別荘 (ロス・クラシコス) (ロス・クラシコス 1)

  • 現代企画室
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  • Amazon.co.jp ・本 (557ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784773814187

作品紹介・あらすじ

ガルシア=マルケスと並ぶ「ラテンアメリカ文学ブーム」の立役者、
チリの巨匠の代表作、待望の邦訳!!

1973 年チリ・クーデタに触発されたドノソが、類い希なる想像力を駆使し、
偏執的とさえいえる緻密な構成で書き上げた、理屈抜きに面白い傑作。
後続する作家や世界の批評家たちを今なお魅了しつづける、ラテンアメリカ文学の金字塔。

とある小国の政治・経済を牛耳るベントゥーラ一族の人びとが毎夏を過ごす、異常な繁殖力をもつ植物グラミネアと、「人食い」原住民の集落に囲まれた別荘。ある日、大人たちが全員ピクニックに出かけ、別荘には33 人のいとこたちだけが取り残された。日常の秩序が失われた小世界で、子どもたちの企みと別荘をめぐる一族の暗い歴史が交錯し、やがて常軌を逸した出来事が巻きおこる……。「悪夢」の作家ホセ・ドノソの、『夜のみだらな鳥』と並ぶ代表作にして、二転、三転する狂気をはらんだ世界が読む者を眩惑する怪作。

「ロス・クラシコス」:スペイン語圏文学の古典的名作を紹介する現代企画室の海外文学新シリーズ。企画・監修=寺尾隆吉

感想・レビュー・書評

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  • 鉱山から採掘される金を叩いて金箔に加工したものを輸出することで莫大な財を成したベントゥーラ一族は毎夏使用人を引き連れ、マルランダと呼ばれる原野に築かれた別荘で避暑するのが習慣になっていた。別荘の周りは金の穂先をつけた槍で囲われ、その先はグラミネアと呼ばれるプラチナ色の穂を出す繁殖性の高い植物で一面が埋まっていた。屋敷と敷地内で過ごすほかない休暇に窒息し始めていた大人たちは、三十三人の子どもたちだけを屋敷内に留め置いて、自分たちは料理人や下働きの者を乗せた馬車を連ね、ハイキングに出かけることを思いつく。

    17歳になるフベナルを筆頭に、屋敷に残された従兄弟たちは、その日の夕刻には帰ると言って出かけた大人たちのいぬ間に、好き勝手、したい放題に過ごすのだったが、ウェンセスラオだけは、大人たちは帰ってこない。人喰い人種が襲ってくるので僕らを見捨てて逃げ出したのだと言い張る。原住民に人肉嗜食の習慣があったことは子どもたちも聞かされて知っている。時と共に屋敷内に募る不安のなかで、子どもたちはそれぞれの思惑に耽り、屋敷内には不穏な空気が満ちてゆく。

    ウェンセスラオの父アドリアノ・ゴマラは、ベントウーラ一族とは無縁の医師で、母バルビナとの結婚を契機に一族に参入した新参者だった。一族の栄耀栄華は、原住民を弾圧し、搾取した結果によるものと知ったアドリアノは、治療に携わるうち、原住民よりの考えを抱くようになる。その意見は一族の不興を買い、アドリアノは狂人として狭窄衣を着せられ塔に幽閉されていた。ハイキングは大人たちの留守を狙いアドリアノの奪還を策したウェンセスラオの計略によるものだったのだ。

    しかし、大人の留守を狙っていたのは、ウェンセスラオだけではなかった。帳簿付けを任されていたカシルダもまた、これを機会に金箔の塊を馬車に積んで持ち逃げを考え、異父妹であることで従兄弟の中で一人遺産相続権を奪われていたマルビナも一族への復讐を企んでいた。外ではアドリアノを仰いで蜂起するためにグラミネアに紛れて攻め寄せる原住民の集団、内では陰謀や復讐の企み。何も知らず、それまでの遊び「侯爵夫人は五時に家を出た」に耽る上の階の子どもたちは大人を真似て怠惰に倦み疲れ、背徳的にもペデラスティの悪癖に耽溺し、衣装倒錯や近親相姦の誘惑に身を捩じらせているばかりだった。うわべの華やかさの陰で、ベントゥーラ一族の腐敗と崩壊は後一押しのところまできていたのだ。

