- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750515939
作品紹介・あらすじ
推薦・若松英輔
「居場所を見失うことは誰にでもある。ひとはそれをふたたび、おのれの痛みのなかにも見出し得る。そうした静かな、しかし、燃えるような生の叡知がこの作品集を貫いている。」
汚れた壁紙を張り替えよう、と妻が深夜に言う。幼い息子を事故で亡くして以来、凍りついたままだった二人の時間が、かすかに動き出す(「立冬」)。
いつのまにか失われた恋人への思い、愛犬との別れ、消えゆく千の言語を収めた奇妙な博物館など、韓国文学のトップランナーが描く、悲しみと喪失の七つの光景。
韓国「李箱文学賞」「若い作家賞」受賞作を収録。
韓国で20万部突破!!
韓国文学の騎手が「喪失」をテーマに紡ぎ、2018年、韓国の最大手書店「教保文庫」で『82年生まれ、キム・ジヨン』に次ぐ小説部門第2位となったベストセラー。
感想・レビュー・書評
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突然の別れに成す術もなく立ち止まり、時間が凍りつく。過去を想い、自問を繰り返す。
その別れに自らの非を探しては何度も傷を引っ掻く。
時間が止まってしまった人に対する、普通に暮らす人々の無理解、冷たさも同時に描く。
別れが近付いたことを知る人の喪失への痛み。
相手の中に信じていた姿を見失った時の喪失感。
なんていう辛さだろう。どの話もヒリヒリと胸に痛い。
タイトルの「外は夏」は、
「スノードームの中の冬を思った。球形のガラスのなかでは白い雪が舞っているのに、その外は一面の夏であろう誰かの時差」の一文からだ。
夏の暑く眩しい時にありながらも、そこだけ雪が舞う凍りついた閉ざされた狭い世界に、各章の登場人物の心が重なる。
そんな時、何かが溶け出すのをただじっと待つしかないのかもしれない。
少しだけ動く瞬間を見事に描いている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何かを失った人たちがテーマの短篇集。悲しみと喪失の七つの光景。
「立冬」の止まっていた時間が静かに動き出す気配。「向こう側」の裏切られたという思いではなく実は安堵だったことに気づく感覚。
「どこに行きたいのですか」
これは、、気持ちが揺さぶられた。
”「命」が「命」に向かって飛びこんだのではないだろうか。”
セウォル号沈没事故のことをおもいながら読む。
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晴れやかな季節の日に、重く澱んだ気持ちを抱えている時に感じる、世界から疎外された人になったような感覚が呼び起こされる、韓国文学短編集。
安直な癒しや解決は無い、でも果てしない絶望でもなく、喪失を抱えて生きていくという、わずかな強さを滲ませる。
最後に収録された短編「どこに行きたいのですか」のラストに至る情景の鮮やかさが素晴らしかった。
「『命』が『死』に向かって飛び込んだのではなく、『命』が『命』に向かって飛び込んだのではないだろうか。」
悲劇に向き合う角度を変えられた時に現れる、思いがけない姿。主人公と共に、その光景を見て泣き崩れる感覚を味わえて、本当に良かった。 -
「立冬」:深夜零時過ぎに、壁紙を張り替えようと妻が言い出した。今から?うん。妻のほうから何かをやろうと言ってくるのは久しぶりだった…。息子を事故で無くした夫婦の話。「ノ・チャンソンとエヴァン」、「向こう側」、「沈黙の未来」、「風景の使い道」、「覆い隠す手」、「どこに行きたいのですか」。喪失をテーマにした短編集。どれも胸にジンとくる。
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初読
訳者あとがきにて、日本の東北震災のように
以後で変わってしまった出来事として
「セウォル号以後文学」というのがあるらしい。
これはその一例として言われる喪失を書いた短編集。
表題作がなく「外は夏」というのはどこから来たのだろうな
と読んでるうちに、
なるほど、どの作品も、外は夏だというのに、中はひんやりと
陰っているようなムードが共通している。
少年と犬の「ノ・チャンソンとエヴァン」
少し毛色が違う、滅びく言語の「沈黙の世界」
が印象的。
何を示唆してるのかわかるようで私にはもうひとつわからないな
と感じる「覆い隠す手」等もあるのだけど、
これもきっとその内また違った角度から読めるのではないか、
という気がする。
韓国の知らない日常生活も感じられて良かった。
クロソイのわかめスープ、食べてみたい。 -
個人的には「ノ・チャンソンとエヴァン」がひたすら胸が痛かった。
しかし、何だかわかったような気になって感想を書くことができない。またいつか読み直そうと思う。
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【追記】
読んですぐは本当に何を言えばいいのかわからなかった。
でも結局のところ、(例えば)死者に対して生者である私(たち)は、どこまでもわかったような気になることしかできない。だからそう思うと何も言えなくなってしまうのだと思った。
