「心の闇」と動機の語彙: 犯罪報道の一九九〇年代 (青弓社ライブラリー 78)
- 青弓社 (2013年12月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (171ページ)
- / ISBN・EAN: 9784787233660
作品紹介・あらすじ
神戸連続児童殺傷事件など、1990年代の犯罪事件の新聞報道を追い、「心の闇」という言葉が犯罪や「犯人」と結び付くことで、私たちの社会に他者を排除するモードをもたらしたことを明らかにする。そのうえで、他者を理解し関係を再構築していく方途を示す。
感想・レビュー・書評
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「心の闇」という表現そのものに焦点を当てた一冊。
第一章ではライト・ミルズの動機の語彙論を引き、「動機が判る」という事は一体どういう事なのかを論じる。
二章では新聞記事を通じて「心の闇」と言う表現が使われ出し・一種の形容表現と化し・そして情報の受取り手に対しても広がって行った課程を酒鬼薔薇事件の記事から抽出し、「心の闇」というタームが理解しなければならない/が理解することは到底出来ないという二つの意味を同時に発している、と論。
三章では「心の闇」という言説が広く使われ始めた酒鬼薔薇事件に対して大学生に対して行った質問から、情報の受け手側の受容の形式――「動機が判る/判らない、またどうすれば判りうるか」を分析。
四章では酒鬼薔薇事件以降の「心の闇」表現から豊かな社会/キレる(非行を通り過ぎる・理解不能な)逸脱者、またいい子にみえたのに/得体の知れない不気味さ、という言説の中の二つの方向性を見、また「心の闇」表現に精神医療の言語が導入されていく課程を見る。
五章では「物語モード」「論理-科学的モード」を引き、「心の闇」という従来の「物語モード」の動機理解の危機を契機に、「論理-科学的モード」に近い精神医療の言語が動機理解に導入されることによって、まさに行為を行った人物へのアプローチではなく要因→犯罪という個人の要素を省いたアプローチ方法に変容しているのではないかと論じる。 -
1990年代以降の少年犯罪報道に焦点を当て、そこにおける「心の闇」なる言葉の使い方から犯罪報道の社会的役割について述べられた論考。少年犯罪言説で頻繁に使われるようになった「心の闇」なる言葉が、現代の若年層そのものをある種の「病理」として描き出し、そこから社会を「理解」してしまうスタイルが如何にして広がっていったかが立証されている。
少年犯罪者、さらには若年層をめぐる「不可解さ」をめぐるメディア上の(読者も含めた)やりとりが社会の転換すら生み出してしまうという点を指摘しているという点で、おそらく多くの社会学者に反省を迫るものであるかもしれない。1990年代から現在に至る若い世代を「切断」してしまう言説(そしてそれには当の若い世代自信も関わっている)を批判的に捉えるために欠かせない一冊だ。