- Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794970916
作品紹介・あらすじ
ディープなアジアは日本にあった。
「この在日外国人コミュがすごい!」のオンパレード。
読んだら絶対に行きたくなる!
――高野秀行(作家)
もはや移民大国。激変を続ける「日本の中の外国」
の今を切りとる、異文化ルポ。
竹ノ塚リトル・マニラ、ヤシオスタン、
大和市いちょう団地、茗荷谷シーク寺院、東京ジャーミィ、
西川口中国人コミュニティ、そして新大久保ほか。
2017年末で250万人を超えたという海外からの日本移住者。
留学生や観光客などの中期滞在者を含めれば、その数は何倍にもなる。
今や、都心を中心に街を歩けば視界に必ず外国人の姿が入るようになったが、
彼らの暮らしの実態はどのようなものかはあまり知られていない。
私たちの知らない「在日外国人」の日々に迫る。
感想・レビュー・書評
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首都圏を中心とした日本のアジアンコミュニティーに住む在日外国人に対し、日本での暮らしぶりや日本に来たきっかけ、日本人コミュニティーとの関係性などについて、自身もタイに「異国人」として10年間暮らした著者が取材する。
最近東京にちょくちょく行く機会があるのだが、道を歩いている人や店員の外国人率に驚かされる。
日本で暮らすアジア人といえば、安い賃金で働かされる技能実習生や劣悪な環境で働かされる女性など、厳しい環境にいる人が多いイメージだったが、この本を読んでいると必ずしもそのような人ばかりではなく、自分の頭の中が過去のイメージからアップデートされていないことが分かった。
例えば、2000年代初めに流行ったフィリピンパブは、当時出稼ぎにきた今は「おばちゃん」のフィリピン女性かその娘世代が中心となり、パブと共に年を重ねたおじさん客たちの憩いの場として日本にすっかり根を下ろしている。
また、「リトルインディア」と呼ばれる西葛西は、コンピュータの2000年問題を発端に大量に招聘されたインドのIT技術者たちが、通勤しやすい東西線沿線に集まったという経緯もあるし、中国人住民が多くを占めるという西川口は、かつて風俗街だったことから日本人が居住を避けるのに対し、東京からの通勤のしやすさと家賃の安さという実利をとった中国人サラリーマンが集まってきたのだという。
静岡県の御殿場市では、アウトレットモールで爆買いする中国人対応で中国人店員がたくさん雇用されている。彼らが日本で働く感覚はまるで日本人が隣の県で働くくらいのライトなもので、その柔軟さがうらやましく感じられるほどである。
一方、日本人と見た目が異なるパキスタン人、クルド人などは、周辺の日本人住民の警戒心が強く、厳しい生活を強いられている人も多い。特に日本の友好国であるトルコから迫害されているクルド人難民は、日本のコミュニティーからもはじき出され、非常に不安定な生活を強いられている現実がある。
また、日本でコミュニティーを築いている在日外国人たちは、商店街や自治会といった日本特有の地域コミュニティーになじみがなく、日本人住民たちとのトラブルも起こりがちだ。
多国籍化の進む日本ではあるが、今はまだ過渡期だといえる。少しずつ相手の文化と日本の文化をなじませていき、ゆるやかにつながることがこれから求められていく。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本で暮らす外国人は普段どんな感じなのか。読み終えて思うのは、当たり前だけど人それぞれだなということ。日本に来た事情も、住んでいる地域も、日本人についての感じ方も様々だ。
外国人居住者に焦点を当てれば無視できない問題として、クルド難民の話も出てくる。その難民に対する入管の仕事にはショックを受けた。難民側の視点だけなので根拠が分からないものの乱暴に思えて、日本人のやり方これでいいのかと心が痛む。
また、同じ国から来ていても技能実習生の問題に関心の薄い留学生がいたりもして、出身国ではくくれない、人それぞれなんだなという印象を強くした。
問題もあるけど、本場の料理が日本でも味わえたり、各国の祭りが催されたり、違う文化を知るのは単純に面白くていいよねと思う。 -
写真も掲載されていたのでとても読み易かった。在日外国人の日常も興味深かったが、折しも入管で病死したアジア女性のニュースがあって、知るべき事なのにまだまだ無知な自分を恥じた。特にクルド人の問題は胸が痛んだ。
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文化の軋轢は少なからずあるが、外国の人々が日本社会に風穴を空けてくれる存在になってくれているのだと感じた。外国人のレストランだと、子連れで行っても何も気にされなさそう。
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最近は移民についての本が非常に多く、興味が湧く本がとても多いです。
