ヒトかサルかと問われても: 歩く文化人類学者半生記

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  • 読売新聞社
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784643981155

感想・レビュー・書評

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  • 学者さんの半世紀なんだけど、個性的な人なので面白かった。1960年代にアフリカに行った話は、今の時代に日本人が行くのと違って興味深かった。

  • 天才とナントカは紙一重を地でいくひと。自由だなぁ。
    ストイックな放蕩者と称えたい。

    明晰な妄想。

  • 西江先生の名前を初めて聞いたのが、いつだったのかは思い出せない。ただ初めて「生・西江」を見たときのことはよく覚えている。東京三鷹の文鳥舎。すでに早稲田は退職されていたと思うのだが、年に数回、トークライブをされていた。どこかの名誉教授がやる無料の講演会ではない。数千円支払うオーディエンスを定期的に集客することにまず驚いた。単なる海外土産話ではない。毎回多彩なテーマで、言語学とはなにか、宗教学とは何か、芸術学とは何か…ということを、平易な言葉で掘り下げるのである。西江先生はフィールドワークを専門にしている研究者で、ノートとペンとカメラだけをもって、村に飛び込んで、彼らと一緒に生活をしながら、その集団がどのような文化をもっていて、どのような言葉を話しているのか調べ上げてしまう。また、西江先生は「ちょっと変った人」でもあった。いつも同じ服を着ているな、と思ったら、着替えを二枚しか持っていないのだ…とか、年に一二度しかお風呂に入らないのだ…とか、催眠術がつかえる…とか、アフリカの砂漠を歩いて単独横断した…とか、幼少期、家では食事をせずに、近所で「狩り」をして暮らしていた…とか。この本はそんな西江先生の半生記。先生は、残念ながら昨年お亡くなりになった。

    目次
    どこから来てどこへ行くのやら
    焼け野原に鐘が鳴る
    野良猫になった少年
    小さな出会い、大きな出会い
    猫少年、オリンピックをめざす
    驚異の“二重時間割”編み出す
    芸術論は新宿飲み屋街で
    シュールレアリスムの女たち
    たくましき夜の芸術家
    アフリカ大陸縦断隊結成される〔ほか〕

  • 努力と行きずりという違いを除いて
    西江さんが選ぶ人生や考え方は私と生き写しのように思える
    生まれ付き社会性にうとく
    成長するいしたがって社会性という唯物的な考え方に
    体験から理解した具体性が加わり
    自ら後ろ向きになって描いているオママゴトの安全地帯に
    取り憑かれて真面目に自作自演しているという
    狂言のような他人ごとの滑稽さを感じてならない

    逆に自分を客観的に見すぎて
    虚無的ですらあると感じることさえあるが
    カガミを通して全てが相対関係にあるこの世の有り様を見ると
    常に動いている相手との距離感を如何に素早く
    計り取り続けられるかということが
    満たされた人生をつくるコツだと思うし
    全てを調和の関係で踊らせて幸福な関係をつくりながら
    相乗効果を発揮させて集合意識を成長させることを
    可能にしてする様にも思えてくるのだ

    人間もそろそろ蓄えた形式という硬い縦社会の唯物体験を抱えて
    自在で対等な自然界の懐に戻ってもいい頃ではないだろうか
    この硬いものとシナヤカなものが手をつなぐ時に起こる
    飛躍的な相乗効果を死ぬ前に実感として見てみたいものだと思う

    彼曰く
    正義とか平和を政治業者の言う政策から考え起こすことが苦手だ
    信じがたいものばかりなので議論することすら興味を持てない
    サルトルの実存主義に追従しているわけではないが
    社会の中の個人というテーマの重なることが多い
    抵抗から超越に更に実存に至るリチャード・ライトを
    卒論の題材にした

    人に出会い助けられることで命をつなぐ
    他人なしに人生を生きられないが
    しかしたった一人で過ごす砂漠で恐ろしいのは人間の気配だ
    頼れるのも恐れの対象であるのも人間だ
    そんな中で東京での環境が途方もなく巨大な生け簀suに見えてくる
    補償とその代償として目に見えな飼い主に弄ばれている


    彼と違い私にはこの続きを発見したいという意欲がある
    それは所詮唯物的縄張りでしかない組織優先の社会は
    大なり小なり生け簀でしかないと言う体験を経て
    その知性による分離を乗り越え
    より確かな意識による共生関係を見つけ出すということである
    大自然による生命に課せられた永遠に課題が
    この心満たされる冒険と発見で見えてくる喜びであるような
    気がしてならない

  • 著者の西江氏の30代ぐらいまでの人生のログ、という感じの本なので、ここから何かを学ぼうというのはちょっと難しい。あえて言うなら、すごくさらっとしれっと書かれてるけど、やっぱり言葉を学び、習得するにあたっては、それなりの覚悟と時間、そして何より言葉に対する興味が必要なんだな、といったところでしょうか。
    逆に、お金とセンスはあんまり必要なさそうだし、横着できる近道もなさそうだというのが何となくわかるので、その辺で凡人たる自分としてはちょっと安心できたりもする。著者が、「外国語を身につけることは、限りない財産を手にすることだ」と言っている理由は、終盤にいくにつれて理解できるようになります。

    個人的には、冒頭の出生に関する部分で一気に引き込まれました。以下、ハマった部分の抜粋。

    「わたしは前日二十二日の夜中から生まれはじめ、二十三日に母体から完全に抜け出したという話を聞いたことがある。そうなれば、上半身は天秤で下半身は蠍である。われながらやったぞと思う。順序が逆でなくて良かったと思う。頭が蠍で下半身が天秤では男として格好が悪い。」

    こんなこと、フツー考えつくか?

  • やっぱり、語学にはある程度の努力が必要なんですね。さらっと書いてあるけど。

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著者プロフィール

1937年東京生まれ。言語学・文化人類学専攻。現在、早稲田大学文学部教授。卓抜した語学の才能に恵まれ、言語調査のフィールドは世界各地に及んでいる。フィールドでは、たんに調査するのではなく、人びとの暮らしぶりに等身大のまなざしで接する経験は多くの優れたエッセイに結実している。『花のある遠景』や『異郷の景色』『東京のラクダ』などはその代表作であり、ほかに『人かサルかと問われても』という半生記がある。

「1999年 『風に運ばれた道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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