これからの時代を生き抜くための 文化人類学入門

著者 :
  • 辰巳出版
3.51
  • (8)
  • (7)
  • (16)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 323
感想 : 23
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784777828739

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 性、経済、宗教などがテーマ。プナンはシェアの理念が根づいているからありがとうの言葉はない。というのが興味深かった。ピダハンを思い出す。

    第4章の宗教ではバルネオ島先住民の複葬が出てくる。白骨化するまで死体を安置する。
    埋葬の仕方によって死の受け入れ方が変わってくるだろうとより世界の葬儀について知りたいと思った。

  • 社会学と社会人類学はかなりオーバーラップするところがあって、その違いってなんなんだろうと思い、手に取った。
    どちらも常識の関節外しではあるんだけど、人類学分野はあまりにも遠回りというか、社会の前提というより、文字通り人類のそもそもを問う学問という感じがして気が遠くなる。
    どこにでも順応出来て冒険が楽しい人にとってはたまらないんだろうけど。
    逆カルチャーショックを得るまでの過程があまりにも長いと私は思ってしまった。

    P.130
    インドネシアの民族・プナンは日ごろ、居住地やキャンプから少しだけ離れた森の中の「糞場」で、人目につかないようにして用を足します。州政府が、衛生政策として作ったトイレには目もくれません。それらは、吹き矢やライフル銃だけでなく、木材伐採キャンプから拾ってきた廃材や洗濯ものなどの物置になっています。
    プナンは、糞場を通り過ぎる時、これは、昨日食べ過ぎた誰某のものであるとか、腹を下している誰某のものであると意見を述べ合うことがあります。
    そのようにして、居住空間の近くにまき散らされた糞便は、他の狩猟キャンプメンバーの目にさらされ、品評の対象となるのです。糞便のにおいや色つやは、メンバーの食と健康の指標なのです。
    ところである時、プナンの父子を町に連れていき、一緒にホテルに泊まったことがありました。部屋には、水洗式のトイレとシャワーが一体化したレストルームがついていました。
    十五歳の少年は最初、レストルームの扉を開けっぱなしにして小用を足しました。その後、トイレを流さないで出てきました。私が扉を閉めてするように言うと、しばらくすると不機嫌な顔でレストルームから出てきました。
    その後、父親と二人きりになり、息子のトイレの利用の仕方に話が及んだ時、彼は、他の誰かがすでに使った、狭く薄暗い密閉された空間で用を足すのを、好ましく思っていないという趣旨のことを話しました。確かにプナンのやり方から見れば、場所はどこにでもあるのに、みなが同じ閉鎖空間で用を足すというのは理解しがたいのではないかと、私は感じました。定住地でもトイレ利用がなかなか進まないことにも、同時に納得がいきました。
    糞便処理に関しては、赤ん坊に対するそれが印象深いです。赤ん坊は、固形物を口にするようになると、糞便をするようになります。オムツ・オシメのたぐいなどはありません。赤ん坊が便を垂れ流すと、母親が猟犬のうち狩猟のうまくない犬(通称アホ犬)を呼び寄せます。イヌに赤子の肛門をなめさせて綺麗にするのです。イヌが赤ん坊の肛門をぺろぺろなめると、赤ん坊は気持ちがいいのとこそばゆいのとで、きゃっきゃっと騒いで喜びます。

    P.136
    プナンの親子と町に出かけたときのことです。町には大きな道が三本平行に走っていました。私は彼らに「その真ん中の道筋のちょうど真ん中あたりにホテルがあるから、どこかに出かけて帰ろうとする場合には、そのことを思い出してほしい」と教えました。
    すると、大人たちは「その説明ではいったいどこにホテルがあるのかさっぱりわからない」と言うのです。そのうち一人は、「川はどこに流れていて、どっちが上流でどっちが下流なのか」と聞き返してきました。それで、私たちはまず、町の端に流れている川の岸に行って、そのことを確かめました。プナンには、上空から眺めて位置取りをする地図の想像力は備わっていなかったのです。
    ここで見たように、なじみの薄い土地に長期間とどまって、参与しながら観察を行う文化人類学者は、「ある」べきものがないという、逆立ちした不思議な経験をします。そのことは、自称や現象をその根源まで立ち返って考えてみることの手がかりとなります。

    P.159
    私たち現代の日本人は、学生も社会人も常に時間に追われています。しかし、狩猟採集民は時間に追われるということはまずありません。
    しばしば勘違いされやすいのですが、人類は狩猟採集を行っている時期、常に食べ物の不足に怯え、あくせくと森に分け入り、獲物を探していたと思われるかもしれません。そして、農耕や牧畜が始まり、食べ物をストックするようになって、飢えに苦しむ心配はなくなったという「進化」的な歴史認識を持っているのではないでしょうか。
    マーシャル・サーリンズというアメリカの人類学者が明らかにしたことですが、実は狩猟採集民が狩りや採集を行うのは、非常にごくわずかで、それ以外の時間は休んだり、ゆったりと過ごします。ところが、農耕や牧畜になると四六時中、作物や家畜の世話をしなければならなくなり、むしろ忙しいのです。

