風景とローカル・ガバナンス:春の小川はなぜ失われたのか

制作 : 中村 良夫  鳥越 皓之  早稲田大学公共政策研究所 
  • 早稲田大学出版部
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784657140067

作品紹介・あらすじ

2004年6月に景観法が公布されて以来、すでに10年近い歳月が経過している。しかしながら、わが国では風景の「劣化」と呼ばれる、風景の雑然化、画一化、無個性化が依然として進行しており、昨今、その対象は国土の基調となる、ごく日常的な社会活動が行われている地域全域に及んでいる。
 こうした社会的背景をふまえ、これまで独自に風景にかかわってきた、風景学、環境社会学、都市行政学、景観工学、社会哲学、公共経営学の各分野の第一線の研究者が、風景の「劣化」をくいとめ、風景をつくり、守り、向上させていくための理論と実践を徹底研究し、その協働の成果を世に問う。

感想・レビュー・書評

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  • 「風景」とは何か。そう聞かれると存外難しい。景観保護と言えば、ピンクビラ禁止、建築制限といった「規制」が中心になる。一方、風景には規制は馴染まない。目障りなものを取り除くという発想では、良い景観は得られても、風景は別問題であろう。同じ景観でも、風景は異なる。「景観」と異なり、「人の思いが投影される」というのが一つの答えであるように思われる。
    そう考えると、「風景を良くできるか」という問題に突き当たる。個人が投影する思いに介入できるのか。ただの押し付けではないか。都市化によって、価値観、生活リズム、職業、近くに住んでいる人でもバラバラである。風景が違って見えるのは最早不可避であろう。その中で官が景観保護を打ち出しても、それは個々の風景とは無関係な、統計的な、無味乾燥な、平均値になりかねない。
    そこに、ローカルガバナンスという、「官による統治」ではなく「住民による協治」の考え方が生まれる。そして、この住民主体の考え方は、単に決定の主体として関わるだけではない。従来官に任せがちであった、風景に積極的関与(川の掃除、公園のルール作成)し、自ら利用者になることでもある。その中で価値観が擦り合わせるのではないか。本書の期待はそこにある。
    風景には人々の思いが宿る。そこから、ローカルガバナンスとしての街づくりができるかもしれない。そんな期待を抱いた。

  • 景観工学と風景の関係?風景は、そこに住む人がつくる、すなわちローカル・ガバナンスが風景を産み出す。具体な手立ては都市計画?工学や法律でなく、そこに住む人の生業や暮らしぶりによるのではないだろうか。どうやって風景を活用するのか残していくのか、手立ては各々の地域で異なるようだ。

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著者プロフィール

横浜国立大学国際社会科学研究院・経済学部教授(英語学)

「2022年 『ニュアンスや使い分けまでわかる アドバンスト英単語3000〈大学上級レベル〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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