- Amazon.co.jp ・本 (465ページ)
- / ISBN・EAN: 9784755401879
感想・レビュー・書評
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フランツ・カフカにベルトルト・ブレヒト、それからルカーチ・ジェルジにエルネスト・ブロッホなど、思えば池田浩士から翻訳と評論で教わったドイツ文学・思想の衝撃は、今でも私の身体を容易には離れないでいます。
かつて小鳥のさえずりみたいということから小学生の頃はフランス語に憧れてフランス文学・思想からも多大な恩恵・影響を受けていますが、それに劣らずドイツ文学・思想には、もっと決定的な方向性を示唆するものを啓示されたような気がします。
池田浩士は1940年6月20日生まれの今年72歳、いま集中砲火のいじめ自殺を幇助し無視し隠蔽した大津市皇子山中学校の片山義教校長と森山進担任や沢村憲次教育長それに被害届けを三回も拒否した大津署そして恐喝と自殺強要した三人の犯罪者で加害者の同級生/木村束麻呂・山田晃也・小網健智がいる滋賀県大津市出身の長く京大教授だったドイツ文学者・評論家。
そういえばゲーテやリルケは手塚富雄に、川村二郎には、ヘルダーリンやベンヤミンやエンツェンスベルガーを、岩淵達治には圧倒的にブレヒトを、平井正にはナチス全般はもちろんクラカウアーの映画社会学の名著『カリガリからヒットラーまで』を、それからわが愛する池内紀も種村季弘もドイツ文学者ではありませんか!
これは、私も中学生の頃に夢中になったゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』やトーマス・マン『魔の山』やヘッセ『デミアン』など主人公が色々な体験を通じて人間的に成長していく過程を描く教養小説は、どうして変身し再生し続けるのか。深化していくファシズム下での『ジャン・クリストフ』、ドストエフスキー・カフカ・カミュ・島木健作・木々高太郎からドラキュラまでを解読する本。
序 なぜ教養小説か
1 自己形成と共同体の夢 教養小説の人間像
2 市民社会の刻印をおびて 危機の表現としての教養小説
3 われ行きて、わが魂を試みん 教養小説の書けぬ作家たち
終 革命とファシズムのはざまで 転向形式としての教養小説
第二部 ドラキュラとその兄弟たち
見渡せば『されど われらが日々ー』の柴田翔とか『清貧の思想』『ハラスのいた日々』でベストセラー作家になった中野孝次は、たしか最初読んだカフカ全集の翻訳者で、そして小説家のイメージしかありませんがブロッホやロベルト・ムージルの翻訳もした古井由吉とか、独文学者って割と身近に多いのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示