蒼蠅 新装改訂版

著者 :
  • 求龍堂
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本棚登録 : 14
感想 : 2
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  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763004475

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  • 読み直すたびに
    ほっ と
    はっ と
    ほおーっ と
    させられる

    空が雲を浮かべるように
    鳥が空を飛ぶように
    猫がごろんと寝転ぶように
    子どもがはしゃぐように

    思いのままに
    生きることを
    感じてしまう

    土門拳さんの
    写真がまたいい

  • 『絵を描くより、ほかのことをしているほうがたのしいのです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです』(わたしのことなど)
    『そんなときは一人でベソをかくんですね。そのベソをかいているほうに「このバカヤロー。」っていうんですね。それが面白いんです』(九十六の春)
    『面倒だから頼まれれば色をつけますが、わたしは好きじゃない。絵には色がない方が上品です。もっといえば白いキャンバス、白いままの紙の方が何か描いたものよりはずっとさっぱりして綺麗です。それよりよくはできないです』(硯墨筆紙)
    『わたしは、ぬけたような青空は好みません。まるでお椀でふたをされた感じで、窮屈です。それより少し薄曇りの空がいい』(かまきり)

    飾ったところのない言葉が並ぶ。「ない」のだろうか、「ないような」なのだろうか。もちろん、飾っていないからといって全てをさらけだして見せているわけではないだろう、と一応用心しつつ、この言葉から想像できる通りの人であったらばよいのに、と思わずにはいられなくなる。素面でこの本を読みたくない、という気持ちが沸々と湧いてくる。精神を少しばかり解きほぐすものが欲しくなる。

    恐らく、嘘はない、と思う。しかし相手は絵描きである。絵を描くとは対象物を写真のように写し取ることではない、と本人も言っている。それは対象物を自分のものとし、そこに何かを「のせて」紙の上に置く行為だ。とすれば、熊谷守一が自分のことを語るとき無意識の手習いで何かをのせてしまうこともあるかも知れない、と思う。たとえば、息子が病で亡くなった時に思わず筆を手にしてしまった心持ちは何も付け加えられたもののないものであった筈であるのに、知らず知らず自分が「絵を描いている」ことに気付いて筆を置いた、という出来事がこの本の中で語られている。そこに、自分の中にある形のないものを形に置き換える行為というものには、すべからく「脚色」という要素が忍び込んでしまうという事実が端的に表れているように見える。書くこと然り、話すこと然り、である。

    人は純粋なる「素」というものを他人に対しては強請る。しかしそういう無いものねだりのようなことをせずとも、ここにある熊谷守一の言葉には、取り繕ったような壁は少なくとも、ない。充分に既成の思い込みを打ち砕く力があり、表現としては不適切かも知れないけれど、ぎらぎらとしたもの、辺りを構うことのない態度、あるいは対象物へ向かう姿勢、というようなものが言葉の文字面の意味を突き抜けて飛び込んでくる。

    時にそれは悟りを得たものから発せられた言葉のような響きを持ち、またある時はどこまでも子供染みた駄駄の音がする。泰然自若、、、恐らく多くの人が熊谷守一の絵ではなくその暮らしぶりをを見てそう思うに違いない(書はその感慨を裏付けもする)。しかし、絵はどうだろう。そこには何かじたばたとした心が潜んでいるように思われて仕方がない。もちろん自分は絵を解するものではないけれど、じたばた、については多少の馴染みがあるので、感度が幾分あると自覚している。そのじたばたが他人からは少々誤解されてしまうというだけなのかも知れない。

    白いキャンバスの方が余程よいと言い、雲一つない空を窮屈だと言う熊谷守一。案外、その言葉は素に近いところを語っていて、人を惑わそうと変化球を投げて寄こしているわけではない、と考えてよいのかも知れない。そう思うことができたら、本人は全く泰然としたところなどないと思っていたのかも知れないなあ、と思えるようになってくる。自分は仙人などではないという訴えが、思いの他強い気持ちで発せられていたのかなあ、とも見えてくる。もっとも他人の事ばかり気にしてあくせくとしている人々からは、時代の今昔を問わずどうしても「仙人」のように見えてしまう熊谷守一ではあるけれど。

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著者プロフィール

1880年岐阜県に生まれる。裕福ながら複雑な家庭に育ち、のち家の没落にあう。東京美術学校西洋画科選科を首席で卒業。同級生に青木繁がいた。実母の死を契機に30代の6年間を郷里で暮らし、山奥で伐採した木を川流しで搬送する日傭(ヒヨウ)の仕事を体験する。1938年頃より、輪郭線と平面による独特な表現に移行し、近代日本洋画に超然たる画風を築く。自然に近い暮らしぶりとその風貌から「仙人」と呼ばれ、生き様、作品、書などが多くの文化人を魅了する。87歳のとき文化勲章の内定を辞退。俗世の価値観を超越した自由な精神で、ただ自由に自分の時間を楽しむことだけを願った生涯だった。1977年、97歳で亡くなる。自宅跡は豊島区立熊谷守一美術館となる。2015年9月、郷里の岐阜県中津川市付知町に熊谷守一つけち記念館が開館。

「2022年 『熊谷守一カレンダー2023年版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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