コミュニケーション断念のすすめ

著者 :
  • 亜紀書房
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750513294

作品紹介・あらすじ

生きづらさや息苦しさは、コミュニケーション「不足」ではなく「過剰」が原因だった……。
長年にわたって「家族の問題」に取り組んできた臨床心理士による、まったく新しい視点からの普遍的コミュニケーション論です。人間関係が苦手な人、家族や友人との付き合いが息苦しい人、今の日本の社会は生きづらいと感じている人が読者です。

感想・レビュー・書評

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  • コミュニケーションという言葉が氾濫する昨今、そのいかがわしい腐臭にいち早く気づくのはやはりこの人。「コミュニケーションは力を持つ人が持たない人に立強いて使う言葉」と断じる。何を指すかが不明なままそれを使用する人の都合がいいように用いられそれに縛られ翻弄させられる言葉は多い。そもそもコミュニケーションというとは相互性に根差したもので一方的で独りよがりなコミュニケーションというものは存在しない。にもかかわらず強者の目線から「コミュニケーション能力」という言葉が使われ、ついには「能力」という「力」まで問われる。相手との関係を無視して「コミュニケーション」は成り立たないのである。全て「刷り込み」である。パラドシカルではあるが、コミュニケーション復活の第一歩は、コミュニケーションを断念することである、と提言。周囲がどう思うかは脇に置いておいて、まず自分がどう思うか、を感じ、考え、口に出してみることから話は始るのである。

  • 必要な部分が不足して、余計な部分が過剰なのかも?

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    「生きづらさや息苦しさは、コミュニケーション「不足」ではなく「過剰」が原因だった……。
    長年にわたって「家族の問題」に取り組んできた臨床心理士による、まったく新しい視点からの普遍的コミュニケーション論です。
    人間関係が苦手な人、家族や友人との付き合いが息苦しい人、今の日本の社会は生きづらいと感じている人が読者です。」

  • 「コミュニケーション能力」ということばが、就職活動をする中で私の頭上を跋扈していた時がありました。
    (コミュニケーション能力ってなんだ?)と思うと同時に、相手があって初めて成り立つことに、就活生の側(片方)だけが能力を持つとか持たないとか言われるのって少し違うな、とも感じていました。
    それに、どうしてコミュニケーション能力ばかりを重視するんだろう? とも。

    本書では、臨床心理士である著者・信田さよ子さんがカウンセリングをしていくことで感じた、「コミュニケーション」をはじめとする「内容のない」または「過度に美化された」ことばについて論じた本です。

    コミュニケーションというのは、双方がいて初めて成り立つものであるのに、「コミュニケーションが十分にとれていた」としている側と、そうではないと感じる側には齟齬があり、それはDVや虐待の現場において多様される言葉であると書かれていました(他にも、「絆」などがあると著者は言っています)。

    本書全体の構成としては……
    日本の「笑い」によるコミュニケーションや団塊世代男性との対話において著者が感じたことから、日本の現状(第一章 『コミュニケーション過剰な日本』)をとりあげ、続く第二章は主にDV被害と家族間での軋轢を描き(『「絆」の息苦しさ』)、第三章に(生活保護受給者、スケープゴートに対する)『バッシングの正体』、第四章に韓流ブームとAKBブームを取り上げる『コミュニケーションなき安全地帯』を扱い、最終章で具体的な対応策を含めた『「自分が否定されない世界」を確保しよう』という構成になっています。

    「日本はコミュニケーション過剰である」「人をおいつめる話し方」や「コミュニケーションということばは死んだ」、「刷り込み」など、読んでいて(なるほどそういう構造か!)とハッとさせられる部分もあり、その点では興味深く拝見しましたが、「団塊世代」への感想を述べるところや、特に第四章の「韓流」のくだりでAKBファンに対する酷評には「男性嫌悪」とまではいかないまでも、著者の苦々しい、黒い部分を垣間見せられているような気分がしました。第四章はここに必要だったんでしょうか?

    「まったく差別感情のない人間なんて世の中にはいない」、と言われるかもしれませんが、カウンセラーである一個人(しかもセンター所長も務めた経験のある方)が『個人の嗜好をあげつらうほど狭量な人間ではないつもりだが』と言いながら、AKBを好む男性を『生理的にいやなのだ』と酷評(差別)してしまっていいんでしょうか?
    妻を育てるつもりでDVをしている人、児童ポルノに加担する人を擁護するつもりはこれっぽっちもないですが、あまりにも男性嫌悪が過ぎませんか? という表現がこの本には散見されました。
    「それは逞しい想像力のせい」と言われるかもしれませんが、言葉の端々にニヒルな何とも言えない表現があるんです(読めば分かると思います)。

    また、ご自身が好きだと言われている韓流を評価するとき、「歌唱力」「ダンスのうまさ」「礼儀正しさ」は要素として理解できる事柄ですが、「身長が175cm以上」というのは正直「???」でした。それって著者が男性の魅力として身長が重要である、と思っているだけで、世間はそうとは限らないのでは……。

