大東亜戦争は日本が勝った -英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784802400299

作品紹介・あらすじ

「太平洋戦争」はアメリカの洗脳だった。世界史を俯瞰して明らかになった真実。来日50年の総集編。

感想・レビュー・書評

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  • なかなか読みごたえのある本。面白かったが重い内容。日本がいかにアメリカに陥れられたかが縷々とつづられる。その中で、日本は本気でアジアを解放しようとしていた歴史的な事実も説明される。欧米植民地主義と日本のアジア進出は根本的に全く思想が違う、その反面、どれほど極悪非道な事を欧米列強が全世界でしていたか、という内容。それがばれないようにと日本人と世界を洗脳し、日本を悪者にしているのが今の歴史、との事。これを覆すのはたいへんだと思わされた。

    決して楽しい本ではない。でも星はこのジャンル最高の星四つ。


    下記に付箋を貼った個所を要約(残虐非道な欧米列強の記述には付箋を貼っていない):

    20:クラウゼヴィッツの「戦争論」には戦争の勝者を「戦争の目的を果たした側」としている。この定義によると日本は大東亜戦争の勝者になる。

    24:日本側の正式な戦争名「大東亜戦争」を使えないのは洗脳による。然し占領下の洗脳よりもその後の洗脳の方がひどい。

    27:「人種戦争(レイスウォー)」ジェラルド・ホーン著。

    30:1919年パリ講和会議でのこと。人種差別撤廃についての提案を日本がし、11対5の圧倒的多数で可決。オーストラリア首相は署名を拒絶して退席。議長国であったアメリカのウッドロー・ウイルソン大統領は議長権限として「全会一致によって決めるべき議案」と宣言し葬り去った。

    45:712年にしるされた古事記は「ふることふみ」と読むのが正式な読み方。明治維新以前は神道をふるみちと呼んでいた。

    50:604年に聖徳太子によって制定された十七条の憲法は、世界最古の民主憲法。

    72:縄文遺跡からは戦争の道具が一切出土していない。

    74:「国民のための日本建国史」には、神武東征の歴史的検証がしるされている。

    90:三島由紀夫は西洋かぶれ。しかし西洋かぶれだからこそ、日本の文化を比類なき貴重なものととらえることができたのだ、と著者の意見。

    97:インドのムガール帝国の「ムガール」とはモンゴルの事。つまりモンゴル人の帝国がインドに建てられたということ。

    112-113:1588年のドレイクの海戦。イギリスの海軍がスペインの無敵艦隊を破った。ドレイク提督率いるイギリスの海賊集団は、小型船艇でスペインの大型船を次々と撃破した。このドレイクはマゼランの次に世界一周をやってのけた人。

    141:高野山に行けば誰でも景教の碑を見る事ができる。

    142:マンリオ・カデロ著「だから日本は世界から尊敬される」。天正少年使節団の日記が翻訳された、使節団に関する論文が内容との事。

    171:マゼランはフィリピンで土人に殺されたとするのが一般の歴史。しかしフィリピンでは違う。マゼランを殺したラップラップ酋長は英雄として有名。マニラには像が建つ。

    180:頭山満は「大アジア主義」を掲げた。(玄洋社がGHQに解散をさせられたのはこれが理由のひとつか。)

    190-191:日露戦争直後の1906年、アメリカでは対日本戦争の計画である「オレンジ計画」がすでに立てられた。

  • 大東亜戦争は日本が勝った
    この本の著者は英国人である。まずそこが面白い。我々は幼い頃からWGIPなる偏向した教育を受けて育った世代なので、太平洋戦争と言うものがどう言う戦争であったか?そもそも太平洋戦争と言う呼称自体が米国や歴史修正主義者から押し付けられたものであることをまず知らない。我ら日本人の先達たちが戦ったのは大東亜戦争なのである。この書籍の面白いところは、大東亜戦争がどう言う戦争だったのか?何故戦う事になったのか?を紐解くためにまず日本という国の成り立ち、神話の時代から始まって、オリエント文明史、英国史、米国史、キリスト教史、帝国主義の違いまで網羅して解説した上で日米開戦に至った経緯を語っていく。その一見遠大な遠回りをしてくれている所が非常に重要で、欧州列強が亜細亜でどう振る舞ってきたのか?そこへ遅れてやってきた米国の思惑。ロシアの動向、中国人同士の内戦と日本との関わり、亜細亜唯一の自立国日本の立ち位置などを俯瞰した上で、局所的な事例や事実を解説している所がホント素晴らしくて非常に面白い一冊でした。大東亜戦争がどんな戦争であったのかを調べるようになって数年になりますが、この本は珠玉と言ってもいい一冊ですねぇ〜こうやって良い本と出会えると嬉しいですね。

