- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784811327273
作品紹介・あらすじ
修学旅行で広島平和記念資料館を訪れた5人。それぞれに悩みを抱え、戦争とは遠い世界で暮らす14歳の胸の内は……。
登場人物に共感を覚えながら、物語に登場する被爆資料などを通して平和について深く考えていく作品です。
感想・レビュー・書評
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1985年から2019年までに、原爆資料館(広島平和記念資料館)を見学した、修学旅行生は、およそ1352万人だそうです。
その1352万人という、莫大な数の、かつての中学生たちは、その時、どのような思いを抱いたのでしょうか?
本書で描かれるのは、修学旅行を通して、多感な中学生それぞれが感じた、「ひろしま」についての物語。
『ワタシゴト』は作者の造語なのですが、これには二つの意味があり、一つは、「渡し事=記憶を手渡すこと」で、もう一つは、「私事=他人のことではない、私のこと」で、今回、この造語が、「ひろしま」について、とても言い得ているように思われ、心に留まりました。
例えば、渡し事については、
焼けて骨になった、中学生の体の下にあった、まっ黒な弁当箱。
右肩の下あたりに染みがあり、背中が裂けて、千切れて、変色しているが、繊細なレースがとても綺麗なワンピース。
約75年前、公園には、いくつもの町があったこと。
『この公園の下には、町が眠っとる。ひとも眠っとる。ここを歩くときは、そおっと歩くんよ。すみません、すみません、言うてね』
「ひろしま」の記憶を手渡すというのは、たくさんの人の命が失われた悲劇を繰り返さないことも、そうですが、その一人一人の生きた証を想像して、志半ばに人生を終えなければいけなかった瞬間、どんな思いで、どんな事をしていたのかを、考えなければいけないことも大切だと痛感するとともに、そこにあるのは、ささやかな幸せに満ちた日常生活だったことも、決して忘れてはいけないと思いました。
また、私事については、
「そこに着いたら、事前学習のことは、いったん忘れて、まっ白になれ。そのうえで、そこから聞こえてくるもの、見えてくるものを、全身で感じろ」
「いままでのぼくなら、もしかして。でもいまは、もう少し自分のなかに沈めておきたい」
「見えないものは信じない、と思ってきたけれど、ほんとうにそうなのか」
「ひと月に一回、ここに来て、みんなのこと考えるんよ。それがわたしの、この世でのつとめじゃねえ、きっと」
中学生の感じ方は、人それぞれだけれど、何か忘れたくないものがあるのは、共通しているようで、また、それは簡単に答えが出るようなものではなく、しばらく自分自身のなかに留めておきたいと感じる、それこそが、『他人のことではない、私のこと』にしているということなんだと、思いました。
また、元中学校教員「赤田圭亮」さんの、『私のひろしま修学旅行』での、語り部の松田さんと、それを聞いていた、当時中学生のH君のエピソードも印象に残り、そこには赤田さんの書かれた通り、「学校の日常生活では、けっして掬いあげることのできないものが、『ひろしま』にはある」事を、強く実感し、私の、過去の修学旅行は広島ではなかったのですが、実際に、見て聞いて感じることの意義は、何ものにも替えがたいものがある事を、本書を読んで痛感いたしました。
物語の内容は、児童書ということで、大人が読むと軽い感じに思われるかもしれませんが、最初に書いたように、1352万人の方がこれを読んで、「ああ、そういえば、こんな似たような思いを抱いたな」とか、「この時、自分の人生に擬えて、考え方を改めたんだよな」とか、そうしたところから、その人なりの『ワタシゴト』のきっかけになれば、いいのではないかと、私は感じました。
それから、私の場合、「戦争中でも楽しいことはあった」という、ごく当たり前な事を気付かせてくれました。恥ずかしながらですが、気付くことができて、涙が出そうなくらい嬉しかったのです。
