レーナ― "I Hadn't Meant to Tell You This" YA文学館・翻訳シリーズ 2
- 理論社 (1998年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (178ページ)
- / ISBN・EAN: 9784652071663
感想・レビュー・書評
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白人の女の子レーナと黒人の女の子マリーの友情のはなし。
アメリカの人種差別の歴史が根強く息づく社会で、二人の女の子はであった。マリーの住む高級黒人コミュニティに超してきたレーナはプアホワイトとされる、社会的地位のひくい家庭の子。
そして、レーナが家族の秘密をうちあけて・・・
アメリカ社会の既成概念をとりはらってかかれた話。児童書だけれど、オバマ大統領就任をきっかけに、アメリカの格差社会や人種差別の歴史を子どもの視点で生々しく感じ取ることができる。
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裕福な黒人の少女と裕福ではない白人の少女の友情の物語。物語においてはこの逆パターンが非常に多い(白人は裕福、黒人は貧乏)ので、珍しい設定。差別がはびこる本作の中で友情を育んでいく少女たちの姿はまぶしい。結末もどこか清々しい。
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原題 I hadn't mean to tell you this
by Jaqueline Woodson 1994
マリー 黒人の女の子7
レーナ 白人の女の子
ディオン(レーナの妹)
オハイオ州チャンシー ホッキング川
ある日、マリーのママはパパとマリーの残し、家を出て世界中あちこち旅にでてしまった。
パパはしかたがないことだったというばかり。
パパは大学の先生
ママからは時折、はがきがとどく。
短い文章をそえた。
ある新学期にレーナが転入してきた
汚い洋服の白人
なんとなく仲良くなる
共通しているのは、ママがいないこと
レーナのママは亡くなったのだ
そしれママがなくなってからレーナのパパはレーナに触れるようになる
つまり実父による性的虐待のお話で
それを人種の違う二人の女の子の境遇にのせて書いている。
P141それでもその写真の中の少女たちは、どちらもこの世界を信頼していないが、どちらも何とか切り抜けていこうと決意している~それが二人の面構えにあらわれていた。
ジミー・ヘンドリックス「パープル・アイズ」
だれかが空にキスしようとしてる
人)Audore Lordeオードレ・ロード
「がん日記」
<参考>
Audore Lordeのセッションにでる。オードレ・ロード(1934-1992)は、カリビアン・アメリカン作家、詩人、公民権運動の活動家、フェミニスト、レズビアンなどとして知られる。父親はバルバドス出身だが、オードレはニューヨークで育つ。子ども時代は母から西インド諸島の民話を聞き、かなり早い時期から読み書きも学んだ。1960年代は公民権運動が盛んになる時代で、こうした中で彼女は詩を書き、朗読する機会が多く会った。
私自身もオードレの詩に啓発されることが多かった。オードレはバーバラ・スミスらと女性の出版社「キッチン・テーブル」を始めた。私がはじめてキッチン・テーブルに本を注文したとき、バーバラ・スミス直筆のお礼のメッセージが届いてびっくりしたことがあった。
ロードは長年乳がんで苦しみ、のちには肝臓がんにかかり、10年近く闘病生活がつづくが、彼女はそうした事実を冷静にうけとめ、病気と闘いながら生きていたことが多くの女性たちを励ますことにもなっていた。
今回のセッションでは、ロードがドイツでどのように活動していたかというドキュメンタリー映画が紹介された。私はロードとドイツの関わりをしらなかったので、とても学ぶことが多かった。
彼女のつとめる大学の交換プログラムに関わり、ドイツを訪ねる機会が度々あった。そこでロードはドイツにいるアフロードイツ人の自己のアイデンティティの確立に大きな影響を与えた。ドイツで育ったアフリカ系ドイツ人は、いつも「ミュラト」と呼ばれ、「混血児」と蔑まれてきたことから、自分に自信も持てずに、社会の片隅におかれる存在として意識していた。こうした人に対して、オードレ・ロードは詩をとおして、対話をするなかで、アフリカ系ドイツ人という名称を与え、一人の人間としての生を意識させ、自信と誇りを回復させた。いわば「フェミニスト」として、女たちとのつながりをつくってきた様子が映画の画面から伝わってきた。また、ロードが病状が悪化していくが、ありのままの姿をさらしていた。手術をしたりしないで、強い意志を持ちながら生きるという姿勢で、病気を克服していた姿に感動した。
女たちとのつながりやサポートによって、楽しく、生き生きと生きる姿勢は亡くなる2ヶ月前まで崩すことはなかった。とてもすてきな人たちにかこまれた人生だったように思う。
オードレ・ロードの詩や本は何冊かもっているが、もう一度読みたくなった。
https://mwenge.hatenablog.com/entry/20131005/1380965435から -
ティーンエイジャーの
女の子たちの友情の物語
家庭的に恵まれた黒人の女の子
家庭的に貧困である白人の女の子
日本人では
なかなかわかりにくい
アメリカの地方社会に生きることの
困難さ、差別の実態、貧困家庭、
を背景に
健気に生きている
二人の女の子が描かれる
上質の一編の「映画」を
観終わったような
読後感を持ちました -
少し前に読了。だいぶ以前から見かけたことはあって、ちょっと気になっていたもの。
白人/黒人の立ち位置の反転が、肌の色と文化との間にずれの生ずる可能性を示している感じがして興味深かった。マリーもレーナも、何かのステレオタイプに染まりかけながら、どこかでそれに抗う自分を感じてもいる。ふたりの間でのその感覚の共有にはどこか距離があり、団結するほど強い連帯感には至らない。けれどその距離感は、ふたりが互いに対して誠実である結果として生まれたもので、それを「ない」ことにする方が問題なのだろうな。
ことばとの距離の保ち方も、個人的にはけっこう好き。 -
子供に対する性的虐待の話、多分実話
読むべきです -
人間は汚い。