共感覚者の驚くべき日常: 形を味わう人、色を聴く人

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794211279

作品紹介・あらすじ

ものを食べると、指先に形を感じる。音を聴くと、色が見える-。一〇万人に一人という、この共感覚をもつ人たちは、まったく正常に暮らしており、本人が告白しない限り共感覚者かどうか見分ける方法はない。それどころか、共感覚者は特異な記憶能力を発揮することさえある。また、カンディンスキーやナボコフなど、共感覚のある芸術家も多く、その作品に影響をおよぼしているという。共感覚者の脳のなかでは、いったい何が起きているのだろうか。本書は、共感覚者の脳を研究しはじめた神経科学者が、やがて脳科学最大の謎である「意識」の正体へと迫っていく、たぐいまれな探究の書である。

感想・レビュー・書評

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  • これは面白かった。共感覚が実在することはしっていたが、実に面白い。感覚が認識にさきだつのだろう。

    カラスは自分が埋めた餌の場所を数千箇所でもおぼえているというが、これこそ感覚を手がかりに記憶しているのであろう。
    この本を読んで自分が見る夢の解釈がとても面白くなった。これは傑作。

  • 面白かったです。
    以前ジョン・ハリソン氏の『共感覚』を途中まで読んだけど
    あっちはもう少し詳しい話まで載ってて、教科書的でした。
    こちらは、シトーウィック氏の学究ドキュメント風で、物語になってます。

    最後にエッセイ集があったけど、何言ってんのか難しくてよく分かりませんでした。

  • 面白かったはずなんだけど博士と筆者の会話がかっこよかったことしか覚えていない

  • 多忙と、構成の複雑さ、この手の訳本の日本語の読みづらさでなかなか進まず、やっと読了。
    共感覚はへ〜ぇ・・と。微妙にニューエイジ系寸止めな感じと、メタファーについて深く考察したくだりが面白かった。

    P79 色聴はほとんどの文献で重視されており、共感覚の最もよく見られるタイプであることがわかった。共感覚のタイプの比率に偏りがあること自体興味深かった(中略)五つの感覚からできる共感覚の組み合わせは(中略)十種類ある。しかし共感覚の関係は普通一方向だけに働く(中略)たとえば触覚から視覚が誘発されることはない。(中略)音は−とりわけ言葉や音楽は−ただ聞こえるだけでなく、同時に色のついた形や動きやパターンや明るさなどの寄せ集めを生み出す。

    P104 「科学って本当は単調なものだ、ちがうか?」「そうだよ。実際の実験は単調なことが多い。本当の科学は精神に基盤があるので、機械にあるのではない。テレビに出てくるような大型の機械やコンピュータが科学なのではない。わくわくするものは着想や説明にあって、測定にはない。」

    P158 「創造的な人は皆、人生が白でも黒でもなく、両極の間で変化することを知っています。(中略)成長したオタマジャクシが幼いオタマジャクシを食べているところを想像してください。それは美しいでしょうか、それとも醜いでしょうか。私は両方だと思います。同様に人間も、多くの局面と多様な心を持っているのです」

    P239 共感覚は、いつでも誰にでも起こっている神経プロセスを意識がちらりと覗き見ている状態だ。辺縁系に集まるもの、とりわけ海馬に集まるのは、感覚受容体から入ってくる高度に処理された情報、すなわち世界についての多感覚の評価である。私は共感覚者を”認知の化石”と呼んでいる。

    P256 客観的な世界観は直接体験に反駁して抽象を選ぶ。しかし普通の体験は、客観的見解がどれほどの慢心であるかを、私たちに繰り返し示す。いましていることに理性を行使しようとすると、じゃまになることが多い。合理的論理は、赤ん坊のオムツを替えてくれるわけではないし、探しているファイルを見つけてもくれないし、仕事をする気にもさせてくれない。
    (中略)「僕は分析に浸って仕事をしてきた人間だから、こんなことを言うとおかしく聞こえるかもしれないが、合理性は過大評価されているという皮肉な結論に到達したんだ。(中略)人間は明らかに昔からずっと、何よりもまず情動の生きものだと思えるんだ」

    P286 論理形式主義は、知の手段としてきわめて弱い。経験は瞬間の総和ではない。レシピは料理ではないし、ロードマップは旅行ではない。私たちは何かを手際よく理解することはできるかもしれないが、理解を形式化することはできない。(中略)私たちが求めることと、感じることと、知っていることは、まったく別のものなのだ。この人間の条件は、それを一つの方程式に入れ込もうとする科学の力を超える。

    P292 メタファーが違うと、ひとつの概念に違う味わいが生まれるのがわかると思う。ある概念が直感に訴えるかどうかは、そのメタファーが実体験とどのくらいぴったりしてるかどうかにかかっている。(中略)たとえば「それはまだ宙に浮いている」「その問題は落着した」というのは「君の言う意味がつかめた」と身体的に矛盾がない。何かとつかめばそれを調べて理解できるし、ものは下にあるほうが空中に舞っているよりもつかみやすい。したがって「未知は上」「既知は下」は「理解は把握」と整合している。しかし「未知は上」は定位のメタファーの「いいことは上」あるいは「完了は上」と矛盾する。
    論理は完了と既知、未完と未知が結びつくことを求める。しかし私たちの経験はこれに同意しない。(中略)
    自分自身と争う能力や、対立する信念を同時に抱える能力が、これまた理性ではなく、身体的経験に基づいていることがわかる。

    P302 非合理な直感や情動に対する不信がみなぎっているのは「すみません、考えていませんでした」といったよくある言い回しから明らかである。「すみません、感じていませんでした」というせりふは聞いたことがない。私たちは自分を合理的、外面的、客観的とみなす傾向がある。(中略)私たちは情動的な心をとして最も深く生活と結びついているのに、その一方でこれほど強固。に自分を合理的な心と同一視するのはまったく不思議なことだ。(中略)
    認識的(ノエティック)とは直接に告げられた知識、確信感を伴う啓示を指す。超越的とは「のりこえる、こえる」という意味で、名指しできないものを指す。

  • 理性を働かせないことによって潜在能力が引き出せるかもしれない。

  • 2016.3.6市立図書館

  • 原著の出版は93年、扱われている事例は80年初頭ということで進展の著しい脳科学という分野においてその内容がいささか古めかしいのは否めない。とはいえ、共感覚というものが常識として認知されてない頃の調査過程は興味深く、冗長ながらも読み易い文章もあってこの分野の導入書としては最適なものになっている。著者は共感覚を片頭痛と似たようなものだとし、共感覚自身は万人に起こるプロセスであり、それが意識上にまで登っている人が共感覚者として存在していると考えているが、これが現代においてどこまで証明されているのかは気になる所。

  • 巻末のエッセイは未読だけれど、とりあえず読了ということで。
    タイトルは興味を引くためにやや煽り風だけれど、「共感覚者の日常」に対する興味をテコに終わりの数章の主張を世に広めたいというのが著者の意図かな。
    皮質>辺縁系のような先入観はよろしくない、と。
    共感覚の研究を進めていく過程の描写は冒険小説を読むようなワクワク感があり、このような構成(章立て)にしたのは編集者なのかな、うまいな、などと考えてしまった。

  • 半分くらいまでは共感覚のおもしろさにぐいぐい引き込まれた。
    もう少し省略して薄くしてもいいんじゃないかなとも思った。

  • 541夜

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