- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784796667203
作品紹介・あらすじ
誰も書けなかった聖域のカラクリ。JA農協、農林族、農林官僚…「護送船団」の延命と引き換えに、危機に瀕する日本の食料安全保障!自給率はさらに激減する!元農林官僚からの警告。
感想・レビュー・書評
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農協、農水族議員、農水省のトライアングル=政治構造を挙げ、
本来は農業振興目的であるはずの組織や仕組みが
自己目的的であると明確に指摘している。
現在の日本の農政が、
専業ではなく兼業農家のための、
しかも農業とそれに従事する人ではなく「農家戸数」を
確保することを至上としており、
『農協は金融機関である』という明確な指摘は、
「農協ってどういう組織なんだろう」と
素朴に思ったことのある人に、本質を伝えると思う。
すばらしい的確な指摘だと思ったのは、
「農業のいわゆる”多面的機能”が経済学で言うところの”外部経済”にあたる
というのであれば、それは市場原理による価格とは
別の原理である財政負担でまかなうべき」
というところ。
農林水産業の多面的価値については、
いろいろなところで語られているその説明を一つずつ見ていくと、
突っ込みどころが満載である(ほとんどが自己目的的)ことを、この一文が総括している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先週読んだ著作者の別の著書。
センセーショナルなタイトルは人目を惹きますね。
農協は農家のための組織ではない。
本末転倒、当初の志は何処へ。
農業ってもっと魅力的な仕事のはず。
(それは、土地家屋調査士だってそう。)
政治はすぐには変えられないが、個々人は(事情が許せば)個人事業主なのだから、変えていくことはできるはず。
現状に甘んじていてはいけない。
憂うのではなく、考えることが大事。
変えるための手段を、目的をもって。
そして知る努力も怠ってはならないと感じた。
個人的には最後の章が一番勉強になった。 -
分かりやすいようで、はぐらかされたような微妙な気分。経済関連のイシューを扱った本ではありがちだけれど。
農協は兼業農家の利権を代表している。兼業農家の数を保てば票になる。関税と減反で米価を高く保てば非効率な零細兼業農家でもやっていける。なおかつ農地改革でタダ同然で手に入れた農地を宅地に転売して利益を得られる。農協も営農指導など「農業」関連の事業は不採算で信用・共済でしか稼いでいない(郵政みたい)。ここら辺が著者の農協批判。
面白いと思ったのは食糧安全保障のくだりで、ボクもかねがね思っていた、たとえ石油が入ってこなくても非常事態ならば労働の投入などで事情が変わるだろう(キューバみたいに)という考えを著者も持っている。その時のために持っておかねばならぬのは、ノウハウや種子だと思っていたが、著者が重視するのは農地。世界では灌漑の反動での煙害や土壌流失が進むが、水資源豊富な日本の水田は、連作による障害もないサステナビリティに優れた農法だとか。農家を大規模化して米を作って輸出しておけば、他の作物を輸入していても有事の心配がない。さらに言えば、食用の作物じゃなくても農地さえしっかりしておけばということだ。おりしも食糧危機が言われ、必ずしも冗談じゃないかも。ただし諸説ある分野である。また、直接補助金の是非の経済学的知見はどうなのだろう。こちらも当然賛否あるのだろうが。 -
いつもの、なんでこの人がやってないんですかってやつ。
なんとなく言いたいことはタイトルの通りということで、
しかし、うまくはいかないのが政治。 -
政官業癒着の構造のひとつ。農協主導による農政のデタラメが詳しく書かれている。農林系族議員と農協と農林省によるデタラメ。これは農家にとっても、消費者にとってもいいことではない。農協はうまうまとやるための影響力と金を手放さないことしか考えていない。早々に方針を改めるべきだと思う。
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農協を中核とする農協=自民党=農水省の「農政トライアングル」が日本の農業を衰退させてきたことを論じている。