  • 英国人ジャーナリスト視点から見た日本についての本。
    大東亜戦争の正当性や、歴史的に見た日本の素晴らしさが書かれている。

    英国視点で見た歴史と、日本人の特異性は、外から見たからこそ分かる視点で興味深かった。

    ただ反面、外から見たからこそ神格化しすぎている面もあるように見える。
    そのため、少し距離を置きながら読んだほうが良いようにも思う。

    例えば争いを避ける文化を肯定しているが、それは問題を遠ざけるネガティブな方向にも働く。
    大東亜戦争における日本軍も「失敗の本質」にある通り、様々な問題があったことは指摘されている。

    この本はあくまで1つの視点として捉え、何が素晴らしくて何が問題だったかは冷静に受け止めるべきだろう。

  • このタイトルの本が日本人から出されていたとすれば、類書も今までに読んだこともありましたので、それほど気を引かなかったと思いますが、連合国側である英国人ジャーナリストによって書かれていたのが私にとっては衝撃的でした。

    戦後生まれの私は、あの戦争の名前を、太平洋戦争と習っていますが、「大東亜戦争」が当時の政府が閣議決定した名称である(日本国の正式の名称)ことを言えないのは不思議な気がします。戦争の勝ち負けを何で判断するかにもよりますが、戦後に豊かになることが勝利とすれば、日本も勝利したと言えるかもしれません。

    当時の大日本帝国の植民地への対処方法は、ほかの連合国の場合とは異なり、かなりのお金を持ち出していたのは事実で、帝国大学を現在の大阪大学(8番目)よりも、韓国と台湾に、帝国大学を設立したのがその証拠だと思っていました。最近の例でいえば、西ドイツが東ドイツを「併合」した感じに似ているのでしょうか。併合後の西ドイツの経済的な苦しみは相当なものであったと、何かの本で読んだことがありますが、それをかつての日本は経験していたのかなと思いました。

    この本の著者である、ヘンリー氏は、英国民として書きたくない内容(シンガポール陥落、インド洋艦隊の壊滅等)もしっかり書いたうえで、正しい歴史とは何かを示してくれた、素晴らしい本でした。なんだか最近の日本は多くの法律が成立して、戦争ができる国になりつつありますが、かつての失敗をしないように、とは言え、舐められないように大人の振る舞いのできる国になって欲しいと感じました。

    以下は気になったポイントです。

    ・白人列強による世界支配を終焉させ、人種平等の世界の実現へと舵を切らせる歴史的偉業を果たしたのが、日本が戦った大東亜戦争であった。白人キリスト教徒の史観からすれば、白人キリスト教世界を覆した悪魔の所業であった(p3)

    ・大東亜戦争によって、大英帝国は消滅させられた。その犯人は、地球上の他のいかなる国でもない、日本だった(p17、23)

    ・アメリカは東京大空襲で、10万人をわずか数時間で焼き殺した。これは短時間で最大の犠牲者を出した攻撃としては世界史の記録。広島の原爆の犠牲者数を超える(p19)

    ・アジア諸国の独立は、数百年にわたりアジアを侵略し、植民地支配をしてきた欧米の宗主国からの呪縛からの開放、独立であった。その原動力となったのは日本(p20)

    ・日本は、1941.12.8、米英と戦端を開いた。東条英機首相の内閣で閣議決定し、正式な戦争名を「大東亜戦争」として、日本国内および全世界に発表した。(p24)

    ・香港で中国人は、日本人と戦ったのではなく、日本軍と共に、自分たちを奴隷のように扱って搾取してきた白人たちを攻撃していた(p35)

    ・日本の固有の歴史とは、他民族に侵略されたことがない、狭い島国で人々が他人を「慮って」生きてきた(p41)

    ・長浜氏による、「国民のための日本建国史」によれば、1)日本の文明文化は、大陸から朝鮮半島を通って日本に渡来したのではない、2)日本列島から朝鮮半島へ流れた、3)日本民族は、朝鮮人・中国人と遺伝学的に別な人種(p75)


