- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794973153
作品紹介・あらすじ
読まずに生き残れるか…!?
グローバル化がすすんだ今、
世界史と日本は切り離せない
・ロシアによるウクライナ侵攻の背景
・ラテンアメリカ、中国で福音派が増えている
・日本人は宗教対立とは無縁なのか
・十字軍遠征の意外な真実
・イスラム支配地域でも、キリスト教やユダヤ教が許される条件
・多神教は寛容で、一神教は排他的なのか
・宗教とテロの関係史
・急激にイスラム化が進む欧州で起きていること ......etc
「宗教対立」を入口に、新たな世界史の見方を提示。
世界の歩みも、国際情勢の「なぜ?」も、背景を読むカギは「宗教対立」にある。
・・・
世界で起こる出来事の背後に宗教対立がある。それは、最近起こった世界的に重大な出来事の場合にもそうである。しかし、現代の日本人には宗教対立は先鋭な問題として感じられてはいない。私たちは、宗教というもの、あるいは異なる宗教同士の対立がどういった事態を生むかを理解できていない。それは、世界の歴史、世界の歩みを十分な形では理解できていないことを意味する。国際化が著しく進んできた現在の状況のなかで、果たしてそれで世界を知り、他の国々とかかわり、日本の進路を定めていくことができるのだろうか。そこには大きな問題がある。(本文より)
感想・レビュー・書評
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現在(2022年)も継続されているロシアによるウクライナへの軍事侵攻。その根本的な原因は、それぞれの国が信仰する宗教の対立にあった。人々を救済するはずの宗教がなぜ対立するのか、その起源から世界史を通して、分かりやすく解説してくれる。ただ、あまり細かい話になると眠気との"闘い"になり、理解しきれない部分もあったため、☆3。
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メモ
自分たちを無宗教ととらえがちの日本人は、宗教を生きる上で絶対に欠かせないものとは考えてはいない。そのためなぜ宗教対立が起こるのか理解できないし、理解する必要性も感じていない。それは島国で多民族の侵略がほとんど無かった結果でもある。
が、世界はそうではない。宗教というもの、宗教対立がどういった事態を生むのか、を理解しないと世界の歴史、世界の歩みを十分な形では理解できていないことを意味する。宗教対立は、そこにかかわる宗教の本質がどこにあるかを示すものだ。宗教対立について知ることは、現代においては重要な意味をもってくる。
<ロシア正教とウクライナ正教の反目>
東方正教会をロシア人もウクライナ人も信仰している。長らくロシア正教会がウクライナ正教会を管轄してきた。これは1991年にソ連が解体し、ウクライナが独立しても変わらなかった。
2014年にロシアのクリミア併合が起きると、この事態は宗教世界にも波及し、ウクライナ正教会がロシア正教会からの独立をめざすようになった。
2018年10月、東方正教会全体で最も権威があるとされるコンスタンティノープル総主教庁は、トルコのイスタンブールで主教会議を開き、総主教のバルソロメオス1世がウクライナ正教会のロシア正教会からの独立を承認した。
ウクライナ国内では、ウクライナ独立正教会が別にあり、それも統合する形でロシア正教会からの独立を、ウクライナ正教会はキーウでの宗教会議で2018.12月に決定した。
ロシアはコンスタンティノーブル総主教庁に強く反発し、関係を断絶し、ウクライナ正教会の独立も認めていない。さらに複雑なことに、ウクライナ国内には、モスクワ総主教庁との関係を維持している、もうひとつ別のウクライナ正教会があること。
人口的には独立したウクライナ正教会が半数、モスクワ総主教庁系のウクライナ正教会も、東南部で約4分の1の人口がいる。
「第3のローマ」モスクワ
世界史の概念として「ローマ理念」というものがある。これは「古代ローマ帝国の”ローマ”の名に、普遍的・恒久的な支配や文明・秩序を象徴させる思想、である。この古代ローマ帝国と密接に結びついたのがキリスト教。
