『華厳経』全体を通して、普賢菩薩(ふげんぼさつ)は主人公といっていい立場。「みんなで普賢菩薩のような人になろうよ」というのが重要なテーマのひとつでもある? 普賢菩薩さんって、どんな人なの? かっこいいの?
◆疑問点
○普賢菩薩とは?
梵名のサマンタ・バドラとは「普く賢い者」の意味であり、彼が世界にあまねく現れ仏の慈悲と理知を顕して人々を救う賢者である事を意味する。また、女人成仏を説く法華経に登場することから、特に女性の信仰を集めた。
密教では菩提心(真理を究めて悟りを求めようという心)の象徴とされ、同じ性格を持つ金剛薩埵と同一視される。そのため普賢菩薩はしばしば金剛薩埵の別名でもある金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)とも呼ばれる。
(以上 Wikipedia 普賢菩薩)
智慧の文殊菩薩といっしょに、釈迦如来の脇侍を勤める。助さん、格さんみたい。普賢菩薩は、理・定・行をつかさどる菩薩。いつも白い象に乗っているんだね。象は徹底した行いの象徴だゾウ。⊂^j^⊃
○菩薩ってそもそもなに?
菩薩(ぼさつ)、梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva]の音写)は仏教において、成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者。
後に菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象となっていった。
すでに悟りを得ているにもかかわらず、成仏を否定した菩薩も創造された。これは仏陀自身の活動に制約があると考えられたためで、いわば仏陀の手足となって活動する者を菩薩と呼ぶ。
この代表者が、釈迦三尊の文殊菩薩と普賢菩薩である。彼らは、釈迦のはたらきを象徴するたけでなく、はたらきそのものとして活動するのである。他にも、観世音菩薩、勢至菩薩なども、自らの成仏とはかかわりなく、活動を続ける菩薩である。 (以上 Wikipedia 菩薩)
普賢さんて、「無住処涅槃」の人なのか?
○普賢行ってなに?
『華厳経』の「普賢行品」によると・・・原田 霊道「現代意訳 華厳経」
まだ途中。