- Amazon.co.jp ・本 (468ページ)
- / ISBN・EAN: 9784757150607
作品紹介・あらすじ
マイク・メイはいつも体当たりで生きてきた。3歳で視力を失った後も、実業家として成功し、温かな家族に恵まれ、幸せな暮らしを送ってきた。そんなメイに、46歳のとき、驚くべきニュースがもたらされる。幹細胞移植という目の手術を受ければ、「視力を取り戻せるかもしれない」というのだ。しかし手術には、数々のリスクがともなう。命が脅かされるかもしれない。想像を絶する結果が待っているかもしれない。この手術を受けるべきなのか-。人間の視覚と脳のミステリーを見事に描き出した感動の実話。「見る」とはどういうことなのか、本当に「生きる」とはどういうことなのかを確かめようと決意した一人の男の半生がここにある。
感想・レビュー・書評
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とっても良書。図書館のリサイクル本で放出されていて、つまり借りる人が少ないから図書館ではもう蔵書しない、ということなんだけど、これは本当に素晴らしい本なので日本の全国民に読んでほしい。幼児期に視力を失い、医療の進歩によりタイトルどおりに目が見えるようになった男性の実話。視力とは何か、見えるとはどういうことか。影の認識、知識として知っている物体と視覚情報とのリンク(再学習)、文字の再学習。脳機能の神秘。人体の不思議。最後の最後に大感動がやってくる(おわり
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物心ついた頃から盲目だった人が、視力を取り戻せるかもしれない機会を与えられて、どう考え、どう行動したかを追った作品。原題は"Crashing Through - The extraordinary true story of the man who dared to see"というもので、"dare to"という辺りのニュアンスが邦題だと出てないのが少し不満だが、いずれにしても単純な感動話ではない辺りも考えさせられる。
ノンフィクションであることは間違いないのだろうけど、人によって何のジャンルの本なのか見方が分かれそうで、それもまた面白そう。 -
人が活力を持って生きるために何が必要か?そして、うまく行かなかったときにどう立ち上がるか。とてもゆうきを貰える本でした、
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竹内薫ブックガイドから。視力のなかった人が、壮年になって新たにその力を得たとき、いかな反応が生じるのかを、丁寧に細やかに描いた作品。まず、視力のない生活と、視力を得て以降の生活が、それぞれ半分くらいの分量で書かれているのが素晴らしい。読む前は、どうして回復以降に割かれる分量が多過ぎるように思えたけど、読み終わって納得。確かにこれは、このバランスが必要です。後半、視覚だけの問題から、だんだんと脳の可塑性へと解明が進んでいく流れがスリリング。
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@ogijun リコメンド。
この本の直前に「幼児教育と脳」を読んだのは何かの偶然だろうか。内容がシンクロし杉。
ノンフィクション作品だけど、ある種の小説であるかのようにも読め、科学読物でもある、感じ。
程度はずいぶんと違うけど、自分も脳梗塞の後遺症との付き合いを考える上で、可塑性の限界というものとの折り合いのつけ方について似たような結論に至った。この主人公の方はすごいと思う。
あと、楽しめたのは筆者と訳者の功績も大きいと感じる。 -
3歳で失明し、46歳で視力を取り戻した男性の実話。
読後文字通り、世界が違って見えました。 -
購入。
3歳で失明し、46歳で視力を取り戻した方の人生を物語のようにまとめている。
この方のような事例が20件ほどしかないことに驚いた。眼そのものの正常さと、見たものを脳が認識できるかどうかは異なるのだということがとてもよく伝わってくる。
ストーリーの前半部分は眼の見えない状態での生活が主に取り上げられており、少し退屈に感じる。後半で視力を取り戻せるかどうか、という話題に移ると俄然面白くなった。
2匹のネズミを使った実験が印象に残った。ほぼ暗室で生活させ、光をあてるときは回転木馬のような装置に1匹は足を接地させ、もう1匹は足を接地させない。接地させた方が動くともう1匹も回転する。こうすると同じ視覚体験をさせられる。しばらくこのように生活させる。実験終了後、接地させない方は正しくものを認識できないようだったらしい。
