりも市民活動・ボランティア活動などが盛んになった時期でもありました。提言/協働型であっても社会運動には変わりはありませんし、市民活動・ボランティア活動も広義には社会運動に含まれるわけですが、私自身、デモや集会を実際に街中で目にする機会も、テレビや新聞での報道を通じて目にすることもほとんどなくなっていました。今になって振り返ると、1990年代後半~2000年代初めの日本でも、局地的には住民による原発反対運動が展開されており(芦浜原発運動反対など)、単に私のリサーチ不足でもあったわけですが、修士時代の私は、日本のものとは大きく異なって見えるドイツの反対運動の規模の大きさや断続性や成果に魅了されたのでした。

    P.157
    集合行為フレームとは、アーヴィング・ゴフマンのフレーム概念を援用した考え方です。ゴフマンのフレーム概念が、「個人にその生活空間や社会のなかで起こった諸現象を位置づけ、知覚し、識別し、ラベル付けすることを可能にする解釈図式」と定義される個人の認知枠組みであるのに対し、これを集団レベルでの認知枠組みへと展開させたデイビッド・スノーらは、社会運動組織が提示する争点や運動目標や戦略に関する解釈枠組みとして集合行為フレームという用語を採用しました。かみ砕いていえば、社会運動組織は「誰による、何をめぐる、どのような運動なのか」を動員の対象となる人々に提示します。提示された集合フレームを受けて、その運動は自らが参加するにふさわしい運動であると認識した人が運動に参加する、というのが集合行為フレーム概念を用いた分析の基本的な考え方です。この考え方に基づけば、運動組織側にとっては、ときに集合行為フレームの調整や変換を行いつつ、いかに効果的な集合行為フレームを人々に提示できるかが、動員のカギとなります。(この時のフレームの提示や調整や変換のことを、フレーミングと言います)
    ですから、集合行為フレームに関して分析を行う場合、見るべき点は大きく二つあります。社会運動組織による集合行為フレーム提示や調整や変換について(フレーミング)と、その集合行為フレームが人々によっていかに受容されるかの2点です。このうち前者については、社会運動組織が人々に向かって発したメッセージを分析することで示すことができます。具体的には、社会運動組織が作成したポスターやニューズレターやビラや意見広告や、イベントなどでどのようなスローガンがもちいられどのようなスピーチがなされたのかなどが、分析対象です。これに対して後者、すなわちフレーミングの受容については、社会運動組織が提示した集合行為フレームを人々がいかに受け止めたのか、どの点に共感したのか/しなかったのか、どの点を持って自らが参加するにふさわしい運動であるとか、問題解決のための手段としてふさわしい運動であると判断したのかといった点が分析の焦点となります。具体的には、生きとり調査の結果などから、人々が状況をいかに解釈したのかや、その解釈の背景にある集合的アイデンティティや「文化的基盤」をあきらかにするという作業を行います。

    P.172
    私が対象とした事例は1980年代に展開されたものであり、それゆえ生じる問題がありました。現時点から過去を振り返って語ってもらうことによって生じる問題です。反対運動が"勝利"に終わってから15年以上たってからの聞き取り調査では、勝つか負けるか分からない状況だった当時に人々が抱いていた、刻々と変わったり揺れ動いたりしていた運動への評価や意味づけを捉えることは困難です。語り手は、現在から過去を振り返ったとき、過去を再編成し、現在から見たときに首尾一貫するように語りを編集する可能性があるためです。
    この難点を乗り越えるために、私が地元の投書欄を用い当時の声を拾うよう試みたことは、先に述べたとおりです。それによって、当時の、住民による反対運動への表かも明らかにできました。ただし、この方法を用いてもなお課題が残ることは否めません。というのも、投書欄を用いる場合、"声が大きい人"の声のみを拾ってしまう恐れがあるためです。新聞に投書するのは、確固とした自分の意見を有し、それを表明したいと強く思っている人です。そうした人々の背後には、そうではない人々、すなわち様々な理由から自分の意見を表明しに行く人々が存在します。そのような表には出てきにくい"声"をいかに拾うのかは、私にとって依然、課題として残っています。解決策の一つとしては、「運動はいかに語られるか」といって、運動の記憶の警鐘をめぐる問いへと「問い」をずらすことも可能であると考えています。

