鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵

著者 :
  • 築地書館
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784806715658

作品紹介・あらすじ

神の遣い? 畑や森の迷惑者? 赤信号は止まって待つ? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?
シカは人間の暮らしや信仰にどう関わり、どのような距離感でお互いに暮らしてきたのか。
1000年を超えるヒトとシカの関わりの歴史を紐解き、神鹿とあがめられた時代から、
奈良公園をはじめ全国各地で見られるシカとの共存、頻発する林業や農業への獣害とその対策、
ジビエや漢方薬としての利用など、野生動物との共生をユニークな視点で解説する。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルは大きいが、本書では主に、「奈良のシカ(本書中ではナラシカと呼ぶ)」について述べている。だがこれが「ナラシカと奈良市民」に留まる話か、といえば、後半にいくとそうではないことがわかる。やはり「鹿と日本人」なのである。

    奈良は、野生動物と触れ合うという意味では稀有な地である。奈良を訪れた人なら誰でも、奈良公園周辺に多くいる鹿を目にするだろう。そして多くの人は、一度くらいは屋台の「鹿せんべい」を買い、鹿に与えてみたことがあるだろう。封じ紙を解くか解かないかのうちに鹿に束ごとせんべいを取られたり、じらしすぎて体当たりされたり、逆に時間帯によっては鹿が食べ飽きていて思うように寄ってこなかったりしたこともあるだろう。
    人慣れしたナラシカだが、実は彼らは「野生動物」の区分にある。「放し飼い」されているわけでも「餌付け」されているわけでもない。あくまで「人の多い観光地に生息する野生動物」である。鹿せんべいは彼らにとっては「おやつ」に過ぎず、主食は草や木の葉である。
    彼らは今や、奈良観光にはなくてはならない存在となっている。たとえ古都の社寺や仏像を見に来たとしても、観光客の印象に残るのはむしろ鹿の方であることも珍しくない。つぶらな瞳の野生動物が、街を歩き回り、人を恐れずに近寄ってきて、手から餌を食べるという体験は、そうどこでもできることではない。
    こうしたことが可能になった背景には、奈良と鹿の特異な歴史的な経緯がある。

    本書の前半は市街地に生きる鹿の暮らしぶりや、奈良のシカが街中を闊歩するようになるまでの歴史に触れる。鹿の保護にあたる「奈良の鹿愛護会」や、鹿のトラブルの相談にあたる「奈良公園のシカ相談室」など、民営団体の活動も紹介する。
    神の使い、神鹿とされていた昔は、鹿を殺して死罪となった者もいた。そうして保護されてきた歴史の流れで、奈良の鹿は市街地に居ついていった。現在では交通事故などで怪我をした個体を収容・治療したり、妊娠中の個体を隔離したりといった積極的な保護活動も行われている。秋の角切のように、実益を伴う風物詩的な活動もある。
    だが、保護した結果として、鹿が増えすぎることには弊害もある。大きなものは、周囲への食害である。鹿の食欲は相当なもので、森林が丸裸になったり、さらにそれでは足りずに農地を荒らすものもいる。難しいのは、市街地に住むナラシカは保護の対象だが、基本、この鹿は特に特別な種類ではなく、ある特定の地域に住むニホンジカに過ぎない点である。これがちょっと足を延ばして周辺地域で食害を起こしたとき、それは直ちに駆除してもよいのか、するべきなのか、というのはなかなか難しい問題である。

    後半は、ナラシカの状況を踏まえたうえで、鹿と人との共存の話に移っていく。このあたりの話題の方が、著者の主眼であったのだろうと思う。
    近年、鹿が獣害の主役となってきたのはなぜか、ジビエは獣害対策に有効なのか、他の地域の他の動物ではどのようなことが起きているのかなどを見ていく。
    鹿は可食部分が少なく、仕留めてすぐに処理しないと食用には向かないという。脂がのって肉がおいしくなるのは冬であるため、食害の多い夏に捕っても良質の肉は取れないといったことからも、実は鹿をジビエに利用すれば一石二鳥とはなかなかいかないものなのだそうである。
    また、鹿は猪などと比べても圧倒的に「かわいい」。このため、殺処分に対して「かわいそう」「ひどい」という声が多いのも特徴だ。
    だがその旺盛な食欲は問題で、奈良周辺でも春日山原始林に大きな影響を与えている。「世界遺産(=原始林)を天然記念物(=ナラシカ)が食べる」という皮肉な状況になっているのだ。

