カトリックとプロテスタント―どのように違うか

  • サンパウロ
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  • Amazon.co.jp ・本 (163ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784805614273

感想・レビュー・書評

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  •  著者はスペイン出身の、イエズス会カトリック司祭。法学者でもある。
     書店にある聖書。それがカトリックのものか、プロテスタントのものか、区別する簡単な方法があるという。それは各書の後に注釈があれば、それはカトリック出版で、注釈がまったくなければプロテスタントだというもの。プロテスタントには、聖書のみという考え方から、その解釈は読む人に任せるという習慣があるという。

     洗礼については共通している。私は、昔、プロテスタントっぽい教会に、巨乳の幼なじみが十字架を背負っていたので何度か見学に行ったことがあったのだが、洗礼の場面にも立ち会えた。シンセサイザーで音楽を鳴らして、一人一人が告白みたいなのをしていく。一人は親父に暴力をふるったことを言っていて、父親も来ていて、抱き合っていた。で、一人一人洗礼を受けていた。水みたいなのはかけていただろうか……そこらへんは記憶が曖昧なのだ。

     カトリックと違い、プロテスタントは十字架にキリストの像をつける習慣がないとか、教会のとらえ方も違っていて、キリストが建てたものとしての、組織的なものとしての教会は認めないが、人間が、集会のために建てた教会なら認めるというもの。離婚について、カトリックは認めないのに対して、プロテスタントは正当な理由があればOKとか。なぜカトリックが離婚を認めないかというと、それは聖書にキリストの言葉として載っているから、それに則っているとのこと。酒やたばこについては、カトリックはゆるいが、プロテスタントは厳しい。あとプロテスタントはサクラメントを認めないというのもある。だが、ルターは、後に告解したと伝えられていると著者は述べている。

     著者も最初に断りを入れているのだが、とにかくプロテスタントについて厳しい態度を持っているように思う。これに対する反論本とかあるのだろうか。遠回しにやり玉にあげられているのが尾山令仁だ。著者は尾山令仁とは政治的立場はやや似ているかも知れないが、こいつは何もわかってねーわー、あかんわこの人……みたいなのを本当にこっそり書いているように思える。というかプロテスタント側からの引用が尾山令仁以外ないのだ。この意図を知りたい。よほどのことがあったのだろう。

     聖書の範囲は何なのだろう。正伝も含めて、教会を認めるのか。キリストの言葉のみ、純粋部分を取り出すのか。正伝で、弟子達の活動も、キリストそのものではないのかと思えばそう思えるし、カトリックとプロテスタントを統一しようというエキュメニズムを尾山令仁に間違って見いだしたのかわからないけれども、寛容のあり方は、己の確固たる立場があって、相手を理解することであり、妥協してゆがめることではないと述べている。
     要するに、相互理解を求めてとあるが、一歩も譲らないことが相互理解であるということを教えてくれる良書である。

  • 悩み唸らされる材料がまた一つ増えたような本。

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