この方は眼が見えても見えなくても同じように色々なことにチャレンジして生きていたのだろうと思えるほど、周囲の人物も本人も活動的だった。転居の回数が多く、アメリカで暮らしている人はこれくらい引っ越すのかどうかが気になった。 -
わたしにこの本を薦めてくれた人は、200P頃からが面白いと言っていたが、わたしは300Pを越えたあたり、主人公が新たな困難に直面するところからに大いに勇気づけられ、また感動した。「ぶつかっても前に進め!」というメッセージにとても勇気づけられた。
また、読んだ後は、文字通り自分の見ている世界が違うかたちであなたの前に顕然してくる。
そして科学読み物としても秀逸。あなたの知的好奇心は確実に満たされる。 -
長年お世話になっているプロジェクトパートナからプレゼントされた1冊。
もう一生目が見えないとおもっていた男”メイ”が、ある手術をきっかけに視力を回復していく話。完全には視力が回復しないけれども、自分の努力で、その視力の精度をあげていくところや、副作用克服のための勇気に感動する。
1.冒険する
2.好奇心を大切にする
3.転んだり、道に迷ったりすることを恐れない
4.道は必ず開ける
「他人任せで漠然と生きることは許しがたい罪」
「充実した人生を送るためには、世界に丸ごとどっぷりつからなくてはいけない」
「怖いと感じることを怖がってはだめ。怖いと感じているときは、そのことを自分でしっかりわかっていなくてはいけないの。」
「大きな世界に押しつぶされそうに感じたときも先生みたいに自信をもって史実に振舞える人間でありたい」
「ある人物がどういう人間かを決めるのは、その本人が自分をどういう人間だとおもっているかでもなければ、自分自身がある状況でどう振舞うと予想しているかでもない。実際にその場面でどういう行動をとるかなのだ。」
「迷子になることをおそれなければ、世界はとてつもなく広大で魅力的な場所なのだ。道に迷うのが怖くないのかと友達に聞かれて、正直なところ怖いときもあるけれど、怖い思いをするだけの値打ちはあると思うと答えた。人生で最もすばらしい体験のいくつかは、どこへ行き着くのか確実にわかっていないときに経験するものなんじゃないのか。」
「目が見える、見えないに関係なく、人間にとってもっとも理想的なのは、これと決めた分野で前へ突っ走り続けること。充実した人生を送れるだけでなく、その過程を通して自分を知ることができるようになる。」
「未来があるということ、これまでの生涯を通してずっとそうだったように未来は何がおきても不思議ではないということ、道は必ず開けるということ。」
「視覚が機能するためには、世界とのかかわりが欠かせない」
「私は見るために手術を受けたわけではないのです。見るとはどういうことかを知るために手術を受けたのです」 -
目が見えるようになるための手術を受けるにあたって、人並みはずれた冒険心を持つ主人公でも、リスクのことを考えて手術を受けるかどうかとても悩んでいたのが印象的だった。
持ち前の冒険心と頭脳で、目が見えるようになってから、目が見えるという状態を使いこなそうとがんばるところがよかった。あきらめないで工夫して努力を続ければ、いい事が起きることもあるということです。 -
勇者。マイク・メイは、勇者だ。
敬意を感じる。
そして、マイクをとりまく人々も素晴らしい。
お母さんのオリジーン、妻のジェニファーにも
強い尊敬の念を覚える。
逞しく生きる、ということはこういうことなのだ。 -
好奇心をもつということ、挑戦するということの大切さを学べた。
本当に読んでよかったと思える本。
女性にとっては、ちょっと不快な部分もあったので星4つ。
でも、きれいな部分だけじゃなくて全てさらけ出してくれたところが主人公らしい。
結論、ほんとにスゴイのは主人公の奥さんだと思う。。笑 -
年末年始に読んだ本をもう一冊。
主人公は3歳のころに、化学薬品の爆発によって角膜を損傷し、光を失った。決してあきらめない性格と、気丈な母に支えられて、やがて幸せな家庭を築き上げる。妻のコンタクトレンズの検診で訪れた眼科にて、視力の回復の可能性を告げられて、主人公は再び光を取り戻す。ノンフィクション。
詳細はネタバレしても仕方ないが、プロットだけならば昔からある非常に陳腐な話のように感じる。
この本を読んでいて非常に興味を覚えたのが、目が見えるということは経験と密接に関係しているということである。
以前、ある記事を読んだ際に、「風鈴を知らないフランス人は、風鈴を見ることができない」ということが書かれていて不思議に思ったことがあった。
本書では、主人公が新しいものを見るたびに、戸惑う様が書かれている。最初は、人の表情や男女の差を顔から判断することすらでき無かった。
もう一度翻って考えてみると、様々な知識や経験を経ることによって、同じものを見ても見え方が変わってくるということが言えるのだろう。