    ・モンゴル帝国は連合国家を形成したが、14世紀になると次第に解体に向かった。モンゴル帝国の皇帝は1634年の北元の滅亡まで存続した(p96)

    ・ローマは、ケルト人を「ブリトン人」と呼んだ、この島が「ブリテン」の名を冠する由来。当時この地は「ブリタニア」と呼ばれた(p100)

    ・ポルトガルやスペインの大航海時代がなぜ西へと進んだかと言えば、東には強大なオリエント文明が存在していて、陸から東へ侵略することが不可能であったから(p110)

    ・15世紀に欧州諸国がアジアに魅了されたのは、香辛料であった。コロンブスはポルトガル王に西回り航路の探検を提案したが、すでに東回りルートで膨大な利益を上げていたので、拒絶された。そこでスペイン王の援助を受けて、インド(本当はアメリカ)に到着した(p111)

    ・メキシコ、ペルー、ボリビア、北アメリカから大量の銀が流入したことで、欧州の銀価格が下落、インフレが起こり物価が上昇した。商工業を営む資本家には有利であったが、定額地代を収入とする諸侯や貴族には不利となり没落していった(p122)

    ・大英帝国の発展で重要な役割を担ったのが、インドの植民地化と中国とのアヘン貿易であった。インドを担当したのが東インド会社、中国を担当したのが、東インド会社から派生した、ジャーディン・マセソン商会であった。アジア貿易の独占権をエリザベス一世から獲得、ジャワ島バンドン・インドのスラート・マレーのバタニア王国・タイのアユタヤ・日本の平戸(1623年に閉鎖)・台湾の安平に商館を建設した(p125、130)

    ・東インド会社は当初は出資により事業を行い、売り上げを全て出資者に還元していたが、1657年に、利潤のみを株主に分配し、その代わりに株主は総会を通じて経営に参加できる方式に転換された、株式会社方式の原点となった(p126)

    ・東インド会社は、イギリス・オランダ・スペインの他に、フランス・スウェーデン・デンマークも持っていた。1793年にオランダはフランスに占領され、オランダ東インド会社は1798年に解散(p127、130)

    ・1823年からは、イギリスは中国に対して、インド綿花に代わって、アヘンが清への最大輸出商品となっていた。輸入超過による銀の国外流出を防ぐために、イギリスはインドで栽培したアヘンを、清へ密輸出(1796年からアヘン貿易は禁止)する「三角貿易」を政策とした(p133)

    ・日本へのキリスト教の伝来は、ネトリウス派のキリスト教が、空海によって日本にもたらされている(p141)

    ・秀吉の側近だった大村由己(ゆうこ)は、伴天連追放令の目的は、日本人奴隷売買の禁止であった、と明確に指摘している、天正少年使節団は1582年に大友宗麟らの名代としてローマへ派遣され、ローマ法王に謁見、1590年に帰国した。行く先々で日本女性を見たとの報告あり。欧州各地で50万人。(p143)

    ・奴隷貿易に拍車がかかったのは、1452年、ローマ教皇ニコラウス5世が、異教徒を永遠に奴隷とする許可、を与えた。これにより白人キリスト教徒による奴隷狩りが始まった。約300年に渡る奴隷貿易で、アフリカから新大陸へ売られた黒人奴隷は1000万人から1500万人と推定されている(p147、148)

    ・リーカーンは1863年に奴隷解放を宣言したが、北軍側の奴隷所有州の奴隷は開放されなかったし、南部の連合国州はリンカーンの権威を認めなかったので、奴隷は開放されなかった。当初は北部に逃げ込んだ一部の奴隷だけが、開放された。(p151)

    ・1865年までにはケンタッキー州を除く、すべての境界州が奴隷制を廃止した、1865年にアメリカ連合軍が降伏すると、テキサス・オクラホマ州で解放された。修正憲法批准後に、ケンタッキー州でも解放された(p152)

    ・亀山社中は、武器や軍艦を薩摩藩名義で購入し、長州へ流すなどして、斡旋を通じて薩長の関係を修復した。西郷隆盛と木戸孝允の薩長同盟締結に貢献した(p170)

    ・西洋列強の帝国主義は植民地支配による搾取、日本が朝鮮半島や台湾、満州で行った統治は、本国からの持ち出しであった。アジアを植民地支配して日本を豊かにするのではなく、アジアを発展させることで白人列強にアジアの民族として対抗できるようになろうという戦略(p179、180)

