- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784798901190
感想・レビュー・書評
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宇佐美氏の論理は痛快であり、一貫している。このくらいの論理と厳しさは学問においては必要だろう。
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読みたいなと思って読んだわけですが合わなかったな。批判できるほどには読んでいないのですが……(自分の良くないところ)。
たしかに、これが大学のあるべき姿なのかもしれないし、勉強しないなら大学やめたらいいと思うことはあるけれど、今の時代(この本が書かれた時代)そうもいかないと思うのです。現実的に。それは学生だけの問題じゃない。社会、親、友人、あらゆる要因があって今の学生がいる。だから、自分の生きた時代を「良い」として、それを押しつけている感覚がどうにも合わないんです。だって今の大学をつくりあげてきたのはあなたたちの世代の大人じゃないですか。大学に入りたくて入っている人ばかりではない……。うーん。自分が追いついていないだけなのか? -
「『一〇時三〇分に始める』と定めて、学生に『学生手帳』でそう知らせてある。……教師が約束を破ってはいけない。……『まあ大体の時刻で来ればいい。少しくらい遅れても授業は始まっていない。』とたかをくくる学生の方が結果的に当たっていたなどという事態を起こしてはいけない」(pp.13-14)。
教師の態度は、教師が伝えようと意識していてもしていなくても、学習者に伝わり、解釈され、学習されます。教師が遅刻したら、それを見た学習者は「遅刻しても良いのだ」と解釈し、学習するのです。しかも、もしかしたらこの学習者さえ、教師の態度から何かを学習したことを意識していないかもしれないのです。これは恐ろしいことです。教師は、このような教育の作用を理解して教育にあたる必要があります。
この本は、大学の授業を論理性で充たし、学問研究にふさわしい場として当然に整えるという、著者の授業思想が明快かつ簡潔に述べられたものです。大学の授業とは何でしょうか。授業の秩序とは何でしょうか。これらの問いに対する、ある究極の到達点というべき答えが、この本にあります。
(2013 ラーニング・アドバイザー/教育 MATSUBARA)
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1456523&lang=ja&charset=utf8 -
【配置場所】工大選書フェア【請求記号】377.15||U【資料ID】91124094
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「大学の授業とは?」と聞かれたらどう答えますか?
また、どういう内容が大学の授業にふさわしいと思いますか?
この本ではそういった内容や授業の評価について書かれています。自分のオススメの章は「学生に勉強させるため、休講する」です。様々な内容が様々な方向から描かれていてとても楽しい一冊です。
(匿名希望 外国語学部 外国語)