今、埼玉の片田舎に住んでいるので最近は周囲に外国人が少ないですが、20数年前に赤羽に住んでいた時は周囲に沢山居ました。バイト先も国際色豊かで楽しかったです。僕はまだ高校生でしたがアメリカ人、中国人、韓国人、メキシコ人、日本人でサッカーしたり。中国人にHな言葉を教え込まれたりしました。
そして本書は現在の留学生、移民、難民の方たちに実際にインタビューした和気藹々とした本です。殺伐とした本を読むと日本の人を人と思わない施策に暗澹たる思いが湧きあがりますが、現実に生きている皆さんは、大変ながらも明るく楽しく生活している人が沢山いる事に妙にホッとする自分がいます。
ただ、蕨に住むクルド人については、その出身国との関係を忖度する事によって扱いが宙ぶらりんな状況で、家族と引き離されて入管に何年も収監されたりという、日本で起こっているとは思えない状況を初めて知りました。
クルド人やパレスチナ人は国を持っていません。どれだけ働いてお金を貯めても立派な家を持とうとも何処にも帰属できないのはとても辛いと思います。当たり前に自分の国がある人達にとっては想像も難しいです。
話は逸れますが一つの例として、同じく国を持たない民族であったユダヤ人は、イスラエルという国を作ってその高い技術力で世界に存在感を示すと同時に、ガザ地区への虐殺行為を行っています。ホロコーストを体験した被害者としてのユダヤ人と、加害者としてのユダヤ人。そして世界の経済に多大な影響力を持つユダヤ人。その全てが混ざり合って一つの形を作り出しています。これは1000年単位で世界で行われてきた事がつながって今に至っています。今世界や日本で起こっているもまた、これからの未来につながっている事を考えなければいけないのです。
話逸れすぎましたが、今来日している人々がいつまで日本に居てくれるか、日本に観光に来てくれるかは分からないです。魅力が無くなれば潮が引くように去っていく事でしょう。そして残されるのは大量の老人と少しの若者達です。外国人を安い労働力として考えていると、介護や製造業の労働単価が下がり続け本格的に人材不足になって崩壊するのではないかと思います。これは個々の経営者以上に国で真剣に取り上げないといけない内容です(現在日本は明らかにコストダウンの為に受け入れをしようとしています)。
彼らの子供、孫たちの多くはきっと自分を日本人として生きていくと思います。その時には、きっと僕らの子供や孫も、当然のように顔つきや肌の色の違う日本人を同胞として受け入れるようになっていると願います。日本人だけが利益を享受するようなシステムはきっと破綻します。
と、堅い事を色々書きましたが、基本希望のある明るい本です。 -
フィリピン、パキスタン、インド、ミャンマー、バングラディッシュ、モンゴル、ベトナム、ラオス、タイ、中国、韓国、そしてクルド人。日本に暮らす様々な異国出身のひとたち。一旗上げにやってきたひとも、日本に憧れてきた人も、祖国を追われてきた人もいる。いずれ帰るつもりの人も、日本に骨を埋めるつもりの人たちもいる。出身国ごとの章にまとまってはいるものの、著者はあくまで取材相手ひとりひとりに寄り添って、「○○人」のステレオタイプに押し込めようとはしていない。それはタイで長く「異国人」として暮らした著者のスタイルでもあり、タイで学んだ異国人との付き合い方でもあるんだろう。で、たぶん、それが正しい。登場する人たちがみんな可愛くて、魅力的で、友だちになってみたい、と思うのはそのせいもあるんだろうと思う。それもあって逆に「○○人」の枠に押し込めようとするやり口が腹立たしい。日本で暮らすクルド人の苦境は改めて知ったけれど、いじめるな! と思う。日本の恥だ。
これからの日本は、異国出身の人たちの力がないと立ち行かない。異国出身のひとたちと一緒に、日本に住む人として、日本という国を運用していくのだ。かつてのアメリカがそうだったように。
そりゃいろいろな問題は出るだろう。あたりまえだ。だが、日本生まれの人ばっかりなら問題は起きない、と考えている人のほうがぼくは不思議だ。ぼくには好きな人と同じくらい、顔も見たくないくらい嫌いなやつが大勢いるけど、全員日本生まれの日本人だぞ(たぶん)。
イギリス人とかフランス人とか、西欧系のひとたちは本書には出てこない。たぶん著者は、彼らの話は必要ない、と思ったんだろう。ドイツ人の集まっている街とか、イタリア人ばっかり住んでいる団地とかは聞いたことがない。彼らはまわりからおっぺされて、肩寄せ合う必要はないのだろう。同じ異国人なのに出身国や人種によってまわりからの扱いが違う、というのもなんかモヤモヤする。
本書を読みつつもう一つ考えていたのは、そうか西葛西に行くと本格的で安いインド料理屋がいっぱいあるかもしれない、ということだったりする。とりあえず新大久保でまたスパイス買い込んで、うまい飯を食ってこようっと。 -
川口の芝園団地の情報を集めていたときに知ったのが本書である。