キム・エラン氏はそのことをわかりすぎるほどわかった上で、死者との間の、その埋められない隔たりを紡ぐ言葉を探しているのだろうなあ。 -
はじめての韓国文学。「喪失」をテーマにした短編集。全体にずっと暗いというか、静かな空気が漂っているような感覚でした。劇的な結末があるわけではなく、どうなったんだろう、と想像させるような終わり方。「沈黙の未来」「どこに行きたいのですか」は韓国で賞を受賞しているようで、この2篇は特に印象に残った。
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何かを失うことにまつわる短編集。
消滅しつつある言語についての短編「沈黙の未来」が良かったです -
『どこに行きたいのですか』ジベル薔薇色粃糠疹、実在するっぽいけどこの話の中では喪失の苦痛・悲しみのメタファーなのかなという気がした
ジヨンの姉の手紙で泣いてしまった
壁紙貼りを自分でやる習慣 互いに理解するが救いは訪れない 互いの悲しみを理解するだけでも相当な時間がかかる -
喪失がテーマの7つの物語。
切なくて悲しくて苦しい。決して他人事のように読めなかった。きっと今もどこかで何かを喪失している人はいるだろうし、自分もそうなるだろう。あとがきで「セヴォル号沈没事件」後にどの作品も書かれたと知り、胸がしめつけられた。 -
途方もない悲しみからこの先どこへ向かうか何をしたら良いか明示するわけではないが、人間の心情を丁寧に掬い取り見つめる視線を作り上げた小説。
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つらい作品が多いけれど、じんわりと体温を感じる。
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「喪失」がテーマの短編集。
どの話もすっきりとはせず、やるせない澱のようなものが溜まる感覚がある。けれど引き込まれて一気に読んでしまった。
特に、孤独で貧しい少年と犬の交流を描いた「ノ・チャンソンとエヴァン」を読んで、ざらざらしたものが残った。 -
暑い暑い夏もようやく終わるかと思われる頃、手に取ったこの本。
テーマは「喪失」かけがえのない大切な子供だったり、夫だったり、恋人だったり、愛犬だったり、そんなテーマの短編集です。
大切なものを失ったけれど、明るく立ち直ったり、未来に向かって歩き出したりといった、そういったハッピーエンド的なものはありません。
気持ちの持っていきようがなく、寄るすべもなく、どうしようもなくもがき苦しむ、ただ息をしているだけの毎日、読んでいても胸がつぶされそうになります。
そんな彼ら彼女らですが、最後はふっと我に返ってわずかに顔を上げるような、そんなかすかな希望が感じられるところに救われます。 -
“言葉を使わないと寂しいし、言葉を使うともっと寂しい日が続いた。”(p.148)
“「過去」は通り過ぎて消え去るものじゃなくて、積もり積もって漏れ出すものなのだと思った。これまで自分を通り過ぎていった人、自分が経験した時間、押し殺した感情などが現在の自分の眼差しに関わり、印象に加わっているのだという気持ちになった。”(p.179)
“そういう頭の切れるところというか、機転が利くところに惚れたけど、その一方であなたがいとも簡単に要約して判定を下すたびに不思議と反感を覚えた。それが他人をもっとも簡単なやり方で理解する、一個人の歴史と重み、脈絡と奮闘を省略する、とても愛らしい合理性のように見えて。”(p.206) -
やられた、やられた、やられた!
短編集なめてた。
最後の『どこに行きたいのですか』は泣けた。
配置って大切。
ワタシが好きだと思ったのは『立冬』『向こう側』そして一番は『どこに行きたいのですか』。
喪失をこんな風に書けたら。
誰かの生きている人生を見せてもらった。喪失って色んな捉え方がある。
やっぱりキム・エラン作品好きです。
友だちにも紹介したら速攻買いに行って読んで泣いているらしい。 -
短編集
犬の話が・・・悲しい
どれもこれも悲しいんだけど -
「翻訳文学試食会」(ポッドキャスト番組)で取り上げられていた『立冬』という作品を含む短編集。
韓国ではセウォル号文学というらしい。杜撰の100乗ぐらいの出来事が重なり、一瞬にして300人近くの命が奪われた事件の後、身近な人の喪失をテーマにした作品が増えたという。
表題作『立冬』は、子を持つ親であれば、絶対に体験したくない喪失の物語。いきなり号泣。電車で隣に座っていた人すみません。日常の些細な出来事が全部、自分が悪いと思ってしまう心理にもとても共感するともに、韓国と日本は似たような感覚を持っているんだということも理解した。
『立冬』よりも受けた悲しみが大きいのが、『ノ・チャンソンとエヴァン』。主人公の少年が、なぜあのような境遇に置かれたのか、彼が大人になるまで、いったい幾つの喪失を体験すればよいのか。 -
喪失に関して。
それぞれの短編にはこれといったオチが作られているわけではなく、それが良い。特に印象的だったのは『ノチャンソンとエヴァン』『どこに行きたいのですか』。 -
セウォル号事件の数年後に書かれた、静かな喪失の物語たち。簡単な言葉で、深く語られている。タイトルもすごいなあ。
