不安の書: リスボン市に住む帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの

  • 新思索社
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  • Amazon.co.jp ・本 (649ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783511960

作品紹介・あらすじ

終生、リスボンの貿易会社の仕事にたずさわりながら、もっとも先鋭的な作品をのこしたフェルナンド・ペソアは、生前ごく少数の理解者を得たにとどまり、1935年、ほとんど無名のまま47歳の生涯を終えた。没後、膨大な遺稿が徐々に刊行されるに及んで、その現代性が高く評価され、ペソアは20世紀前半の代表的な詩人のひとりと目されるようになった。1982年に刊行された『不安の書』は、ヨーロッパの各国語に翻訳され、今なお多くの読者を魅了してやまない。存在の不安、自己のアイデンティティの危うさ、生の倦怠、夢と現実の対立と交錯が、リスボン在住の帳簿係補佐の手記という形式を借りて語られた。現代世界文学の傑作とされる。本書は、1986年刊行の全集版を底本に、1999年にサンパウロで刊行されたゼニス版をも参照した完訳である。

感想・レビュー・書評

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  • 「EUフィルムデーズ 2022」のオンライン上映で、ジョアン・ボテーリョ監督の映画「リカルド・レイスの死の年」を観て、サラマーゴの原作本ではなく、ペソアの方へ来てしまった。
    ペソアは、終生、リスボンの貿易会社の仕事に携わったというが、本書は、リスボン在住の帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの手記として綴られている。
    どうしても、保険局に勤めながら作品を執筆したカフカのことを思い出してしまう。
    同時に、「ブル・シット・ジョブ」という言葉も脳裏に浮かぶ。
    また、本書を読んでいると、リルケ『マルテの手記』によく似た雰囲気を感じる。/

    “Hellow darkness,my old friend
    I‘ve come to talk with you again”
    (ポール・サイモン「サウンド・オブ・サイレンス」)

    いずれにしろ、大好きなトーンだ。どうやら今は、この本が一番しっくりくるようだ。
    一つ一つが短い手記から成り立っているので、やはり断章を寄せ集めたベンヤミン『パサージュ論』と同じで、いつも集中力を欠いていることの多い僕にはピッタリだ。
    収集家泣かせの本でもある。どれもこれも持って帰りたい文章ばかりだが、とてもじゃないが、全部はリュックに入りきらない。どの石を置いて帰るべきか、しばし河原に立ちすくむ。/

    ペソアは生前、母国ポルトガルにおいても、無名の存在だった。生前刊行されたのは、英語の詩集三冊と、母国語の詩集一冊のみだった。
    一九三五年、大型の収納箱にいっぱいの草稿を遺して亡くなった。七年後、遺稿が整理され、最初に刊行されたのは、本名ペソアとその三名の「異名」者、アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスの詩集だった。
    八二年に刊行された本書は、ペソアが長年にわたって構想を練り、断章を書きためたまま世を去った後、異なる編者によって何種類かの版が刊行されている。
    本書は、一応、架空の著者ベルナルド・ソアレスの自伝という要素が強いものと考えられるが、普通の書物とは明らかに異なっており、様々なテーマに関する散文詩、日記的なテクスト、哲学的な瞑想、社会学的な観察などの断章からなっている。
    最新版の編者リチャード・ゼニスは言う。『不安の書』に決定版はありえず、理想的な編纂法はルーズリーフ式のものであろう。なぜなら、それならば、読者がその時々の好みによる配列で読むことができるから。(高橋都彦「フェルナンド・ペソアと『不安の書』」より。)/

    【あのあたりでわたしは日の暮れるまで、そうした街路の生活と相似た生活感覚を感じつづける。昼間、そうした街路は、何の意味もない喧騒に満ちている。夜になると、何の意味もない喧騒の欠如に満ちている。わたしは日中、無であり、日が暮れれば、わたし自身になる。
    ー中略ー
    そのような緩慢で空っぽの時間には、わたしの全存在の悲しみが、すべてがわたしの感覚であると同時に、わたしには変えることのできない外部の物だという苦みが、わたしの心から頭へと上がってくる。ああ、何度わたし自身の夢が物となってわたしのなかに上がってきたことか!】(6)

    【われわれは本来の自分ではなく、人生は素早く悲しい。夜の波音は夜そのものの音だ。そして何と多くの人が、深みで泡だちくぐもった音をたてて闇に消えていく永遠の希望のように、その音を自分の心のなかで聞いたことか!】(8)

    【わたしは自分が誤りであり、間違いだったこと、一度も生きたことがなく、時間を意識と思考で満たしたというだけで存在したに過ぎないのが分かる。
    ー中略ー
    わたしは、そこにどのようにしてやってきたのか分からずに突然、見知らぬ町にいるのに気づいた旅人なのだ。そして、記憶を失い、長い間、別人になっている人たちの、そういう事例が頭に浮かぶ。
    ー中略ー
    しかし町はわたしには未知で、街路はなじみがなく、病気には治療法がない。
    ー中略ー
    ほんの一瞬のことで、わたしは自分自身を見た。その後、もう自分が何であったのか言うことすらできない。そして、最後に、眠くなる、なぜか、意味のあるのは眠ることだと思うからだ。】(37)

    【しばらくペンを執っていない。生きることなく数カ月が過ぎ、事務所と生理現象の間でじっと耐え、心のなかは考えるのも感じるのも沈滞している。(略)腐敗のなかで醗酵が起きている。
    しばらくペンを執っていないだけでなく、存在すらしていない。(略)事務だけしか意識せずに事務を執るが、気を散らさずにかと言えば、そうとは言えないだろう。(略)
    しばらく存在していない。(略)誰もわたしを普段とちがうとは思わない。
    ー中略ー
    わたしは少なくとも悲しいと感じられ、このわたしの悲しさが今ーー耳で見たのだがーー通り過ぎる路面電車の突然の音、話をしている若者たちの思いがけない声、生きている町の忘れられたざわめきと交差したのを意識することができる。
    しばらくわたしはわたしではない。】(74)