    鉱山から採れる金属資源を外国に売ることで莫大な利益を独占し、住民を虐げる権力を医師上がりの部外者が原住民を組織し戦いに打って出るも、外国からの支援を受けた元支配者と、その手先の反撃を受け、窮地に陥るといった図式は、作品が書かれた時代と、作家がチリ出身であることを考えれば、ピノチェト将軍がアジェンデ政権を倒した、9.11のクーデターを思い浮かべない者はいない。この小説を寓話として見る意見が多いのも無理はない。ただ、よく言われるとおり、寓話ほどつまらない形式はない。この小説、たしかに露骨なほど寓意を含んではいるが、この面白さに寓話などという解説は不要だ。

    まず、舞台となるマルランダを覆いつくすグラミネアという植物だが、外国人にだまされて種を撒いたのがまちがいのもと、生い茂る在来の樹木や草を飲み込み、見渡す限りの役にも立たぬ草原にしてしまい、もとの住民を山並みの向こうに追いやってしまう。何故かといえば、夏も終り、穂先から綿毛が飛ぶ季節になると折からの風に乗った綿毛は空を覆いつくし、顔はおろか体中に纏いつき人は息をすることもできないからだ。ラテン・アメリカ文学ならではの驚異的現実というやつだが、これだけではない。

    子どもたちが、原住民の蜂起に遭い、屋敷が混沌とした状況に陥る間、大人たちはピクニックを堪能しての帰路、近くの礼拝堂で休憩を取るが、なんとそこには襤褸をまとったカシルダとファビオの姿が。屋敷に起きた変事を知り、直ちに執事を中心に使用人たちで編成した部隊を屋敷に向かわせる大人たちだが、グラミネアの綿毛の脅威を恐れ、子どもたちの監督、処罰を執事に任せ、そのまま首都に引き返す。寓話といわれる所以だが、子どもたちが屋敷で遭遇した暴動騒ぎの一年が、大人たちが水辺の楽園で過ごした一日に当たるという、まるでアインシュタインの特殊相対性理論のような時間の流れ方の遅れが凄い。これぞ、マジック・リアリズム。

    作家自ら小説のなかに登場し、ベントゥーラ一族のモデルとなった一人に、書いたばかりの原稿を読み聞かせ、実際とちがうと言わせるなど、ポスト・モダン小説のはしりを感じさせ、さらに、メタ小説として、モデルとやりあう際の文体は卑俗なリアリズム調を、物語然とした別荘での出来事を叙述する際は時代がかったロマンティシズム溢れる華麗な文体を使用するなど、どこまでも意識的な小説作法を駆使した克明にして詳細な叙述は、道徳も倫理もかなぐり捨てたように、淫蕩にして放埓三昧に耽る年端もいかぬ少年少女の穢れきった遊び、飢えかつえた逃亡の果ての人肉嗜食にまで及ぶが、読者には登場人物を現実存在ではなく「言葉の作り出す世界のみに存在可能な象徴的存在」として受け入れてもらいたいといった所感を予め作中に登場する作家に言わせるなど、どこまで行っても食えない作家である。それでいて『シテール島への船出』を思わせるピクニック風景の臈長けた美しさなどは、他のラテン・アメリカ作家では味わえない官能美を湛える。酸鼻、叫喚、悪意ある哄笑を厭わぬ向きには推奨できる逸品といえる。

  • 「夜のみだらな鳥」よりは読みやすい。

    首都から3ヶ月の夏季休暇でマルランダの別荘に訪れるベントゥーラ一族。
    金箔を加工する原住民と遣り取りすることで莫大な富を得ている。
    ある日大人たちが召使たちを引き連れてハイキングへ。
    残された子供たちは別荘を取り囲むグラミネアや人食い人種を恐れながらも、茶番劇「侯爵夫人は五時に出発した」に熱中したり、別荘を囲む柵を抜いて槍としたり。
    一日なのに一年。
    時間が伸び縮みする。

    フリークスならぬ様々な「詭計」に満ち満ちた大人子供。
    後半では戻ってきた大人、執事、召使フアン・ペレスや原住民や外国人や入り乱れて詭計、詭計。
    結局はグラミネアの綿毛に埋もれていくすべて。

    凄まじい長編小説だった。

  • 33人のいとこ達が次々と入れ替わり立ち代わる一部は大変だが、物語が強引なまでに加速していく二部は圧巻だった。別荘の所有者であるブルジョア階級とその使用人たち、そして彼らと取引を行う原住民と外国人。それらの関係性が異変によって崩れ去り、緊張感を孕みながらもその物語を推進していくのは歓喜と欲望と捻れを抱えた子供たちであり、作者自身でもある。政治的批判こそ根底にあるのだが、想像力の飛翔ぶりがその意図以上の場所へ物語を連れて行き、その面白さは次々と誘爆してくかの様に拡大する。夜みだ同様、とんでもない本であった。

