フリ-クス: 秘められた自己の神話とイメ-ジ

  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (433ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791750672

感想・レビュー・書評

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  • 2011.05.10-
    外国人はやっぱり力士を人工フリークって思うんだ。そうだよね。

    「過剰な肥満というものはどういうわけか典型的な女性性を、そして怪物的な痩身は男性性を表しているように感じられる」

    「誰もが男か女のどちらかにはっきりと区別されて生まれてきて、それゆえ、そのどちらかとしてふるまわねばならないとナイーヴにも信じ続けている人々の間には、現実のインターセックスに対する恐れと猜疑心が根強く残っている。が、両性の性器を与えられた人がその両方の特権を行使するのを、一体何が阻みうるだろうか?」

    「生理学的な性別はふたつではなく多数、二極分離体ではなく連続体としてある」

    「ショウ・フリークの本当の世界は、しかし、ポーの時代から、人間の奇形を何か他のもの、例えば芸術家の立場、貧しい人々の抑圧、性の恐怖、そして社会生活の掴み所のない本性の隠喩に変えてきた小説においてと同様、ここでもしっかりと把握されてはいない。そしてそれゆえ、それらは、我々に自分自身の逃れがたい異常な運命を人に見せるパフォーマーであることが一体どんな感じのものであるのか十分な手掛かりを与えてくれはしないのである。」

    ダイアン・アーバス 写真家
    ヴァージニア・ウルフ 『オーランド』
    アラン・フリードマン 『ヘルマフロデティ』
    ヴィクトル・ユゴー 『笑う男』
    スペンサー 『妖精女王』
    フェリーニ 『サテリコン』

    生理学的逸脱を抱える人々は、何世紀にも亘って「フリーク」と呼ばれ続けてきた。
    自らを「ノーマル」と呼ぶ大多数の人々によって周縁化されてきた。理解も共感も必要ないし不可能な絶対的な他者として扱われ続けたのだ。
    しかし「人は他の全ての人々と異なっていても、怪物と呼ばれるのは好まない」(フレデリック・ドリマー)。
    人権を求めて声を挙げ始めている。しかしその声は有色人種、少数民族、そして最大のマイノリティである女性の声にかき消されてしまっている。

    「誰もがこの私のようだろう」と信じるのは、根拠のない願望だ。

    「「俺たちがフリークなのさ」と、人間奇形達は高い台の上から私たちを安心させてくれるはずなのである。「あんたじゃなくて、俺たちが!」」

    誰もが自分自身をフリークだと感じている。その恐怖感を利用することで、多くの産業が成立している。
    自らを非フリーク化するために、人は多大な努力を払う。体重管理のためにジムへ通い、「余分な毛」と見なすよう教えられている毛を脱毛し、頭に発毛剤を振りかける。必要とは思われない整形手術を繰り返すことだってある。
    しかし、結局人は異性との比較において自分は永遠にフリーク的なものとして定められていると感じる傾向がある。

    「シャム双生児を前にした時、観客は二人がお互いを見ているだけでなく、二人が同時に観客自身を見ているのを目にするのである。そして一瞬、彼は自分が目に見えぬ絆によって目の前の二人と結ばれた三人目の兄弟であるかのような気がするだろう。そしてそれによって、観客と被展示者、我々と彼ら、ノーマルとフリークの間の区別が幻想であることが露わになるのである。必死になって、さらにはやむを得ないのだとして、防衛されてはいるが結局は維持しがたい幻想であることが。」

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