私はよく街中で変なものが落ちていることに気がつくことがある。同じ通りを通った同僚は全く気付かなかったらしい。
学ぶこと、経験することが、”見る”というありふれた行為を豊かなものにできるのだろう。 -
すごい勇気と冒険の物語だった。視力を取り戻した時の喜び、戸惑いが、まるで体験しているかのように伝わった。レーシックでさえ怖いのに…、
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メイは3歳のとき事故で失明した男です。全盲ではあっても、夫して父として、事業家として幸せに暮らしていた46歳。
ある日妻の眼科健診について行って、ついでに自分も診てもらうことになり、「あなたの目は手術で見えるようになるでしょう」と言われます。
ごく個人的な事情、親子関係や夫婦生活の細部までも語られていて、ビックリしました。
これを話す人(本人・家族・友人)と、聞き出して書く人(密着取材に2年かけている)と、出版する人がいるアメリカって、エライ国だと思います。
見えなかった人が視力を得る。それが、すなわち幸運すなわち幸福ではないことにも驚きました。
晴眼者である私の想像力なんてお粗末なものです。
見る訓練をせず、見える人としての訓練も受けていなかった人が、ずっと目が見えていた人の世界で暮らす困難にまったく驚かされ通しでした。
また、奇跡の人生と普通の人生の間の垣根は案外低いものなんだとも思いました。
奇跡の人生に飛びこんだメイは、少し勇気のある普通の人です。
「少しの勇気」こそ、誰でも持てそうでいて実は大変な魔法の杖なのかもしれません・・・・。 -
「目が見える」という不思議に出会えた、素敵な本だった。
主人公の不屈な精神を通して、たとえ科学や医学が「可能性ゼロ」と宣言したとしてもあきらめないことの大切さを教えられた。ゼロという確率をひっくり返す可能性を人が持ちうることに感動!
人間の知恵はすごい。そして、何事にもチャレンジし、希望を持ち続ける心のたくましさが、人生の醍醐味を味わわせてくれる秘訣であることに、すごく共感した。 -
視覚とは何か、を考えさせられる本。
勇気付けられる本。 -
子供の時分から「目が見えること」が不思議でならなかった。超能力や超常現象よりもはるかに不思議である。「幽霊を見た」ことよりも、まず目が見えることを驚くべきなのだ。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20100413/p4 -
ぶ厚さにひるんだものの、なんとか読了。
見えるようになってからのエピソードで一番おもしろかったのが
コストコで太った女性とフォークリフトを間違えた場面。
マイク・メイは視力があってもなくても素晴らしい人生を送ったに違いないと思う。
映像化されたら誰がマイク・メイを演じるのかに興味があります。 -
三歳の時に事故で視力を失ったマイク・メイが、幹細胞移植を受けて46年ぶりに視力を取り戻す話。話としても面白いし、視覚という、私たちが普段何の意識もせずに行っている作業が長年の学習の賜物だということがものすごくよく分かる。ヒューベルら以来、視覚遮断の実験はネコを使ったものが大半であったが、当然のことながらネコは自分の体験を語ってくれないので、この人の体験はなかなか貴重だ。・色と動くものは理解できるが、その他の視覚体験は「外国語をしゃべるようなもの」で、意識的に解釈をしないと理解不能だという。(三歳よりも以前に視力を失っていたら、色と動きも理解できないんだろうか?)・特に相貌や奥行きの認識は全くダメで、人の顔を見てもそれが誰なのか、男なのか女なのかも判別が難しいし、車に乗っていても前方にある道路標識に近づくにつれ、それに衝突せず、下を通り抜けるということがなかなか分からない。象を見ても横から見るとわかるが、後ろから見ると分からない。・ホローフェイス錯視のように、顔と奥行きと両方の認知が係るようなものはもちろん、単純な水平垂直錯視などもこの人にはない。■人間がものを見るという行為の多くの部分は予備知識と予想を土台にしている
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今年1番の本になるかもしれない。
最近はもっぱら、視覚を通した認識の学習のメカニズムに興味があったわけだが、その件に関してこの本の主人公であるマイクメイの経験はとても勉強になった。マイクは3歳から目が見えなくなっていたが、46歳になって手術により再び光を取り戻す…
マイクは光を取り戻し、動くものなどの認識は上手くいったが、奥行きや顔の細かなパターン等を手術後も上手く感じることが出来なかった。二次元的にしかものを見ることしかできないということである。それにはマイクが光を失った時期が問題であるらしく、そのような複雑な視覚に関するニューロンのネットワークの形成が出来ていないということだった。