分裂した後の東ローマ帝国はビザンチン帝国とも呼ばれ首都はコンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)は、「第2のローマ」と言われた。そしてビザンチン帝国滅亡後、「第3のローマ」と呼ばれるようになるのが、モスクワ大公国の首都モスクワだった。
その自負もあり、ソ連下では宗教は否定されたが、ロシアでは信教の自由はあるが、ロシア正教会は特別視され、事実上の国教の地位を確立した。
プーチン政権下でロシア正教会との関係は強化され、今回の侵攻でも「ウクライナでのロシア系正教徒屁の宗教迫害」を持ちだしている。
一方、ウクライナ正教会の側では、ロシアのルーツはキーウにあり、ウクライナにおける正教会の信仰もキーウからはじまるという自負があり、モスクワに対して自分たちの方が優位であると考えている。
カトリック教会の場合は、世界的に一つの組織に統合され、頂点にローマ教皇がいる。東方正教会の場合は、全体が一つに統合されているわけではなく、国別、地域別に組織されている。国との結びつきが大きくなり、宗教上の対立と国家同士の対立が深く結び付くことになる。
2022.5.30初版 図書館
まえがきのウクライナ関連をよみました。 -
読まずに生き残れるか?は、煽りすぎ。
高校で習った世界史を、宗教という視点から再構成してみましょうといった感じ。
そこに、現代史として、イスラム原理主義と、ウクライナとロシアの宗教観が混じってくる。
いつも思うのは、人が何かを信じるという、そのエネルギーが恐ろしい。
神話は、時に現実に生きてくるわけだし、教典に従って、生活をし続けている人々がいる。
(まあ、宗教がなくても、何かの規範の中で生きているわけだけども)
そして、何を信じるか、で進んできた時間の流れは、相手の信じるものを打ちこわし、正しくないと言い切ってしまう。
そういうものを、恐ろしいと感じ、私は私の都合のよい信仰で良いと思ってしまう。
一方で、これからやってくる社会を考えた時、知らなくても良いことなんだとも言えない。
世界史を学ぶに当たって、時間や国という視点だけでなく、色んな切り口を持つことが、ある意味では人の理解にも役立つように思う。 -
表紙や帯の印象で選んだけど、内容がいきなり専門的で私には難しかった…。
もっとライトに、なんで今世界がこうなってるのかを知りたかったんだけど…。 -
宗教対立の背景には、つねに土地の問題がからんでいる。土地をめぐる争いがなければ、宗教対立が激化することもない。教えの違いがかかわってくることもあるが、それだけなら、学問上の論争が起こるだけで終わる。宗教対立が深刻化するのは、土地、領地がかかわってきたときである。~
ローマ帝国のキリスト教迫害も公認についても怪しいという話があったが、特に宗教勢力の迫害については、もっとよく見ないと本当のところは分からない。
とにかく解説というものの持つ落とし穴が最も危険なのは、こと宗教という現象についてだな。 -
宗教対立、と一言で括ってしまうことの危険性を説いた本だと感じました。
宗教というと、どうしても、どこかスピリチュアルなものだ〜と距離を置いてしまうというか……また、信仰というものの強さと頑なさを知っているからこそ、思考停止になってしまっていた面もあったのだなと実感させられました。
時代に即して利用されたり、隠れ蓑にされたり、拠り所にされたりしてきている宗教。姿形を変えながら歴史に現れている宗教を、単純に理解しようとしてはいけない。でも、理解し切ろうとするとあらゆる分野の知識が要るからメチャメチャ難しい……!というもやもや。
タイトルで、「わかる」と「かわる」の対比なのは何故なんだろうと考えていたのですが、(かわる、はわかる、の誤記とまで思ってしまってた)読み終わってなるほど……となりました。
世界史の見方が変わる!!分かった気になってたよね?とメッチャ揺さぶられます…… -
専門用語が多くて私には難しかった
が、なんとなく各宗教の立ち位置が理解できたような出来なかったような? -
何であっても世界が平和でありますように。
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https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/564115