    P.200
    アフリカのアザンデの人々は、暑い日中、穀物小屋の下でよく休憩をしています。穀物小屋は、長年のうちに柱をシロアリに食われて崩れることがしばしばあります。小屋がシロアリのせいで崩れるということは、アザンデの人たちもよく知っていることです。それにもかかわらず、人が休憩している時に穀物小屋が崩れて、下敷きになりケガをしたり、場合によっては死んだりすることがあったなら、それは妖術のせいだとアザンデの人々は言うのです。
    「シロアリに食われて小屋が倒れた」という説明は「どのようにして小屋が倒れたのか」の説明になっています。英語で言うならば、「How」です。しかし、その説明では、なぜ、自分たちが休憩している日この時間、この場所で小屋が倒れたのかは説明されていません。アザンデの人たちが、「妖術によって小屋が倒れた」と言うのは、どうして倒れたのかではなく、「なぜこの時、この瞬間に倒れたのか」、英語で言うならば「Why」に対する回答ということになります。
    合理的・科学的な説明に慣れた私たちは、なぜ小屋が倒れたのかと聞かれれば、それは「How」、つまりどのようにして倒れたのかと聞かれたと思い、シロアリに食われたからだと説明するでしょう。なぜ、この瞬間に起きたのかと問われれば、「それはたまたまだ。偶然だよ」と言う他ありません。
    しかし、アザンデの人たちはそれを偶然とは考えません。この災いがちょうどある人物が休んでいる瞬間に起きたのは妖術のせいなのだ、と説明するのです。そのようにして納得します。こう考えると、アザンデの人々の説明もまた非常に理に適っている、合理的な説明であると言えるでしょう。
    このようなことは、例えば、病気の告知などについても言えるでしょう。がんになり余命宣告を受けた時、人は「なぜ俺が」「なぜ私が」と問うでしょう。しかし、医師が説明するのは、病気がどのように発生し、進行しているのかということばかりです。なぜこの時、この瞬間に自分ががんになったのか、他でもない自分なのかという問いには答えていません。
    科学的な指向だけを合理的で真実だと考えてきた私たちは、アザンデの人々が妖術をつうじて説明する「もうひとつの合理性」を忘れかけているのではないでしょうか。

  • 文化人類学の基本的な様態から、筆者の体験談まで本書に入っていて、読みやすく、学問のイメージをするには丁度良いくらいの内容だった。
    人間に優等も劣等もなく、ただ生きてきた形跡と築かれた様式があるだけ。
    それをフラットに観察するには、奢りを捨ててその人たちとともに暮らし、まさにその人たちに馴染むことが肝要だ。
    帰ってきたあとに、元の自分と比較し、人間のあり方を考察していく。

    自分以外の誰かの「誰か」は、思った以上に狭いもので、世界は自分の想定を超える文化圏で生きている人たちがいて、それを生理的に受け入れられないことも多々あるが、それはそれとして認める以外にないし、そのような態度が倫理としてあるべきなのかなと、思った。

  • 2023/07/07 amazon p499

  • 作者のフィールドを例に取り、文化人類学とは、文化とは、フィールドワークとは、異文化理解とはなんなのかをさまざまな切り口でまなべる。

  • 性・経済・宗教などの切り口で、現代日本の規範からは想像もできないような文化を持った集団を例に、文化人類学とはどういうものか、どういう思考をもって世界を見ると発見が得られるのか、といった事例が語られている。

    文化人類学というとどうしても人とその文化が主眼に置かれるが、人の生活を構成する自然や生物も含めた人新世という考え方は、今までの自身になかった視点だったのでおもしろく読めた。

    一番興味深かったのが、著者の思考の形成過程を旅と共に紹介する最後の章で、それまでの章で語られていた言葉がどのような背景を持ったものなのかがなんとなく想像できる。

    文化人類学という学問に興味を持ったがどのようなものかわからない、といったタイミングで読むのが良さそう。

  • 白人中心の進歩史観にレヴィストロースらが文化人類学で比較文化論を唱える。白人中心から、文化の相対性を主張し、底から白人中心の発達史観の見直しを迫った。
    そして今や、人間中心の考えから人間以外の生物環境へと視野を広げた環境学になっていく。「これからの」というだけある内容であった。
    インセントタブー:近親相姦の禁止 他部族との女の交換ー閉ざされる集団は自滅
    魚類など 卵たくさん→子孫確率を高めるため
    哺乳類 一度の行為で最大化 睾丸が大きくなり、乱交で妊娠確率を高める 
    二足歩行→視覚→前面(胸 口唇が赤くなる=発情期)
     ヒトは通年可能となる 保護者確保のため 一妻多夫制 

  • 性、共同体、宗教について。資本が力を持ちすぎた今日、互酬性を特徴とする社会を回復することが一つのヒントになるのかなぁと思ったり。

  • 武蔵野大学図書館OPACへ⇒https://opac.musashino-u.ac.jp/detail?bbid=1000247801

  • 古典的な文化人類学については、著者の専門であるボルネオ島プナンの先住民族の生活様式などを中心にして、性・経済・共同体の観点から詳説されている。
    現代的な文化人類学については、ヒトが地球の生態に影響を及ぼし始めた時点以降を人新生と定義し、ヒトを単独で扱わずに地球システムにおける構成要素の一つとして相対化するもの、として概説されている。

    全体的には、これから文化人類学を志そうとしている若者向けかと思います。

全23件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

立教大学異文化コミュニケーション学部教授。
著作に『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(2018年、亜紀書房)、『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』(2022年、辰巳出版)、『人類学者K』(2022年、亜紀書房)など多数。
共訳書に、エドゥアルド・コーン著『森は考える──人間的なるものを超えた人類学』(2016年、亜紀書房)、レーン・ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ──シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』(2018年、亜紀書房)、『人類学とは何か』(2020年、亜紀書房)。

「2023年 『応答、しつづけよ。』 で使われていた紹介文から引用しています。」

奥野克巳の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×