実践版 安岡正篤 (一流の仕事人になる為に身につけるべきこと)
- プレジデント社 (2015年7月14日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784833421393
感想・レビュー・書評
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一瞬を大切に、一日を大切に過ごし、一生を悔いのないよう、修身に努める。
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20170607
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人生・仕事に対する姿勢を正す為の本。晩年の過ごし方まで書かれており、人生において何回か読むべき本。
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職場の「読書のすすめ」に。
常に、良縁、良書に出会いたいです。 -
20151005 病氣で長く休んだ後、会社に復帰する為の気持ちを整理する為に読んでみた。一度では理解は難しいと思うので何回か読んで行動を伴わせる事にしたい。自信を無くしている時には良い本だと思う。
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人生のステージごとに安岡正篤の思想や言葉を噛み砕いた著者の教養と含蓄ある内容が響いてくる。
安岡教学への、また東洋思想への入門編である本書から原典へと味読を進めたいと感じさせる一冊。
あとがきで知行合一を求めているが、自らの生に期待し、天命を存分に生きるべしという強い励ましをもらった。
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●我々が人間学を学ぶ目的
1)艱難辛苦に直面したときに、たじろいだり迷ったりしない人間になる為
2)自己の内面を充実させ、良心の靖らかな満足を得、外に対しては学んだことを通して世の中の役に立つ人間になる為
●人間学と時務学
生きていく為の知識や技能を身に着ける学問=時務学。現在、日本の教育課程において小学校から大学まで習うのはこれ。時務学をいくら一生懸命学んでも、人格の根、換言すれば精神的バックボーンを養うことはできない。実用的・実務的なちょっとした知識を身に着けるとか、仕事に役立ちそうな学問をちょっとかじっただけで、一人前の仕事ができるなどと思ったら大間違いです。
●読書はただ読むだけでは駄目で、読みながらもその本を自己内部で賦活する必要がある。これを活読という。読みっぱなしならば、むしろ本に読まれていることになる。
●うわべの知識を吸収する為に読書をするのではなく、自分を成長させる糧にするのでなければ読む意味はないのです。その為に、論旨に対して自分の頭で考え、批判や疑問、同感をもってじっくり読むのです。これにはエネルギーが必要ですが、読後感が何も残らないような読書は時間の無駄です。精読・熟読、さらには味読が大切なのです。
●ひとつの考えに凝り固まることなく、また、他の思想をみだりに排斥することなく、さまざまな学問に触れ、それを自らの内に取り入れる。そういうことが自由にできる人であればこそ、その学問も、思想も、人物自体も活き活きとしてくるというのです。
●学問というものは、まず自分が主体となって、自分が積極的に始めなければならない。つまり生きた学問、いわゆる活学をやらなければならない。心が照らされるのではなくて、心がすべてを照らしてゆくような学問をしなければならないのであります。
●人物を知る5つの標準
1)その人が如何なる人を師匠としているか
2)その人が如何なることをもって、自分の一生の目標としているか
3)その人が今日まで如何なることをしてきたかという、今日までの経歴
4)その人の愛読書が如何なるものか
5)その人が如何なる友人をもっているか
この5つを見れば、その人がどれほどの人物かわかると森信三先生は言われています。
●人間には生まれつきの好ましい素質が徳となっている者がある。またよい先生につき、よい友だちと交わって徳が磨かれる者もある。さらに学問によって磨きあげて徳をつくる者もある。しかし生まれつきその徳が完全であるなどという人はいないので、どうしても人間はよい師・よい友を得て仕込まれるか、学問をして練り上げないと徳はできません。
●少しでも高く尊い境地に進もう、偉大なるものに近づこうという「敬」の心から生じた「恥」の気持ちが「自分も発奮してもっと頑張ろう」という「憤」の気持ちにつながっていきます。敬と恥を自らの内に覚醒させ、自分自身を良い方向に変えていく為にも、できるだけ若いうちに心より師事できる人物を見つけて、その全人格を知ろうと大いに努めなければならないのです。
●読書の価値というものは昔も今も変わりないと私は思います。時代がどれだけ変わろうとも本から学べることは膨大にあります。読書によって人間としての教養も、実践で役に立つ生きる知恵も身に着けることができるのです。特に長い時間を経て今もなお読み続けられている古典には、人間の叡智がぎっしり詰まっています。これらは読書によってこそ得られるものであると思うのです。
●楽天知命(自らの天命を自覚すれば、人は平安を得ることができる)の境地に至るのは簡単ではないでしょう。現実はうまくいくことばかりではありません。むしろ一生懸命努力をしてもなかなか思うようにいかず、挫折を感じる機会のほうが多いかもしれません。それによって自らの生き方に迷う人も少なくないでしょう。そうしたときに自分を見限るのではなく、天命というものに思いを馳せれば、余分な心配や悩みを減らすことができるのです。