私達がバナナを見てバナナだとわかるのは、バナナを認識するために形成されたニューロンのネットワークを通じて電気信号が移動するためだ。このバナナニューロンは実際にバナナを見るという経験を通じて強化されていく。特定のものにたいして、特定のニューロンネットワークを形成するわけであり、膨大なニューロンが必要なわけだが、そのような大量のニューロンは幼少期にしか用意されておらず、その結合もどんどん遅くなる。
あげくに、ニューロンには可塑性という性質があり、永く使われない機能は違う仕事をするように転換させられてしまうという。
これと発達心理学を合わせれば、自分の理解したいことがもう少しクリアになるのではないかと感じた。
しかしながら、この本は脳科学として面白いだけではない。マイクという人間の生き方やその軌跡はとても励まされるものだ。
目が見えなくても、電柱にぶつかったりすることを恐れずに走り出すこと。 これは簡単に出来ることじゃない。 好奇心を持ったら、動き出さなきゃいけないんだ。
そんなメンタリティで彼は全盲のスキーチャンピオンになる。常にベンチャーでビジネスを起こそうとしている。
そして、彼は今も医者に正常な視覚は戻らないと言われたにも関わらず、全ての感覚を駆使する事により、人並みの認識を手に入れようとしている。
科学と啓発のバランスのとれた、読んで良かったと思える一冊である。
そして学問的に参考になっただけでなく、マイクメイという人間の生き方自体に教えられるものが沢山あった。何事にも好奇心を持つ事、そしてその好奇心を満たす為に冒険することの大切さを彼は教えてくれた。 -
記録
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46年見えなかったものが見えるようになった時、その人にとって世界はどのように映るのか。
大変興味深い内容で、「見る」とは何か?を深く考えさせられました。 -
46年目の光 / ロバート・カーソン(池村千秋 訳) / 2009.12.11(19/23)
この本のきっかけ:日経日曜日の本の紹介の欄あり、興味持った。
「見える」ということはどういうことか?と考えさせられた一冊。主人公は3歳に事故で失明するが、その後の医療技術の進歩で奇跡的にも49歳のときに見えるようになる。しかし、眼そのものを入れ替えても、視覚情報を受けてとる脳の側が一種の退化しており、物事を立体的に捉えたり、人の顔、表情が分からなかったり、と、完璧な回復には至らなかった。そして、滅多にない事例だが、盲目でその後見えるようになった多くの人は、欝になることが多いと。視覚情報の洪水を受け止めきれないのだろうという話。
息子が日に日に成長している。興味深いのはいろいろあるが、視覚に関してだ。最初はぼーとしていたのに、こちらが笑顔を見せると、応えて、笑顔を見せてくれる。絵本の中の象(エルマー)を一生懸命につかもうとする。目の前においたおもちゃを手をのばして、取ろうとするが、届かなかったり、行き過ぎたりしたことがあった(今は距離感ばっちりだが)そう考えると、人も生まれつき、見えるという能力があるのでなく、成長の過程で「習得」していくものなのだと思った。
脳での視覚情報の処理というのはそれほど厳密でなく、ぼんやりとしたイメージらしい。それを、人の表情を読み取ったり、距離感等経験によって身につけていく。だから、街中を歩いていても、視覚の洪水情報の中でも平気でいられるのだろう。
「モノを見るという行為の多くの部分は予備知識と予想を土台にしている」という記述を読むと「物事は心で見ないと良く見えない。一番大切なことは目に見えない」(星の王子様)を彷彿させます。しかし"心で見る"が故に錯覚が生じる事実も実に興味深い。これって「モノを見る」ことに限らず、"認識する"こと全般についても言えることですね。(例:文章を読む≠文章を味わう/行間を読む...)
見ることは像を網膜に写すだけ。それを物として認識するためには脳が複雑に働かねばならないことを初めて知りました
気にかかったのが、この本のスタイル。ウザイ。アメリカ式ハッピーエンドと言う感じまではいかないが、それに近いものがある。挫折をしらないという感じ。 -
三歳の時の事故で光を失ったマイク・メイ。しかし、持ち前の明るさと温かい家族に見守られて成長した。やがて実業家として成功、不満のない人生を過ごしていた。46歳になった時、見えるかもしれないという診断を受ける。しかし、彼は診察よりも、夫婦の時間を大切にしたいと考え、手術をためらう。そんな彼が、手術を受けようと決心し、きっかけを子どもたちに語る。その内容が心に響く。物事の捉え方ひとつで人生は変わるんだなあと実感した。今の自分を見つめ直すきっかけになる一冊。