    P.181
    私はビデオカメラで動画を撮影しながら、友人のイタリア人研究者と一緒に、道いっぱいに広がったデモの周りを歩いていました。その最中は、いったい自分がどこを歩いているのかよくわかりませんでした。でも終わってから、後で落ち着いてデモ行進の流れをマッピングしてみると、自分がどこをどう歩いていたのかよく分かったのです。
    図示をすると、なぜこういうデモルートなのだろう、なぜここで集まって、ここで解散したのだろう、なぜここで方向転換しているのだろう、といった疑問が湧いてきます。それぞれの地域住民はどう反応していたのだろう、警察はどう配属されていたのだろう。
    またそもそもデモ参加者はいったいどこからやってきたのだろう、途中でデモを離れる人はどこで離れて、また新たにどこで人々は参加してきたのだろう、警察と衝突した後で人々はどこに行ったのだろう、拍手や声援はどこでどういうタイミングでなされているのだろう、と色々考えてしまうのでした。
    ニュース報道では、「デモがありました」「抗議の集会がなされました」で終わってしまいます。しかしそこにはいろいろなものがいっぱい詰まっているように思えてくるのでした。
    このように抗議行動は非常に流動的で、調査がとても難しく、世界的に見ても抗議行動それ自体の研究はほとんど進められてきませんでした。社会学だけでなく、政治地理学、政治学、法学、人類学、歴史学など、他の人文社会科学に置いても状況は同じです。
    社会運動と言えば抗議行動、抗議行動こそ運動の「現場」ではないかという見方もあり得ると思ったのです。むしろ世界中の社会運動研究者が組織戦略に目を向けている中で、かなり違うことをするチャンスかもしれないと思ったのです。
    第一歩としては、抗議行動をしっかりと観察して、その全体像を把握して、その動きを確実にフォローすることが大事です。どんな社会現象でも、まずはそれをしっかりと観察し、データを集めることから、研究は始まるからです。その作業が不十分であれば、そのうえにどれだけ複雑で高度な分析をしても、ほとんど意味はなくなってしまいます。しっかりと抗議行動を記述し、色々な事例を比較検討していけば、抗議行動の成功・失敗のメカニズムも見えてくるかもしれません。

    P.193
    まず「デモ行進」と「集会」を区別しつつ、抗議行動を記述します。
    クラーク・マクファイルによれば、屋内外の集会やデモ行進は「政治的デモンストレーション」の一種とされます。「政治的デモンストレーション」は、「ギャザリング=集まり」の一種で、特に何かに対する抗議か賛意を示すものを指します。
    そして政治的デモンストレーションは、外形的に「マーチ」「ラリー」「ヴィジル」「ピケ」「市民的不服従」の5形態に分けられます。
    日本でいうところの「デモ行進」を指す「マーチ」は、2名以上の隣り合う人々が同じ速さで同じ方向へ移動することであり、また日本でいう「抗議集会」に近い「ラリー」は、大多数の参加者が一人以上の話し手・演者の周りに座るか立つかして弧や輪になるものを指すとされます。

    P.213
    exercise
    1その場で考えられる問題:テレビで、デモ行進や集会が報道されるとき、どういった場面が多いか考えてみよう
    2調べたり読んだりしないと分からない問題:googleで「デモ、地図」で画像検索をしてみよう。「demo, map」で海外の画像を検索しても良い
    3調べたり読んだりしないと分からない問題:「日本全国デモ情報」「IWJ全国デモ・抗議行動情報」などのサイトで身近に発生するデモ行進や集会を探してみよう。チャンスがあれば、自分で実際に抗議行動を観察してみよう

  • 東2法経図・6F開架:309A/H25t//K

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