    【今日は、すべてが単調に感じられ、監獄に入ったように重苦しい日だ。
    ー中略ー
    わたしの望みは逃げ出すことだ。知っていることから逃げ出す、自分のものから逃げ出す、愛するものから逃げ出すことだ。(略)この場所ではないどこかへーー村でも未開地でもーー旅発ちたい。
    ー中略ー
    奴隷状態はこの世の掟であり、ほかには掟はない。なぜなら、これは守られなければならず、反抗はありえず、逃げ場は見つからないからだ。】(80)

    【今日、突如として、ばかげていて、しかもぴたりという感覚をもった。内なる閃きにより、自分が何者でもないことに気づいた。何者でもない、まったく何者でもない。
    ー中略ー
    わたしは、存在しない村の郊外であり、書かれていない本に対する冗長な論評だ。わたしは何者でもない、何者でもないのだ。】(95)

    【しかしながら、わたしは感情を他人に伝えたい、つまりそれを芸術にしたいと考えていると仮定しよう。というのは、芸術は他人とのわれわれの内的な同一性を他人に伝えることだからだ。】(97)

    【明日、わたしも銀通りから、金箔師通りから、織物商通り(略)から姿を消すのだろう。明日、わたしもーー感じ考える心であり、自分にとって宇宙であるわたしもーーそう、明日わたしもこういった街路を通るのをやめた者、「あの男はどうしたのだろう?」と、ぼんやりと他人が思い出す者になるのだろう。そして、わたしの行なうすべて、感じるすべて、体験するすべては、どこか都市の街路の日常性のなかで一人少なくなった通行人に過ぎないのだろう。】(144)

    【ふたつしか運命はわたしに与えてくれなかった。何冊かの会計簿と夢見る才能だ。】(365)

    【そして、この本を、美しくて役立たないと承知しているので、おまえにやろう。この本は何も教えてくれることはなく、何も信じさせず、何も感じさせない。(略)わたしはこれを作るのに全霊を注いだが、そうしながらそれを考えず、悲しいわたしと、誰でもないおまえのことしか考えなかった。】(434)

    【起き上がり、窓辺にゆき、とても勇気のいる決心をして鎧戸を開ける。明るい雨の一日がきらめき、わたしの目はくすんだ光で溢れる。ガラス窓も開ける。涼気が火照った肌を湿らす。そう、雨が降っている、相変わらずだが、どうやら小降りになった!わたしは新鮮な気分になりたい、生きたい、そして巨大な軛(くびき)に向けてするように生活に首を差し出す。】(439)

    【あらゆる苦悩、不安、衝撃をそなえた人生も、よい連れのいる(そしてそれを娯しむことのできる)ときには、古い乗合馬車の旅のように、素晴らしくて娯しいものにちがいない。】(448)

  • 4.05/145
    内容(「BOOK」データベースより)
    『終生、リスボンの貿易会社の仕事にたずさわりながら、もっとも先鋭的な作品をのこしたフェルナンド・ペソアは、生前ごく少数の理解者を得たにとどまり、1935年、ほとんど無名のまま47歳の生涯を終えた。没後、膨大な遺稿が徐々に刊行されるに及んで、その現代性が高く評価され、ペソアは20世紀前半の代表的な詩人のひとりと目されるようになった。1982年に刊行された『不安の書』は、ヨーロッパの各国語に翻訳され、今なお多くの読者を魅了してやまない。存在の不安、自己のアイデンティティの危うさ、生の倦怠、夢と現実の対立と交錯が、リスボン在住の帳簿係補佐の手記という形式を借りて語られた。現代世界文学の傑作とされる。本書は、1986年刊行の全集版を底本に、1999年にサンパウロで刊行されたゼニス版をも参照した完訳である。』

    原書名:『Livro do Desassossego』(英語版『The Book of Disquiet』)
    著者:フェルナンド・ペソア (Fernando Pessoa)
    訳者:高橋 都彦
    出版社 ‏: ‎新思索社
    単行本 ‏: ‎649ページ

    メモ:
    世界文学ベスト100冊(Norwegian Book Clubs)

  • もし娯しんだのであれば、わたしたちは失敗した(もしも愛しただけであれば、死んでもよい)。(92)/日中のとてつもない明るさのなかでは、音の落着きも黄金のように輝いている。いたるところに柔らかさがある。もしも戦争があると言われたなら、戦争はないと言うだろう。こんな日には、柔らかさ以外には何もないことを乱すものは何もありえない。(224)。/…...そして永遠の午後、真の大陸の中心にある冷たく厳かな遠い川岸の百合。 ほかには何もなく、それでも真実だ。(251)

  • 少しずつ読み進め、読むのに一年がかり。
    読み終えても読み終えた気分にはならず。

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著者プロフィール

Fernando Pessoa (1888-1935)
20世紀前半のヨーロッパを代表するポルトガルの詩人・作家。
本名のフェルナンド・ペソアだけでなく
別人格の異名カエイロ、レイス、カンポスなどでも創作をおこなった。
邦訳に上記4名の詩選『ポルトガルの海』(彩流社、1985年/増補版1997年)、
『アナーキストの銀行家 フェルナンド・ペソア短編集』(彩流社、2019年)ほか。
散文集『不安の書』は、ペソア自身に近い男ソアレスの魂の書。



「2019年 『不安の書【増補版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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