- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784758430777
感想・レビュー・書評
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高校生の頃から幾度も読んでいる寺山修司。
耳に心地良い詩はどんなに年月が流れてもみずみずしい感動を運んでくれます。
言葉の端々に反戦の想いを感じる度、その凄絶な感情に胸が震えます。
高校生の時は寺山派か中也派かでよく盛り上がってました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さよならだけが人生ならば、……と言うその口で、別の詩ではさよならだけが人生だとつづる。
沸き立つ希望も何もないけれど、ほんの少しだけ救いがあるようななんだか寂しい詩集です。
寺山修二のキーワードは雲雀、母、父の不在
これら3つが、この詩集の中に多く登場します。場を変え、表現を変え、それでも伝えたいことは同じ気がします。それだけ彼の中に根付くものだったんでしょう -
詩だけではなく、短歌
俳句、歌謡詩、劇詩も収録されています。
「幸福が遠すぎたら」を
手元に置いておきたくて買いました。
とても、とっても好きな詩です。
他には、
「桜の実のうれる頃」と
「ぼくが死んでも」といい詩が好きです。
「幸福が遠すぎたら」は、
唐代の詩人・于武陵の『勧酒』を
井伏鱒二さんが訳した詩に対しての
アンサーソングのような詩。
井伏鱒二さんの詩は知らなくても、
「さよならだけが人生だ」という
フレーズは有名なので、
聞いたことがある方が多いかと思います。
最初と最後だけ、下記に
引用させていただきます。
-さよならだけが人生ならば
また来る春は何だろう-
-さよならだけが人生ならば
人生なんかいりません-
最高のアンサーソングだと思います。 -
「海が好きだったら」
本になにをかきのこすことが
できるだろうか
たぶんなにを書いても
すぐ消えてしまうことだろう
だが
私は水に書く詩人である
私は水に愛を書く
たとえ
水に書いた詩が消えてしまっても
海に来るたびに
愛を思い出せるように
彼の最初の試論『戦後詩』では、書物の世界に閉じ込もった現代詩における読者不在のモノローグ性を批判するとともに、読者とのコミュニケーションの場を生成するためにダイアローグとしての詩を主張している
詩人は、読者に話しかけるべきであり、そのためには、作者自身による朗読のすすめや、またあるいは歌手の身体を媒体として語りかける歌謡詩の可能性などにも言及した。
今日では、ごく当たり前の風景である詩人による朗読会や、パフォーマンスとのコラボレーション、あらにはリングの上で交わされる詩のボクシングマッチなども、身体によることばの回復というこの流れの上にあることは、あきらかである。
詩は作者の内部だけで自足するものではなく、読者に語りかけ、読者とのダイアローグによって成立するものだというのが、寺山修司の終生変わらぬコミュニケーション論だった。(白石 征) -
日本経済新聞社小中大
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こころの玉手箱漫画家 弘兼憲史(4) 寺山修司編「男の詩集」
2018/4/12付日本経済新聞 夕刊
高水高校付属中学で入部したのが体操部。しかし、自分の才能を生かす場はここでないと感じ、まもなくやめてしまう。続いて軟式テニス部に入るが、とにかく練習がめんどくさい。半年後に退部した。
気持ちにピタッとくる言葉に出合うたび何度も口ずさんだ
気持ちにピタッとくる言葉に出合うたび何度も口ずさんだ
最終的にはクラスで作った文集がきっかけとなり、文芸部を創部した。夏目漱石、森鴎外、三島由紀夫、大江健三郎らの作品を読んだ。トルストイらロシア文学にも挑んだが、こちらは登場人物の名前が覚えられず、苦戦した記憶がある。高校に進んでからは、北原白秋、萩原朔太郎、ボードレールらのまねっこをして詩も書いた。
早稲田大学では漫画研究会に所属する一方で、小説も執筆した。ある文学賞に公募したところ、最終候補4編に残った。前祝いをしようという友人たちの誘いに乗って、賞金2万円を当てにした飲み会を開いたところ、結果は受賞ならず。学生にとっては痛い出費となった。
そのころ読んだのが「男の詩集」。詩、短歌、演劇など幅広いジャンルで活躍した寺山修司が、ドイツの詩人で作家のエーリッヒ・ケストナーの「人生処方詩集」にならって、様々な詩を集めたものだ。
例えば「故郷を思い出したかったら」という章には「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で始まる室生犀星の詩、石川啄木の短歌「ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」、井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」(作詞は関口義明)の歌詞などを収める。自分の気持ちにピタッとくる言葉に出合うたび、何度も口ずさんだものだ。
そうした名作とは比べられないが、僕も自分の漫画には、はっとするような言葉を盛り込みたいと考えている。中高年の恋愛を描く短編「黄昏(たそがれ)流星群」を「ビッグコミックオリジナル誌」に現在連載中だが、ストーリー作りに悩むことはあまりない。でも状況を説明するナレーションや心情を示すモノローグの部分は、どういう言葉を使うかで結構考える。
そこで役立つのが、これまで読んできた詩や小説。常に引き出しの数を増やすように心がけている。 -
幸福が遠すぎたら という詩を手元に置いておきたくて買いました。
人生別離足る、をさよならだけが人生だ、と訳した井伏のセンスも素敵ですが、さよならだけが人生ならば、まだ見ぬ春はなんだろうとうたう寺山の心理の方に共感を得ます。 -
六ペンス、恋人に歌ってあげたかったら、幸福が遠すぎたら、ひとりというなのとり、かなしみというしみ
ちょっとユーモアというか、皮肉というのか、ひねりが効いているのが面白かったです。 -
再読。持ってることすら忘れていた寺山の詩集。詩集といっても、他の本に収録されている短歌や俳句も含めて雑多なセレクトなので統一感はあまりないのだけど、「時には母のない子のように」「さよならだけが人生だ」など、有名なフレーズを含む歌謡詩なども収録されていて寺山の守備範囲の広さがよくわかります。
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詩集が好き。
短歌や俳句は型にハマらないのがいいと言われてもつい音で句切ろうとするから読みにくかったり。