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『韓国文学の中心にあるもの』で紹介されている本を少しずつ読んでいこうと思い、今回は「セウォル号以後文学」の代表といわれるこちら。
「何かを失ってしまった人びと」をテーマに書かれた短編集なので、最初の『立冬』、『ノ・チャンソンとエヴァン』からして重い。一日に一篇くらいの感じで読みました。
そういう意味では「消滅していく言語の博物館」というSF的設定の『沈黙の未来』が一番楽に読めました。
『外は夏』というタイトルの短編が収録されているわけではないと知っていたのですが、読み終わってから季節が夏の短編も入ってたかなと。
『立冬』は文字通り立冬、『向こう側』はクリスマス、『風景の使い道』は「韓国は冬だがタイは夏だった」、『どこに行きたいのですか』はエディンバラの夏とどちらも海外。
これは「セウォル号事件」にも言えることで事件について明確に書かれている部分はありません。
著者のインタビューでは
「この短編集は何かを失った人たちがテーマ。次の季節を受け入れられない人たちを書きました。モチーフの事件は明らかにしていません。言わなくても読者にはわかるから。」
『韓国文学の中心にあるもの』では
「「外は夏」とは、セウォル号事故前と後で時間の流れが全く違ってしまったことを示唆している。セウォル号事故は春に起きた。それによって人生が変わってしまい、季節を意識する余裕もなかった人にとって、夏は「外のできごと」にすぎないという暗喩と見てもいいだろうし、それでも確実に時は過ぎ、生きている者は生きていくしかないことを示しているのかもしれない。」
と解説されています。
個人的には『ノ・チャンソンとエヴァン』の祖母とか、『覆い隠す手』の母の、生活や子供や孫の将来に対する不安にザワザワしました。(日本もだけど)韓国の生活に対する保証はとても不安定な気がします。
以下、引用。
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妻は自分で作った木製の棚に「LOVE」や、「HAPPINESS」といった英単語の書かれた、どう使うのかよくわからないパステルトーンのブリキ缶を置いた。片方の壁にはワイヤーと小さな木製の洗濯バサミを使って洗濯物を吊すみたいに家族写真を飾り、それでもまだ物足りないと思ったのか、三羽の鳥が止まっているウォールステッカーを貼りつけた。
20
そして、そういう些細でありきたりな一日の積み重ねが季節になり、季節の積み重ねが人生になるのだと学んだ。バスルームに置かれたコップの中の歯ブラシ三本、物干し台に干された大きさの異なる靴下、ちんまりとした子ども用の補助便座を見ながら、こんなにも平凡な物事や風景が、実は奇跡であり事件なのだということを知った。
26
読んでいるだけで自信が湧いてきて、もう壁紙を張り終わったような気分だった。
44
当時のチャンソンは人生の教訓をいくつか学んだが、それは金を稼ぐには我慢が必要だということ、そして我慢したからといって必ずしも何かが補償されるわけではないということだった。
46
慣れた手つきでうつむきながら火をつけると、「主よ、我を赦し給え……」と言った。
──ばあちゃん、赦しってなあに?
──なかったことにしようってこと?
──そうじゃなかったら、忘れてくれってこと?
チャンソンが答えをせがむと、祖母はやせ細った指で煙草の灰をとんとん落としながら気のない口調で答えた。
──見なかったことにしてくれって意味だよ。
155
写真を撮るときはじっとしてなきゃいけないと教えてくれたのは誰だったか思い出せない。たぶんものすごく平凡な人、良いことはあっという間に過ぎ去るし、そんな日はめったに来ないし、来たとしても見逃してしまいがちだということを知っている人じゃないかと思う。
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カフェの天井の角に設置されたスピーカーからはダンスミュージックが流れ続けていた。誰かがバケツに騒音を溜めて俺たちの頭上にぶちまけたような気分だった。
234
ずっと見ていると目が青く染まりそうな空、くっきりとした輪郭の綿雲、草原の上にぽつんぽつんとそびえる風力発電機を見ていると、「穏やかな海洋性気候」という言葉が自然に浮かんできた。この島国の空がいつか日本のアニメーションで見た空、戦争で疲弊した兵士が幸せだった幼年時代を懐かしんで回想した風景と似ていたからだ。
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この短編集は何かを失った人たちがテーマ。次の季節を受け入れられない人たちを書きました。モチーフの事件は明らかにしていません。言わなくても読者にはわかるから。
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「覆い隠す手」が良かった
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セウル号の沈没を思わせるのが、最後のどこに行きたいのですか、という小説である。韓国の小説ということの特集が
朝日新聞に掲載されていたような気がする。米国だったり英国だったりと場面が韓国国外である小説であるが、キムチや食事風景が韓国であったりする。韓国の文化を知ることができる本である。