    ・第三次日英同盟の、自動参戦規定に基づいて、日本は連合国として第一次世界大戦に参戦した(p187)

    ・日本代表の牧野氏は、国際連盟規約前文に、「各国民の平等およびその国民に対する主義を是認する」を入れるという議案を撤回する条件として、提案を行ったという事実と、採択記録を議事録に残すことを要請し、受け入れられた(p188)

    ・朝鮮人を日本国臣民として、少なくとも法律上は対等に扱った、こんなことは大英帝国の植民地で搾取にあう有色人種の「帝国臣民」には有りえない平等な扱いであった(p195)

    ・創氏とは、もともと朝鮮人が使っていた「本貫(氏族の発祥地を表す)と姓はそのままに、新たに家族名として「氏」を創ることができる制度」、改名は、従来の氏名を任意に変更できる制度、創氏は、6か月を期限とする届け出制、創氏をしても従来の姓はなくなることはなく、元来の姓・本貫はそのまま戸籍に残される。改名の期限はなくいつでも行える(p203)

    ・白人キリスト教徒にとって、キリスト教に改宗しない有色人種は虐殺対象であった、改宗すれば最下層の人間とみなされたが、そうでなければ奴隷か猿扱い、インド人も中国人もそうであった(p205)

    ・梨本宮家の方子女王が朝鮮の李王朝の皇太子と婚姻を結んだことは、日本と朝鮮が絆を深め、対等の関係にあることを象徴するためであった(p207)

    ・国際的に「侵略」が定義されたのは、1974年(国連安全保障理事会の決議により定義)、それより以前は、ある国の戦争を侵略と断定できない。従って、自衛戦争か侵略戦争かは、自己解釈権がある(p212)

    ・満州国は、国際連盟脱退の通告後に、多くの国が承認した。バチカン(1934.4)、サルバドル、イタリア、スペイン、ドイツ、ハンガリー、汪兆銘政権、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、タイ、デンマーク、クロアチア、ビルマ、フィリピン、事実上の承認を与えたのは、旧ポーランド、リトアニア、ノルウェー、リベリア、ドミニカ、ボリビア、ネパール(p219)

    ・満州事変、支那事変、なぜ「事変」かというと、日本はアメリカから石油を輸入、中華民国もアメリカから軍事援助を受けていた。宣戦布告すると日本では資源の輸入がストップされる可能性があり、中国も同様であったからお互いに宣戦布告できずに紛争となっていた(p225)

    ・日米戦争の直接原因は、1939年7月26日の、通商航海条約破棄の通告、であった。これは「準宣戦布告」であったと言える(p245)

    ・戦場となったアジアの国々を見れば、インドネシアとフィリピンこそ、オランダとアメリカの植民地であったが、それ以外(マレーシア、ブルネイ、シンガポール、ビルマ、インド)はすべてイギリスの植民地である。つまり、大東亜戦争の本質は、「英国&華僑」vs「日本&白人に支配されていて植民地アジア人」の戦いであった。しかも終盤まで、日本側の全戦全勝であった(倉山氏の本による)(p270)

    ・チャーチル以前の総理大臣は、程度の差こそあれ、反米派もしくはアメリカを完全に格下扱いしていた。ところがアメリカ人の母をもつチャーチルは、英米一体化を推し進め、情報機関の共有まで行った、イギリスをアメリカに渡した売国奴と呼ばれる所以(p271)

    2017年6月19日作成

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著者プロフィール

ヘンリー・スコット・ストークス
ジャーナリスト。1938年英国生まれ。
1961年オックスフォード大学修士課程修了後、フィナンシャル・タイムズ入社。
1964年来日、同年『フィナンシャル・タイムズ』東京支局長、1967年『ザ・タイムズ』東京支局長、
1978年『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった
外国人ジャーナリストとして知られる。
著書に『三島由紀夫 生と死』(清流出版)『なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのか』
『英国人記者が見た世界に比類なき日本文化』(加瀬英明氏との共著/祥伝社新書)
『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)『大東亜戦争は日本が勝った』
『日本大逆転』(ともに弊社刊)『英国人記者が見抜いた戦後史の正体』『新聞の大罪』
(ともにSB新書)などがある。

「2021年 『普及版 大東亜戦争は日本が勝った』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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