『ええねえ、手つないで歩くの。うれしいねえ、こんなに若いあなたと、手つなげて。むかしはね、友だちと、こうして毎日うたいながら川岸を歩いたんよ。いろんなうた、うたって。戦争中じゃったけど、楽しいことは、いろいろあったんよ。写真館で仲良しが集まって、写真とってもろうたり。こうしていると、あのころみたいじゃね』詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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「14歳のひろしま」3部作完結 中澤晶子さん新著「いつものところで」 記憶の継承へ「大事なのは日常」 | 中国新聞デジタル(2023/7/2...「14歳のひろしま」3部作完結 中澤晶子さん新著「いつものところで」 記憶の継承へ「大事なのは日常」 | 中国新聞デジタル(2023/7/22会員記事)
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/3360282023/08/18
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広島へ修学旅行に行く中学生5人の物語
それぞれが今悩みを抱えてる中
広島の原爆資料館を見学し思うことが書かれて
自分と同い年くらいの子が経験したことなどを知っていく
それぞれの章で
お弁当
ワンピース
靴
石
ごめんなさい
について、書かれてる
児童書で読みやすいが大人も読んでいいと思う。 -
75年前。
子供たちにとっては途方もない昔の出来事。
それを自分ごとだと考えるなんて、簡単なことじゃない。
でも、別世界の出来事では無くて、いろんなところで繋がっている。
今も昔も、親からお弁当作ってもらい、洋服を用意してもらい。そして友達と過ごす。
ただ違うのは、彼らの命は75年前に断たれてしまったということ。
自分との共通点を見つけた時、初めてその意味に思いが巡る。 -
戦争体験を次世代にどう「渡し」、受け取る側がどう「私」ごとにできるか。
実際を知る人の多かった第二次大戦が遠くなっていく今、切実に考えなければならないことだ。
今作は、広島の原爆資料館を修学旅行で訪れる14歳たちの、旅行前から最中を描いた連作短編集。
遠く離れたものだと思っていた戦争が、自身の経験や身近なことに重なることで彼ら自身のものとなる。
人には想像力や共感という強力な装置があるし、まず感情ではなく理性的な理解で自らのものにすることもできるだろうと私は思うのだけど、具体的な足がかりがあるということはやはりとても有効だし、この本自体もその足がかりとなるだろう。
続編もあるようなので、ぜひ読みたい。 -
修学旅行でヒロシマの原爆資料館を訪ねた中学三年生5人の見たもの、感じたこと。家族や日常のうっくつから離れて、自分の心を見つめ、少し大人になる姿が清々しい。何を受け止めるかはそれぞれだが、事前準備をどのように、どれだけするかによると思う。
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行きたくもない修学旅行、何が楽しいんだとふてくされる中3の俊介。原爆資料館には、興味もないし、語り部の話なんか聞きたくもない。
そんな俊介と同じグループの凛子は、展示物の真っ黒な弁当箱にこだわり、事前に友だちと再現までして、当日に臨んだ。凛子の話で、弁当が心を込めて作られたものだったと知った俊介は、自分が拒絶した母親の弁当を思い出し……。
修学旅行で広島を訪れる中学生たちの物語。『ワタシゴト』は記憶を手渡す『渡し事』で、自分のこととして考える『私事』を兼ねている。語り継ぐことの難しさと、どうやったら自分の身に置き換えて考えられるのかというもどかしさ、ここでも「想像力』の大切さを痛感する。 -
わたしの中学は修学旅行が広島ではなかったので、もし当時に行っていたら何を思い、何を考えたのだろうと思いました。
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広島平和記念資料館に展示されている様々な物。その1つ1つに焦点をあてた短編集の作りになっている。中学生の事前学習で調べたことと自分の体験やこだわりの物がオーバーラップして自分ごとと捉え、被災者を想う物語。次巻の「あなたがいたところ」は、場所に焦点をあて、同じように自分ごととして捉える物語となっている。
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広島の出来事を「ワタシゴト」として考えるきっかけになればと思った。