雑賀一向一揆と紀伊真宗

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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784831862501

作品紹介・あらすじ

紀州の歴史、とりわけ戦国・織豊期において浄土真宗は重要な位置を占めている。いうまでもなく、雑賀一向一揆において真宗勢力は中心的役割を担い、「石山合戦」で活躍した。また、日高郡に本拠を置く国人領主で奉公衆の湯河氏とも真宗は結び付き、戦国期紀州の政治勢力として大きな存在であったといえよう。それゆえ、紀伊真宗の開教と発展の歴史を解明することは、単に一宗派の沿革を示すだけにとどまらない重要なテーマである。だが、これまで雑賀一向一揆の論考に比べ、関係の深い紀伊真宗に関する研究は少なかった。そこで、第Ⅰ部においては、戦国・織豊期を中心とした紀伊真宗史のさまざまな問題を取り扱う。
第Ⅱ部および第Ⅲ部では「石山合戦」期の雑賀一向(門徒)衆と雑賀一向一揆を中心に考察した。ここで注意すべきは、雑賀一揆について大きな誤解が存在するという点である。これまで雑賀一揆は一向一揆であるかのように理解されてきた。しかし、雑賀一揆と雑賀一向一揆が同じといえるだろうか。この点を究明するには、必然的に雑賀衆と雑賀一向衆との異同ということが問題となる。この課題を検討したのが第Ⅱ部である。
第Ⅲ部では「石山合戦」期を中心に雑賀一揆と雑賀一向一揆の動向を明らかにした。雑賀一揆とは、宗派に関係なく雑賀五組の惣郷・惣荘・惣村を基盤にその代表が一揆を結んだ戦国時代の地域権力であり、一種の郡中惣ないし惣国一揆と考えられる。これに対し、雑賀一向一揆は、雑賀庄・十ケ郷を中心とした個々の有力土豪と雑賀一向衆とによる、天正期に結成された反・信長連合であると定義できよう。つまり、雑賀一向一揆は天正二、三年頃に成立し、天正八年の「石山合戦」の講和で役目を終えたのである。
雑賀一揆について考察するには、守護畠山氏や湯河氏らの国人領主、それに周辺の自社勢力との関係を明らかにしつつ、地域における権力秩序の在り方を構造的につかみ取る必要がある。また、紀州でも雑賀は畿内に隣接し、惣村が発達しており、この地域固有の社会的特徴や雑賀衆という独自の存在形態がどのようなものであったか分析しなくてはならない。さらに、列島全体の中で、あるいは他地方との関係において、紀伊湊が所在する雑賀という地域がどのような位置にあったのか解明することも重要である。
本書が課題としたのは、あくまで雑賀一向衆と雑賀一向一揆の考察である。地域の主体は雑賀一向衆ではなく、雑賀衆であった。しかし、これまで雑賀衆と雑賀一向衆、雑賀一揆と雑賀一向一揆が同じものであるように認識され、議論されてきた。本書ではまずその違いを明らかにするために両者を比較吟味し、戦国・織豊期を中心に、紀伊真宗の開教と発展の歴史を考察し、雑賀一向衆の実態および雑賀一揆における真宗勢力の位置付けと「石山合戦」における動向について明らかにするものである。

著者プロフィール

1954年和歌山県生まれ。1976年同志社大学文学部(文化史学専攻)卒業。同大学院法学研究科(政治学専攻)博士課程後期満期退学。和歌山市立博物館を経て、現在和歌山市和歌山城整備企画課学芸員。南方熊楠研究会会長。浄土真宗本願寺派善勝寺住職。著書に『闘う南方熊楠』(単著、勉誠出版、2012年)、『南方熊楠 珍事評論』(共編著、平凡社、1995年)、論文に「新仏教徒・毛利紫庵の思想と行動」(『同志社法学』59-2、1986年)など。

「2018年 『雑賀一向一揆と紀伊真宗』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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