- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784828411774
感想・レビュー・書評
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神皇正統記のあたりまでは「へ〜、ほ〜」と感心しながら読んでいたが、最期の方でちとしんどくなった。下巻は見送る。
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小説は風俗描写の部分から腐る、と言い伝える。それになぞらえて言うなら、論説は歴史を引いた部分から歪みを生じる。
歴史の史実に足をおくと称する立論は、蓮池の泥沼に突ったって歌唱するほどに危ういのである。17
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好感情を基礎に再構成しようと、悪感情を基礎に再構成しようと、感情を基とした再構成はあくまでも再構成であって、ヴェトナムそれ自身とは何の関係もなく、人びとは、ヴェトナムそれ自身を知るための第一歩として、辞書が欲しいとすら考えていないのも、あの時代のイギリスと同じだからである。実はいうとこれが一番危険な関係であって、その破綻はごく短時日に来る。146
対象を知るため努力を惜しまないことだけが敬意である。「あんな下らんもの」といってしまえばそのものはもう理解できないが、「御立派です」といいながら辞書にすら手をふれようとしなければ、やはり理解できないのである。147
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私が日本の歴史において、最も興味を感ずる対象は、北畠親房、新井白石、勝海舟といったタイプの人物である。いわば実務・行動と文筆とを兼備した人びとである。
行動だけの人間は、後代が勝手に再構成できる、また文筆だけの人間は、後代はこれを無視することができる。だが北畠親房型の人間は、無視もできねば再構成もできない。151
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白石は、この前期と後期を全く別のものと考え、後期天皇制に関する限り、これは「武家のために」武家が作ったものだと、明確に規定している。167
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公文所ができ、特に荘園関係の訴訟いわば民事訴訟の裁定のため問注所が設立された。一一八四年のことである。このときに、現在の日本が決定されたともいえるだろう。
彼は、当時の朝廷の中から、「政治」といいうる要素だけを、非常に巧みに抽出してきて、それだけを把握してしまった。そして朝廷の非政治的要素はそのまま朝廷に残して、これを巧みに、文字通り「敬遠した」。
その結果は彼は、当時の世界では全く想像できない「純政治的政府」を作りあげてしまった。すなわち最も簡素で、最も能率的、最も安価な政府である。176
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彼はいわば「公家権=朝廷権」「寺社権」「武家権」ともいうべき権利を承認している。いわば既存の権利の承認である。同時にその権利者の諸権利、特にその権利の基本である所有権は、政権の交替により侵害されることはないという保証である。176
そいて保護には、裁定権と裁定の結果を施行する監督権が当然付随する。頼朝がもっていた権限とは実はこれだけで、そしてこれだけが「政治そのもの」なのである。177
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頼朝の「三か条」の背後には、当時は、「武家権」はまだ弱く「公家権=朝廷権」も「寺社権」も無視し得ないという現実があったことは言うまでもない。
しかしこの「三か条」が幕府というものの性格、いわば「純政治的政府」という性格づけを決定したこともまた否定できない。178
日本国とはつまるところ幕府国であり、幕府という制度は文字通り日本人が生み出したものでありかつ尊い遺産であって、この制度の基底には日本教独特の考え方があるのは当然なのである。179
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前記天皇制は、大化以来、原則として所有権というものを一切認めない。従って、平清盛の死後、後白河法皇が彼の領土を没収してそれを他に与えたとて、原則から言えばこれは少しも違法ではない。181
しかし「幕府思想」からすれば、この処置は違法である。言うまでもなく武士とは、おそらく東アジアではじめて、「所有権の絶対不可侵」を主張した集団の一つである。もちろん彼らは、これを権利として主張せず、祖先への神聖な義務として主張した。
この、権利を義務の形で主張する思考形式あるいは義務に仮託して主張する表現形式は、その後の日本人の権利意識を確定してしまい、これは現在の自民党幕府のもとでも、変化はない。182
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後代はこの点を見逃し、武士を忠誠なる南朝方と乱臣賊士の幕府方にわける。しかし尊氏の時代の朝廷・公家集団内では、武士そのものが朝的であった。216
明治時代に創作された「武士道」以来、武士とは日本の象徴的存在のようになったが、少なくとも親房にとっては、彼らの存在自体が違法であり、彼らのすべてが「違法者集団」であった。217
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漱石の『こころ』を『太平記』で解説しようとしたのか、あるいは『太平記』を『こころ』で解説しようとしたのか判然としないが、その対照の妙がいかにも山本七平氏らしい。
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未読
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いまいち。