認知症をつくっているのは誰なのか 「よりあい」に学ぶ認知症を病気にしない暮らし (SB新書)
- SBクリエイティブ (2016年2月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797385311
作品紹介・あらすじ
◆5人に1人がなるものが果たして病気か
◆間違った方向へ進んだ認知症の「常識」を正すために!
介護の問題は突き詰めれば認知症の問題となり、認知症の問題は突き詰めれば薬害の問題だ。
かつて痴呆と呼ばれ「だいぶぼけてきたね」で済まされていたお年寄りが、今では認知症という病名をつけられ、医療の対象となって薬物療法を施されている。
うつ病の薬ができたためにうつ病の患者数が飛躍的に増えたのと同じように、日本は、年をとると誰もが認知症にされかねない、脳に作用する薬を処方されかねない国になってしまっている。
◆「5人に1人が認知症」時代――5人に1人がなるものが果たして病気か、それは「老化」の一形態ではないのか
ぼけても安心して生きられる社会へ。ぼけは決して悪い言葉じゃない!
読者のみなさんは、2004年に認知症という病名が厚生労働省によってつくられたことをご存知ですか?
つくられた病名ですから、認知症という病気はありません。
実際にはアルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、脳血管性認知症、前頭側頭型認知症(以上を医学的には4大認知症と呼びます)などの病気があり、これらによって「認知機能が低下した状態」が認知症です。認知症を引き起こす原因疾患は70種類もあると言われますが、これらを正確に鑑別
できる医者はめったにいません。鑑別できなくても「認知症です」と言えば、アリセプトを始めとする抗認知症薬が投与できてしまいます。抗認知症薬には副作用があり、興奮や徘徊といった副作用が出たら、それを抑えるために向精神薬が投与されます。
そのことによって、お年寄りは本物の認知症にされてしまうのです。
認知症の介護を困難にしているものは、「不安」です。中高年の多くが認知症にだけはなりたくないと思い、自らは予防に走りながら親たちを受診に向かわせています。
国とマスコミが認知症の怖さを煽っている以上、事態はなかなか好転しません。事態を好転させるには、認知症を正しく知ることと、薬物療法に頼らなくても済むような介護のあり方を知ることです。ぜひ本書から「認知症を恐がる必要はない」「認知症を病気にしない暮らしがある」ことを学んでいただきたいと思います。
感想・レビュー・書評
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『認知症をつくっているのは誰なのか』
著者 村瀬孝生 東田勉
SB新書 2016年
この本は宅老所よりあいの代表の村瀬孝生さんと介護の著作を多く出版しているライターの東田勉さんの認知症に関する対談本である。
認知症そのものというよりはどのようにして社会的に認知症が生まれるのか、そして宅老所よりあいの歴史や取り組みなどを紹介しています
この本では、主に認知症というのは個人が「なる」ものではなく、社会的に「作られる」という視点において、じゃあ、この社会ではどのように認知症が作られているのかという観点を主に話し合っています。
例を挙げると、介護保険、病院の体制、家族自身、医学会と製薬会社、介護を知らない介護現場、これらが認知症を作っているとしています。
この本の認知症を作っているのは周りの環境であるという視点はとても重要であり、これからの超高齢社会に向けて、覚えておきたい考え方の一つになると思います
個人的にためになった数箇所を引用します
村瀬 えぇ、類型化して「こうだ」と言われれば、そういうふうに見えてきますけど。でも、どうご飯を食べるか、どう排泄するか、どうお風呂に入るか、どう季節を楽しむのか、どう人との関係をつくり、一人ぼっちじゃなくて豊かに暮らしていくのか、孤立しないで暮らしていけるのか、を大切にするよう支援しています。ピック病の人のお風呂の入り方とか声のかけ方とか、「アルツハイマーの人はこんなふうな声のかけ方とやり方があります」とか、そうはならない。共通しているのは、タイミングを見るってことしかない訳です。
