- Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
- / ISBN・EAN: 9784812004081
感想・レビュー・書評
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堀場 清子は1930年生まれ、原爆被害の「目撃者」であり、詩誌『いしゅたる』主宰。詩人であり、女性史研究者でもある。
現代詩文庫で、詩の勉強会のために購入したが、取り上げて欲しいと言うほどの推薦はしなかった。
読んでいて、これはできないなと思った。
内容が悪いわけではなく、むしろ大事なことをうたっている。むしろ、だいじなことばかりうたっているということか。良いテーマばかり選んでいるという感じか。
原爆、ジェンダー、過去にいた近代に収まりきらない男達や梅蘭芳。読まなくても感想が言えそうになる。最後がエジプト旅行で、やや西脇順三郎のようになっていく。沖縄のことも少しテーマにされている。
「焔」という詩に、
――夜
鋭い嘔吐と波のようにつづく呻吟で
闇はあふれるばかりだった
突然女の声がした
<動けないの あなた 便器をさがしてきて>
と、祖父の病院で見た光景を描写しているが、この便器がないという情景を浮かび上がらせるのはいいが、それを「本当に心に染みいるように言っている」感じがしない。むしろ、悲惨な目撃者である立場をまったく揺るがさない。
この本の最後にほうに収録されている「文字」という詩の中の
尾類とよばれる
わたしは息をのむ
その二文字に打ち据えられて
や、
「花の季節」での
だれが書いたのか
「安らかに眠って下さい」などと
の詩で最後は、
ヒロシマの霊よ
眠るな
とおわるのは、問題を発見した告発者のようで、それはそれで詩であるのだが、詩は社会学のような、世間一般の常識から儀礼・悪習を見つけ出し問題発見するものなのだろうか。
著者は、詩集「じじい百態」に見られるように、ユーモアセンスがあり、エッセイがなにげに面白い。「『狐の眸』のころ」というエッセイも、自分の第一詩集発刊のために、紙から色からこだわり、出してみるも、印刷屋と「思い通りの色が出ていない、いや出ている」と押し問答。最後は印刷屋に「シンデシマエ」と怒鳴られる。終わり方も鮮やかだし、詩よりもこの人のエッセイ集が読みたい。
「青春の午後」というエッセイでも、何度も妻の愚痴を言う服部嘉香に、「奥様が老いこまれたとするならば、そもそも先生が、奥様に幻滅おさせになったのが原因でしょう」とやり返し、「ひどいことを言う……」と絶句させたのを覚えていると振り返る。
評者である私がなんでこのエッセイ二つを取り上げたのか、これには理由がある。
広島生まれで、疎開先である広島郊外で彼女は一瞬「爆風を呑み込んだ」という。祖父の病院に、被爆した人や裂傷を負った人々が次々に運び込まれる。その目撃者となってしまったゆえに、詩にもずっと「目撃者」であったという影響が引きずられている。
早稲田大学で国文学を学び、「詩世紀」の同人となり、戦後、1956年に第一詩集を発表する。ウン万円もかかったとか。鹿野政直と結婚し、共にアメリカ滞在する。その後、じじい百態を発表。次に女性史に目を向けて、高群逸枝の研究をする。後半ではエジプトなど歴史をテーマにしたり、沖縄に焦点をあてたりする。
つまりセレブ詩人だ。エッセイは、セレブな失敗談という、あまりにしょうもなくて笑うしかないという面白さが漂っているのだ。というか、病院を経営するお金持ちの娘が、大学に行き、一流の学者と結婚し、アメリカとかギリシアとか世界を股にかけて、たまに年上のじじいを転がして、また研究したりする時間も資料を集める金銭もあり、詩集もどんどん出せる。エジプトなど、古代歴史に浪漫を感じ、沖縄に複雑な感情を抱いておわりである。
政治学者の旦那にしっかりついていっているので、そこから、茨城のり子ほどの、男に対する「何よ!」みたいな感じはない。
この現代詩文庫のあと、「首里」という詩集で現代詩人賞を受賞する。
確かに、
ビルイ と書かれた女と
書いて痛痒を感じぬ男とが暮らす島
は、琉球に対して、いいところをついてると思う。
八月は裂けている
はそうだと思う。
だが、己の身が裂けて、トイレで倒れて、這いずりながら出てきたとか、そういうのはない。どこか評論的なのだ。
私は詩の勉強会で、女性詩人を探していた。そこには、男に対する不満と、反戦が舞い踊っていた。「男って~~じゃないですか」と、「戦争って~~じゃないですか」という、正解を言おうとした詩を武器にして同意を求める活動を内輪で行う会にはうんざりしていた。
女性は、現在であるほど良い。もし勉強会で女性詩をとりあげるならば、蜂飼耳だろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示