  • 別荘 in マルランダ
    そのまわりを囲む・グラミネア(槍+植物)
    遊戯:「侯爵夫人は午後5時に出発した」
    (元ネタ:ブルトン/ヴァレリー)想像力への自由

    ・ベントゥーラ一族(兄弟姉妹)とその配偶者
    ・その子どもたち(いとこ同士)35-2=33人
    ・使用人
    ・金を献上してくる原住民≒人食い人種

    作家はチリ出身だからこの物語の舞台はいちおう南米であるのだろうなあと想定したが、草上の昼食の模倣(マネですな)かゼウスのふりそそぐ金の雨(クリムトのダナエですわ)というような表現があって、外国人にコケにされる南米の田舎成金がずいぶんヨーロッパの文化にかぶれたもんだというのも、いまいち説得力をもたず鼻白む。(あまり面白く読めなかった)

  • 発刊当時に一気読み。
    いずれ再読したい。

  • 建物が1つもない広大な大地。夕暮れ時。空と地平線。ちらほら薄い茜色には星が見え始めている。なんという美しさだろうとため息をつきながらも、自分はいてもいなくても変わらずに景色は毎日そこにいて、食糧や排便も要求しない尊い存在。こういう景色は最近雑誌の広告かなんかでしか見られなくなり、現代人はスマホしか見ない。綿毛がイナゴの大群のように押し寄せ、人命を危うくする脅威に怯える人達が外を伺う様子が、はるか昔暗いうちから家を出て学校へ行く道程で、ずっと毎日雲を追いかけていた頃を思いだし、それよりも前に書かれた物語。

  • 文学

  • あまりよくわからないまま読み進めていって、ちんぷんかんぷんのまま終わってしまいました。それでも、なにやら生々しく鮮烈な印象をいろいろ受けました。怪作、という表現がぴったりかも。(2017年5月28日読了)

  • これは傑作。長いが、どこまで覆わらないようなめくるめく語りが持ち味で、難解でもなく延々と読むのが快楽になる。
    金持ちベントゥーラ一一族の大人たちばかりが一日のピクニックに出かける。残された33人の従兄弟従姉妹たちが巻き込まれる恐るべき悪夢とは…ピクニックは1日なのか1年なのか?ピクニックに行った桃源郷はリアルなのか?浦島太郎のように時空が歪む。視点は子供、召使、大人、超越した語り手(作家)を移り歩く。現実なのか虚構なのか協会がないままに、大勢の登場人物によってそれぞれ、セックス・出産、狂気、殺人、人食い、タブーのないめくるめく狂気が吹き荒れる一大絵巻。年齢にはあり得ない分別や知性、行動力を発揮する子供達。素晴らしい構成力だが巻頭の人物一覧は必須だ。
    また、舞台となるマルランダを覆いつくし凄まじい生命力を持つグラミネアが、別荘の荒廃と共に敷地内に侵食し荒野に変えていく、別荘を取り巻いていた槍が引き抜かれ無防備な姿をさらす、といった儀描写がもたらすイメージが極めて豊饒。グラミネアはてっきり架空の植物かと思えば、Google画像検索では可憐な白い花をつけた水草が表示されるではないか。ラテンアメリカ小説のマジックリアリズム。

  • 20150505 登場人物の多さで頭が混乱し、断念。

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著者プロフィール

1924 年、チリのサンティアゴのブルジョア家庭に生まれる。1945 年から46 年までパタゴニアを放浪した後、1949 年からプリンストン大学で英米文学を研究。帰国後、教鞭を取る傍ら創作に従事し、1958 年、長編小説『戴冠』で成功を収める。1964 年にチリを出国した後、約17 年にわたって、メキシコ、アメリカ合衆国、ポルトガル、スペインの各地を転々としながら小説を書き続けた。1981 年、ピノチェト軍事政権下のチリに帰国、1990 年に国民文学賞を受けた。1996 年、サンティアゴにて没。
代表作に本書『別荘』(1978 年)のほか、『夜のみだらな鳥』(1970 年、邦訳は水声社より近刊予定)、『絶望』(1986 年)などがある。邦訳書:『境界なき土地』(1966 年、邦訳2013 年、水声社)、『隣の庭』(1981 年、邦訳1996 年、現代企画室)

「2014年 『別荘』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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