それなのに、抗認知症薬には図2のような増量規定があるのです。たとえば、アセリプトであれば、1日3mgから服用を開始して、3週目からは5mgに増量しなければなりません。約20%出ると言われている易怒にはお構いなく、医者は規定通りに増量しようとします。(規定以外の処方をすると、診療報酬がカットされて、保険診療にならず、薬代が病院や医院の自腹になる可能性があるため)
東田 認知症の薬に限らず、お年寄りにはなるべく薬を使わない方がいいという考え方がある訳ですが、現実は逆行していますね。80歳、85歳、90歳のお年寄りが片方の手のひらに乗せると、山盛りになるくらいたくさんの薬を飲んでいます、医者はアルツハイマー型とか脳血管性とか原因疾患で認知症の名前をつけますが、それに倣って言えば、私は薬剤性認知症が全体の3割くらいはあるのかなと思います。
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https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00608258 -
以前読んだ『 おばあちゃんが、ぼけた。 』がとても良かったので、介護の勉強をはじめた今、また村瀬さんの本を。
この本で言われていることが本当なら、今の日本の介護の向かう先は明るいものではないと思う。
枠で括らず、一人一人をみて、その人がその人らしく生活することを助ける。
(ちなみにこれは高齢者だけでなく、障がいのある子どもや若い方にも言えることが多いと思う。)
私自身こんな介護がしたいし、されたい。
そして、もしそれが可能なら、目指せるなら、介護の現場が辛くて辞めてしまう人も減らせるはず。
関連書籍も読みながら、引き続き、介護や老いについて考えていきたい。
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介護の問題は突き詰めれば認知症の問題となり、認知症の問題は突き詰めれば薬害の問題となる。認知症は、国や製薬会社や医学会が手を組んでつくりあげた幻想の病。事態を好転させるには、認知症を正しく知ることと、薬物療法に頼らなくても済むような介護のあり方を知ること。
この本のような、優れた介護のノウハウが広まっていけばよいのに。薬の方がラクなんだろうな。 -
【ぼけは良きもの】
「認知症」はそもそも病気ではなく「老化に伴う人間的変化」である。
では認知症を「病気」にしているのは?
診断名をつけた時に病気になるのだから「医者」が正解。
クスリを出された時点で立派な病人扱いです。
その人が「快」な生活を一緒考えて伴走するのが介護なんだいう想いをさらに強くした。
病気ではなく「人」を観る。
治すのではなく「暮らす」お手伝いをする。
ぼけることが悪いことという「信じこみ」を捨てることで「快」に生き続けることができるんだ。 -
〜〈宅老所よりあい〉をつくるきっかけとなったノブヲさんのおっしゃった言葉が、「いらんこったい(余計なことだ)」でしたからね。
〜介護職はときおり、一方的に混乱をなくす努力を始めることがあります。ぼくらにできるのは、混乱をなくす努力じゃなくて、混乱に付き合う努力です。本人は受け入れがたい現実と折り合おうとしているんですから。
(本文より引用) -
レビュー省略
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老人性の認知症は脳の病気ではなく、老化として捉えるべき。薬による治療は無効で、むしろ副作用により周辺症状(問題行動)の引き金になるリスクが高い。そうではなく、認知症であっても暮らせるような環境を整えることにお金をかけるべき。そのお金が医療費に行くことにより、介護現場の疲弊がある、と言う主張である。また、適切な介護そすれば問題行動は起こらない、と言う筆者の主張は、原則論としてはそうなのだろうと思う。しかし、それが現場に下りてきたら、介護のハードルを上げる、厳しい言葉だろうとも思う。
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もっと、こういう声を行政は拾えないものなのだろうか。
自分の父が無くなった際に心配したのは、田舎に残した母のこと。
街に住む自分のところに、とも考えたが止めた。
『環境を変えるべきではない』『今ある田舎の人間関係を保たせてあげたい』
と思い、そのまま一人暮らしをさせている。
結果、物忘れはあっても、痴呆(認知症)は無い。
通うのは、歯医者程度。
介護とは、一帯何ぞや?