    著者は韓流ブームを「女性の性における多様性」という括りで把握されていて、私は「女性の性における多様性」が大切なものだとは思いますが、その”多様性”において(著者が)発言した言葉が、(男性が)「女性は身長150cmくらい小さくないと」と言っているのと同質になるのは違うと感じました。
    そして日本人男性に向けての「悔しかったら整形でもしてジムでトレーニングしたら?」という言葉に同調しているんですが、これも私には「???」でした。

    また、この方は「家族」というものが特別ではない、ということを認識するだけではなく、「家族」として構成員がまったく困っていない状況であっても、家族は歪んでいるのでけしからん、と言っているように(私には)感じました。

    本文からの引用ですが、『飼育箱に入れ、調教してしつけ、ときにはほめたたえることで少しずつ自分の好みの存在に成長させていくこと。育児にもし喜びがあるとすれば、飼育する喜びもその一部を占めているだろう』とか、『自分の思いだけでそれが正しくなる一方通行性、それが親子関係である』とするのは、(確かに虐待被害のある家庭ではそうかもしれませんが)あまりに飛躍しすぎている気がしてなりませんでした。

    こういう風に書くと、「いや、だからあなたは世間の言う”家族”や”絆”にもうどっぷり染まってしまっているんだ」という反論が飛んできそうですが、私自身は「絆」ということばは前から好いていませんし、絆なんて口に出して言うことばではない、と考えている人間です。
    韓流に対しては「好きな人は好きでいいじゃない」と思っていますし、そういう嫌悪感ではないのです。

    どうも、他の章で言っている内容が建設的かつ、カウンセリングの成果だと思われるものであるのに対して、第四章だけが別の本から切り取ってきたかのような主観・感情で表されているのです。
    ここには違和感が拭えませんでした。
    気になる方、おられましたら、四章以外はおすすめできますので、どうぞ。

  • 就職活動の際に「コミュニケーション能力が問われるから、そこをアピールした方がいい」と何度も言われました。実際、その職場ではミスが発覚した時や仕事のスピードが落ちている時に「もっとコミュニケーション取って!」と指示されました。
    おそらくここで言うコミュニケーションは、「現状の報告をきちんとして進捗状況を共有せよ」という意味なのでしょう。
    コミュニケーション能力は自分だけでそれを持っているか、その力が高いか低いかを測れるものでしょうか?相手あってのコミュニケーションなので、自分がいくら「コミュニケーション能力が高い」と思っていてもそれは半分だけ。残りの半分を決めるのは相手方だ、というのが本書の1つのテーマです。
    確かに。
    こちらが積極的に働きかけても相手方がスルーしていたら、そのコミュニケーションは成立していないことになります。納得。
    また「絆」という言葉の重さについても語られています。聞こえはいいですがこの言葉、「みんなで同じ方向を向いて団結しましょう」と強要される雰囲気があるよな〜と少し感じていたので、同感。
    日本はまだまだ人と違うことを言ったりしたりすると「空気が読めない」「不思議ちゃん」「自己中」などと言われがち。同調することを美としている部分があるように思います。
    誰かが我慢して成立する関係ではなく、うまーくバランスを取って許容できる範囲を広げていけると人間関係も少しは楽になるのかな?と。
    星2つなのは、韓流やジャニーズ、AKBに関する記述が自由すぎてついていけなかったからです…。

  • 興味深く読んだが、AKBと韓流アイドルの比較はこの本に入れなくてもよかったのではないか。アイドル論としてまとめた方が読み応えがあると思う。

    コミュニケーション、絆、自立、人間性、自己責任…ほかにも胡散臭いことになっている言葉はたくさんありそう。

  • コミュニケーションについて、個々人だけじゃなく世界と比較しながら書いてある。
    納得。ちょっと肩の力が抜けた気がする。

  • 弱い側からのコミュニケーション断念が自立と自己回復の第一歩という。強力だが、これ、強い側からやったら壮烈なことになりそう。韓流の分析に説得力あり。

  • 娘の写真を「かわいいなあ」と父親が見ている。そして「もう誰にもやりたくない」と言う。すると、後ろに妻の父親が立っていて、「僕は君にあげたけどね」と言う。

    とにかく跳ぼう(172ページ)

  • 自己啓発

  • なぜバッシングが起こるのか? なぜ絆やコミュニケーションは人を苦しめるのか? カウンセラーである著者が、「コミュニケーション」について論じる。亜紀書房ZERO事業部のウェブサイトの連載を単行本化。

    一度,断念出来れば楽なのに。

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著者プロフィール

公認心理師・臨床心理士、原宿カウンセリングセンター顧問、公益社団法人日本公認心理師協会会長。1946年生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。駒木野病院勤務、嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室室長を経て、1995年原宿カウンセリングセンターを設立。アルコール依存症、摂食障害、ひきこもりに悩む人やその家族、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待、性暴力、各種ハラスメントの加害者・被害者へのカウンセリングを行ってきた。著書に、『母が重くてたまらない』『さよなら、お母さん』『家族のゆくえは金しだい』(いずれも春秋社)、『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)、『アダルト・チルドレン』(学芸みらい社)、『家族と国家は共謀する』(角川新書)、『タフラブ 絆を手放す生き方』(dZERO)、『共依存』(朝日文庫)などがある。

「2023年 『家族と厄災』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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