本来、農業を支えるはずの農協が、組織維持のために減反による米価維持を支持し、専業農家重視政策に反対し、兼業農家の維持を図ることで、農業の構造改革を阻んでいる構図がよくわかった。農業改革のためには、農協と兼業農家の結びつきを断ち切り、専業農家重視の農政にしていくべきだと感じた。 -
新書文庫
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「農協改革」が大きくクローズアップされ、新聞記者として取材する必要に迫られたため、この機会に農協についての本を1冊、と思って手に取った次第。
なかなか刺激的なタイトルです。
ただ、結論からいうと、道外はいざ知らず、道内は少しく事情が違うかな、と感じました。
といいますのも、著者の主張が、「兼業農家」の存在を前面に出して今の農政のあり方を批判しているからです。
農協の正組合員は、道内は耕作面積の大きい主業(専業)農家が主体ですが、道外は零細な兼業農家が数の上では圧倒的に上回っています。
そして、この兼業農家の存在こそが、本来あるべき農政改革を歪めてきた、というのが本書の主張の根幹にあります。
著者は「(農協は)組合員のなかで圧倒的多数の兼業農家に軸足を置くことによって、農業から抜け出そうとしている兼業農家の農外所得や、莫大な農地転用利益を預金として吸い上げ、これを運用して経済的にも目覚ましい発展を遂げた。」と指摘します。
道内だと、なかなか実感の沸かない指摘です。
高米価を実現するため、国内では長年、減反政策(2018年に廃止予定)がとられてきました。
経済原理からすれば、規模が大きくコストの低い主業農家がコメ生産を行い、コストの高い零細な兼業農家が減反すべきです。
「しかし、農協の政治的な基盤となっている圧倒的多数の零細な兼業農家に多くの減反を強制することは、政治的に困難だった。」
結局、経営面積に応じた一律の減反面積の配分が実施され、そのうえあろうことか主業農家への配分が加重されるケースもあったそうです。
経営面積の大きい道内のコメ農家は、規模の利益を十分発揮できず、むしろ被害者だったといえましょう。
ただ、零細な兼業農家が不利益を被るような農政改革に、農協は「零細農家切り捨て論」を持ち出して反論し、マスコミも「貧しい零細農家が気の毒だ」と情に訴え反対を唱えました。
著者は、それはイメージに過ぎないと喝破します。
「そもそも小農・零細農家は、本職はサラリーマンの兼業農家なので今や富農である。それに対して、なかなか農業規模を拡大できず、所得が増えない主業農家こそが貧農なのである。米作主業農家の年間所得は664万円なのに、兼業農家の所得は792万円で、サラリーマンの所得を大きく上回っている(02年)。」
著者は、減反をやめてコメを自由に生産し、輸出しようと主張します。
平時は従来通り米国から麦を輸入しながらコメを輸出し、外国からの輸入が途絶えた時は輸出に回していたコメを食べる。
これがどこの国でも採用している「食料安全保障策」なのだそうです。
「減反をやめて主業農家に補助金の直接支払いをすれば、財政的な負担は変わらないうえ、価格低下で消費者もメリットを受ける」と著者は説明します。
私には専門知識が欠けているため、その当否は判断できません。
ただ、こうした声は、「農政トライアングル」の一角を構成しているはずの自民党からも、しばしば聞かれます。
08年5月31日に行った講演で、町村信孝官房長官(当時)は「世界で食料不足の国があるのに減反しているのはもったいない。減反政策を見直せば、世界の食料価格高騰(への対応)に貢献できるのではないか」と発言しました。
ただ、党内から猛反発を受け、釈明を余儀なくされました。
今後も兼業農家を基盤とした農業界の常識と、消費者の通常の感覚との摩擦は続くものと思われます。 -
農政トライアングルにおける農協の役割、意図が詳述されており、よく理解できた。今、筆者が長年主張してきた減反廃止や主業農家への重点配分が現実のものとなろうとしている。きっと農協の政治力が壊滅的なまでに弱体化しているのだろう。
今後はコメ農業の改革が加速していくことを期待したい。