歌について 啄木と茂吉をめぐるノート

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  • 思潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783738275

作品紹介・あらすじ

転形期を読む


私はこのふたりのうら若き歌人を、一方から一方へと見るのでなく、一方に加担するのでもなく、その折々を、どこまでも平衡感覚のなかで眺めることで、私なりに明治末期という転形期の時代相をとらえてみたいと思った。
(「私にとって歌とは何か」)

文学的挫折をへて『一握の砂』を刊行、揺れる時代を鋭敏な感性で切り拓きつつも夭折した石川啄木。「アララギ」の師・伊藤左千夫との対立のなかで自らの歌と歌論を磨き上げ、『赤光』に至る斎藤茂吉。二人の若き歌人の、ときにすれ違い、ときに重なる足跡を辿り、近代短歌の結節点をとらえなおす交差的批評。装幀=髙林昭太

感想・レビュー・書評

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  • 私が短歌でお世話になっている「岸和田図書館友の会」の「詩」と「文章」の教室の講師を永年されている倉橋健一さんの本。啄木と茂吉の短歌について書かれているので早速読んでみる。しかし図書館にあったのですが、持ち出し禁止の本なので、館内で一気に読んでしまう。

    走り書きにメモしたのは・・・、
    短歌や俳句という短詩型の文学は「集中」と「縮み」であると。
    茶道の要義は、「不完全なもの」と崇拝するとある。人生とは不可解なもののうち、何か可能なものを成熟しようとするようなものである。
    啄木にとっては、短歌は一つの玩具にに過ぎないと。
    茂吉が褒めた、啄木の歌「焼跡の煉瓦の上に小便をすればしみじみ秋の気がする」
    明治40年が、口語自由詩の分岐点である。
    啄木と「自然主義」「湾曲的思考」
    斎藤茂吉と伊藤左千夫の師弟関係
    啄木にとっての「妻節子の家出」と「大逆事件」
    茂吉の言う「四三調の結句」〇、「三四調の結句」✕
    短歌の主観的情緒詩を科学的算術的にのべる
    茂吉は短歌は「意味の連続性でも要求する」「単心なるものがいい」「単心は深きを意味し、印象なることを意味し、さらに個性的な性質のものだ」
    「作歌の際は出鱈目に詠む」「歌のこころで詠む」「Drang」
    「啄木」と「牧水」
    晩年「歌など捨ててもよいと言い切った」啄木と、「何がなんでも万葉を様とする伝統詩歌としての歌を守りたい」という茂吉。相反する位相ですが・・。

    そしてこの本ある面、倉橋先生の青春ノートでありともおっしゃってる。
    あらゆる面でますます、深く知りたくなる、ということで、一度我が短歌会に倉橋先生をお呼びしてお話をお聞きしたくなりましたな・・・。

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著者プロフィール

詩人、文芸評論家。昭和9年、京都市生まれ。同人詩誌「山河」「白鯨」を経て、現在、総合文芸誌「イリプスⅡ」主宰。詩集に『区絵日』『暗いエリナ』『藻の未来』『異刻抄』『化身』(地球賞)『唐辛子になった赤ん坊』『現代詩文庫 倉橋健一詩集』など。評論に『抒情の深層』『世阿弥の夢』『詩が円熟するとき――詩的60年代還流』など。

「2020年 『人がたり外伝 大阪人物往来』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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