対訳でたのしむ敦盛

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  • Amazon.co.jp ・本 (28ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784827910315

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  • 初心者の能シリーズ、今回は「敦盛」を読んでみます。

    敦盛とは平敦盛のことで、紅顔の美少年だったとされています。一の谷の合戦で、源氏の武将、熊谷直実に討たれて命を落とします。
    実は直実には同じ年頃の息子があり、あまりの不憫さに一度は敦盛を逃がしてやろうと思ったのですが、味方の軍勢がすぐ後に迫っており、その面前で敦盛を討ち漏らすことはどうしてもできませんでした。そこで泣く泣くこれを手に掛けます。

    世の無常を感じた直実は時を経て、法然上人の導きで出家します。その名は蓮生。
    敦盛の菩提を弔うために一の谷を訪れた蓮生は、そこで草刈男の一団に会います。草刈男たちは優雅に笛を吹きながら帰ってきます。身分の低いものには似合わぬ風情に蓮生が声をかけると、何やらいわれのありそうな様子です。そのうち、草刈たちは去っていきますが、一人残った男は念仏を唱えてくれるよう頼みます。男は実は自分は敦盛であると明かし、蓮生が連日連夜菩提を弔っていてくれることに感謝して消えていきます。

    その夜、ことの不思議に感じ入り、さらにねんごろに念仏を唱えている蓮生の前に、敦盛の亡霊が往時の姿で現れます。
    敦盛は武士ではありましたが、笛の名手であり、風雅を好む公達でした。
    平家が自らの代を謳歌し、贅沢三昧に驕り高ぶっていたこと、その平家が源氏に攻められ、西へ西へと撤退していったこと、さらには自分が討たれたことを物語りながら舞ってみせます。
    そして目の前を見ればそこにいるのは、あのとき自分を討った憎い敵の直実(=蓮生)です。おのれ、取り殺して呉れようといきり立つのですが、亡霊ははたと気づきます。これは自分の菩提をずっと弔い続けてくれた人、そしていずれは同じ蓮の上に生まれ変わる人。ああ申し訳なかった、どうぞ自分の霊を弔ってほしいと消えていきます。
    直実の出家名は、史実の上でも蓮生なのですが、その名が演目の中で非常に効果的に使われています。

    武士が出てくる点で修羅物(→『対訳でたのしむ屋島・八島』)ではあるのですが、荒々しさよりも優雅さが強調され、「鎮魂」により重きが置かれた演目ということになります。

    敦盛と直実の逸話は多くの人に訴えかけるものだったと見え、歌舞伎や浄瑠璃などにもさまざまにアレンジされて取り入れられています。「青葉の笛」「須磨」といえば敦盛が思い浮かべられるものであったといいます。
    織田信長が好んだという「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり」という一節は、幸若舞の「敦盛」で、直実の感慨を表しています。歌舞伎の「熊谷陣屋」には、若くして散った命を惜しんで「十六年は一昔 夢だ夢だ」というセリフがあります(これは少し凝った構成の物語で、敦盛の身代わりになってしまった若者を儚んだセリフになります)。
    さまざまに「二次創作」が行われる中、根底にあり続けたのは、若い身空で命が突然断たれることの酷さと戦争の虚しさでしょうか。
    結局のところ、その救いのなさは仏にすがるよりほかはなく、死んでしまえば勝ったものも負けたものも同じ蓮の台に生まれ変わるのだ、いや、生まれ変わろうではないか、という鎮魂とも願いともつかぬ思いにたどり着きます。そこには、生者と死者がそれほど遠いものではないという、世の儚さへの諦念や悟りに似たものがあったのかもしれません。

    アツモリソウとクマガイソウというよく似た植物があります。いずれもラン科アツモリソウ属で、武士がまとった母衣を思わせる花弁を持つことからその名がつけられています。
    対のように命名されたことからも、昔の人々がこのお話に心を寄せたのが偲ばれます。

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著者プロフィール

横浜国立大学名誉教授・奈良大学教授。専門は中世日本文学(特に能楽)、古典教育。
主な著書に『世阿弥は天才である―能と出会うための一種の手引き書』(草思社、1995年)、『歌舞能の確立と展開』(ぺりかん社、2001年)、『歌舞能の系譜―世阿弥から禅竹へ』(ぺりかん社、2019年)などがある。

「2021年 『もう一度読みたい日本の古典文学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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