生き残る: 沖縄・チビチリガマの戦争

著者 :
  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794960634

作品紹介・あらすじ

太平洋戦争末期の昭和20年4月1日、沖縄の読谷村にアメリカ軍が上陸した。翌2日、チビチリガマという鐘乳洞にたてこもった村人たちのうち、子どもを半数以上ふくむ82名の人々が自分たちの命を絶った。この話はタブーとなり、戦後38年のあいだ語られることはなかった。著者は、少年時代にそこで家族6人をすべて失ったひとりの人間に出会い、チビチリガマと沖縄戦の真実を掘り起こしてゆく。多くの貴重な証言で構成する力作ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 今でこそ有名なチビチリガマだが、そこで起こったことが世に知られるようになったのは、本書を著した下嶋氏の調査がきっかけだった。

    チビチリガマで家族を亡くした者は、生き残った者を責めた。生き残った者は、自らを責めた。「集団自決」は軍国教育の成果がいかんなく発揮された結果であり、その根源的な責任は明らかに国にあった。にもかかわらず、遺族らは「誰が手を下した」などというミクロの現象にとらわれて、いがみ合うこともあった。摩擦を避けるために、チビチリガマは「タブー」とされた。チビチリガマ」を体験した者たちは、戦後38年もの間、そこで起こったことをよそ者や子どもたちに口外しなかった。

    下嶋氏の調査がなければ、遺族たちはチビチリガマの出来事を墓場まで持って行ったことだろう。この凄惨な出来事が、危うく「なかったこと」にされかけていたのだ。氏が成し遂げたことはあまりにも大きい。

    「集団自決」の主な心理的要因は、教育勅語に象徴される軍国教育であったこと。
    当時の沖縄人の、本土に対する劣等感も「集団自決」を引き起こす心理的な要因となったこと。
    「自決」を扇動したのは、日本軍のアジアの国々での暴虐行為を見たことがある元軍人や元従軍看護婦であったこと。
    最初に「集団自決」が始まろうとしたときは、小さな子を持つ母親たちが止めに入ったこと。
    犠牲者の大半が未成年の子どもだったこと。
    「生き残った」者たちが、戦後も永く苦しみ続けたこと。

    チビチリガマの実態を知れば、「教育勅語を教材として活用」などという、馬鹿げたことは一切口走れなくなる。

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