しばらく本棚に飾ってあったものを一気に読んだ。
日本にある外国人コミュニティを紹介している。
竹ノ塚にはフィリピン人
八潮にはパキスタン人
西葛西にはインド人
高田馬場にはミャンマー人
大和市には東南アジア人
蕨市にはクルド人
がコミュニティを形成している。
理由や経緯は様々だが、異国で力強く生きていこうとする人たちがコミュニティの核になっている。
しかし、異文化との交流が苦手な島国日本の方に彼らを受け入れる準備ができていない。
様々な問題を乗り越えながらゆっくりと異文化との接し方やコツを掴んでいくに違いない。多くの人が経験的にコツを掴み、それが伝承されていくに違いない。
本書で最も印象的だったのは、新大久保でベトナム語のフリーペーパーを発行している韓国人の話である。彼が会社員の頃、ベトナムでの工場建設のリーダーに抜擢された。その時の失敗談である。
東南アジアの人はプライドが高い。失敗したときバツの悪さから笑うことがある。それを見て、怒鳴りつけてしまったのだ。
当時を振り返り、「ベトナム人が失敗したときに笑うことがあることを知らなかった」と反省する。
そうなのだ。文化が違うということはそういうことなのだ。文化の違いは一挙手一投足に出る。
その振る舞いが理解できないことがある。
それこそが文化の違いである。
それは日本人同士にも言える。世代が違えば、考え方や感じ方が違ってくるし、振る舞いも違ってくる。
それに対して、自分の価値観で相手を否定していては、コミュニケーションが成り立たない。
相手の振る舞いには理由がある。いや、理由などないかもしれないが、あるかもしれない。
それを理解せずして、コミュニケーションは成り立たないのだ。それを理解しようとするところからしか、コミュニケーションは成り立たないのだ。
そう思えば、異文化交流のための要諦は日常生活のいたるところにある。
その他、この本を読んで考えたこと。
①東南アジアの人はプライドが高い。であれば、太平洋戦争のときに日本人に蹂躙されたことを忘れるはずがない。
②言語の重要性。クルド人は宗教はまちまちだがクルド語という言語を持つ。ゆえに迫害された。バングラデシュはベンガル語である。ゆえにパキスタンからの独立の戦いを起こした。 -
室橋裕和(1974年~)氏は、週刊誌記者を経て、30代の10年間をタイで過ごし、現在は東京に在住する、アジアを専門とするライター・編集者。
本書は、東京近辺に存在するアジアの国々の人びとのコミュニティを巡り、そこに暮らす外国の人びとが、なぜ日本に来て、何を考え、どのように暮らしているのか、また、彼らを取り巻く日本人とお互いにどのように接しているのかを取材したものである。
取り上げられた地域は、竹ノ塚~リトル・マニラ、埼玉県八潮市~ヤスタシオン(パキスタン人)、代々木上原~東京ジャーミィ(ムスリム)、西葛西~リトル・インディア、高田馬場~リトル・ヤンゴン、池袋~バングラデシュ、練馬・光ヶ丘~モンゴル、神奈川県大和市~ベトナム/カンボジア/ラオス、茗荷谷~インド・シーク教徒、八王子/成田市~タイ寺院、御殿場市~中国、蕨市~クルド人、川口市~中国、新大久保~韓国/ネパール/ベトナム/ムスリム等。
日本の在留外国人の数は、2018年末時点で273万人(外務省入国管理局統計)であり、1980年(78万人)の3倍以上、2000年(169万人)からも100万人以上増加している。特に最近5年ほどは、コンビニや飲食店の店員の多くが外国人になり、公共交通機関の中でも(旅行者以外の)外国人を見かけることが格段に増え、一般の日本人の日常生活の中に外国人がいることが当たり前になっている。
私は幸いにも、これまで国内外での仕事の中で外国人に接してきたため、違和感は比較的少ないものの、そうした経験がなければ、在留外国人が増え、それに伴って目立つようになってきている「日本の中にある異国」に戸惑い、彼らとの生活習慣や文化の違いを前にして困っているに違いない。
移民・難民の受入れについては、今や世界中で大きな社会的論点となっており、米国のトランプ現象、英国のBREXIT、欧州大陸各国の極右政党の躍進、いずれも背景(のひとつ)にはその問題がある。私は基本的には国際協調重視の立場だが、世界全体で拡大が鈍化しつつあるパイを自国民に優先的に配分すべきという主張があることも理解はするし、この問題は結局のところ、「正義とは何か」という政治哲学の問いに帰着する難しいテーマである。
それでも、現実の日本においては、既に多くの外国人が暮らし、彼らの(労働)力が社会全体にとって不可欠であることは疑いなく、まずは、彼らがどんな人びとなのかを知り、更に、コミュニケーションを通して、お互いの理解を深めることにより、移民・難民の問題にも、極論ではない解が見出されるのではないかと思うのは、楽観的過ぎるだろうか。。。
そうした意味でも、「日本の異国」を訪ねて、その雰囲気に触れてみたい(彼らの料理を食べてみたい)と強く思わせてくれる本書は、貴重な一冊ではないかと思う。
(2020年1月了)