    ナラシカは観光資源として役に立っている面もあり、一概に排除するわけにはいかない。
    だがやはり増えすぎれば弊害も出る。その折り合いをどこでどのようにして付けるのか、ナラシカの未来に関わる問題は、そのまま、日本の野生動物の問題につながっている。

  • 奈良公園周辺に生息するシカは、実は放し飼いではなく、野生のシカ。古くから神の遣いとして保護されてきたこと、現在では大事な観光資源のひとつとなってきていることから、時代ごとに少しずつ形は変えつつも、基本的には人間たちと共存の関係にある。
    それは簡単なことではなく、鹿の愛護会や自治体の窓口などの苦労があると知った。

    周囲の農家への食害防止や、観光客の安全、森林生態系の保護、観光資源の維持など、さまざまな立場を成立させるための苦労がこれからも続きそう。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00274704

  • 参考文献の多さからも、奈良の鹿について、詳しく色々なことが網羅されているということが、伺える。歴史のことは、私には少し難しかった。
    奈良の鹿に興味のある人必見。

  • 最近とりただされている狩猟ブームにのっかって、免許を取ろうかなあと考えること早一年。考えすぎなくらい考えてしまったので考え疲れて取ることに決めたのだが、その時に考えるついでに読んでいた本。いつも通り図書館でお借りした。表紙の鹿が可愛い。

    野生動物である鹿を観光資源として利用している奈良でも世間の目もあるなかで食害被害の対策に腐心している。
    鹿は可愛いから殺すなと言う一方で食害に遭っている農家は殺せないとなると賠償金を請求して、鎌倉時代は天皇の短歌で崇拝されるようになれば、戦後は食糧難で狩られていく。人と鹿という営みは、不条理だなあ、と他人事のように思いながら、そこに飛び込もうとしている自分もいるわけで、全く持ってすべてエゴしかない。

    鹿の驚異的な繁殖力と、草食であるがゆえに野芝や樹皮まで食べる。となると、今度は大木になるまで新芽は育たず、剥ぎやすい若木から食べられていく。それでも彼らは近年痩せているという。
    なぜなら奈良の過密によって、食料が足りなくなっているからだ。貧栄養状態ではあるが保護活動によって寿命は伸びる傾向にあるものの、出生率は下がっていく。鹿の数が少ない時の方が飽食で豊かだったのだろうか、そのかわり、生息数が少なく生き残ることさえ困難な時代があったということだろうか。戦後というボーダーラインの強烈さを物語る。
    それを考えると人も鹿も変わらないように思えてしまうのはなぜだろうか。

    奈良の中で野生動物である鹿が悠然として歩いているのは、人の手による給餌が大きく影響しているのだという。自然である野生動物と地元民という共存関係の中で、観光客といういわば外側の存在の動きは刺激的だ。アニマルウェルフェアという動物福祉という観点は初めて聞き及んだが、その三つ巴の中で一体どれほどアニマルウェルフェアの姿勢を貫けるのか。奈良は日本人と鹿との縮図の最先端を駆けているのかもしれない。

    著者である田中氏の著作は、以前『森は怪しいワンダーランド』という本を読んでいた。これからまた著作を読む機会があるのだろう。

  • 野生動物が増えたのは田畑の野菜くずや山間部の道路の法面の牧草などによる

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著者プロフィール

1959年大阪生まれ。静岡大学農学部を卒業後、出版社、新聞社等を経て、フリーの森林ジャーナリストに。森と人の関係をテーマに執筆活動を続けている。主な著作に『虚構の森』『絶望の林業』『森は怪しいワンダーランド』(新泉社)、『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』 (イースト新書)、『森林異変』『森と日本人の1500年』(平凡社新書)、『樹木葬という選択』『鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵』(築地書館)、『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』(ごきげんビジネス出版・電子書籍)など多数。ほかに監訳書『フィンランド 虚像の森』(新泉社)がある。

「2023年 『山林王』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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