●賢は賢なりに、愚は愚なりに、それを何十年も継続しておれば、必ずものになるものだよ。別に君、いわゆる偉い人になる必要はないじゃないか。どこかの社会、どこかの業界にあって、その立場、立場において一隅を照らす、つまり一つの場においてなくてはならぬ人になる。そして、その仕事を通じて世のため、人のために貢献することができる。そういうことを考えたらいいではないか。
●小才は縁に出会って縁に気付かず。中才は縁に気付いて縁を生かさず。大才は袖振り合う縁をも生かす。良い縁を結ぶ為の「縁尋機妙」という状況も、一瞬の機会を逃すことなく、自らが主体的に創り上げていかなくてはならないと思うのです。その意味で、運を引き寄せる為には、常に自分が主体的立場に立ち、与えられたチャンスをどう生かすかということが第一に問われるのです。
●不平や不満によって何かが良くなることは決してありません。むしろ不平や不満が出てきたときにこそ、自分はまだまだ未熟だと考えて、一層仕事に打ち込むのです。そうした中でわからないことがあれば、頭を下げて先輩に教えを請えばよいのです。
●好き嫌いで仕事を判断している限り、決して自分の望みは叶えられないと私は思います。天職という言葉がありますが、それは必ずしも自分がやってみたかった仕事とイコールにはならない場合もあるのです。ということは、最初は特に好きではなかった仕事でも、前向きに取り組んでいるうちに熟達して、面白くなって、いつしか「これが自分の天職だった」と気付くケースがあるということです。確かに天職のひとつの要件として、「その仕事が好き」という理由は挙げられるでしょう。しかし、仕事が好きになった時期は人それぞれ違っているはずです。最初から好きだった人もいれば、続けているうちに好きになった人もいるでしょう。そう考えると、それがどんな仕事であれ、やってみなければ自分の天職かどうかはわからないのです。天職を探して転職を重ねる人というのは、結局のところ、自分の好きなことを好きなようにしたいということなのでしょう。結局、嫌なことをしないという姿勢では、いつまで経っても自分の天職に巡り合うことはできないのです。
●人間が備えるべき3つの識
1)知識・・・学んで身に着けるもの。ビジネスの世界ならば正しい情報あるいは最新の情報といってよいかもしれません。
2)見識・・・正しい知識をもとにして、物事の是非を判断していく力。この見識を身に着ける為に必要になるのは「節操」(自らを貫く信条・信念)。自分の主義主張や立場を常に明確にして、何が起ころうとそれを守り抜く態度。節操を身に着けるためには、自らを知り、自らの人生観を確立することが欠かせない。その意味で、節操とは志や天命あるいは信仰といったものともつながっていると考えられる。
3)胆識・・・見識は実行する勇気を伴ったときにはじめて生きてきます。誰がどのように批判しようと関係ない、世の中の毀誉褒貶など一切気にしないという姿勢で自分が正しいと判断したことを堂々と主張し行っていく、そんな実行力こそが胆識ちおうものなのです。胆識をはぐくむための原動力は高い志をもつこと。世のため人のためにという大志があれば、勇気をもって自らの意見を発信し、それを実行していくことができるはず。
●本当のグローバル人材になる為に必要なもの
グローバル化にあわせて英語力は欠かせない要素だが、それと同じく重要になるのが、日本人としての特質をしっかり理解するという、一見グローバルとは逆行するように思えること。日本人とはどういう民族なのかということを十分に理解しなければ、本当の意味で世界に貢献することはできません。民族的な特質を十分に理解した上で、それを活かしていかに世界に貢献するかを考えることが大事。本来、日本人の本質は決して排他的なものではありません。むしろ、自らの誇りを保ちながらも相手を尊重するという人間尊重の精神こそが日本人の特質です。そうやって他国の文化を受容し、工夫改良し、発展させてきた。
グローバル化するとは、日本が欧米化していくことではないのです。日本の良さを保ちながら、むしろそれを世界に広げていくこともグローバル化です。相手を貶す必要など全くありません。相手を尊重しながら、「日本にはこんな良いところがありますよ」と伝えていく。そういうアピール方法もあるのではないでしょうか。
●君子というものは自らの立場や状況に応じて自らを尽くすこと以外には、何も望まないものだと言っています。豊かであれば豊かなように行うし、貧しければ貧しい中でベストを尽くす。辺境の地にあればそこで出来ることを行い、困難が生じればそれを受け入れて決してへこたれないその前提となるのが自得(自分で自分を掴むこと)。そのためには日頃から自己観察と自己反省を怠らず、自分自身をよく理解する努力が欠かせません。
●事業でも、力づくでやっておると、いずれ競争になって困難になる。事業が人間性から滲み出た、徳の力の現れであれば、これを徳業といいます。事業家は進んで徳業家にならないといけないのです。また、その人の徳が、古に学び、歴史に通じ、いわゆる道に則っておれば、これを道業といいます。東洋人は事業だけでは満足しない。徳業にならないと満足しないのです。
●公の為に働き、天命に従って行うという日本人の仕事観によるならば、自分の天分を全うする、すなわち自らの仕事に誠心誠意を込めて取り組むところにしか生きがいは得られないはずです。良いものは取り入れればよいのですが、これも日本人の特質である「工夫をする」ことによって、日本流にアレンジしていく必要がある。アメリカ流の経営を取り入れるときにも、世のため人の為になるかどうかという物差しをもって、日本人に合った働き方を模索して良いはずです。 -
安岡先生については色んな名言があると思いますが、
・愛読書を持つことが、またそういう思索・体験を持つことが人間として一番幸福
・事業というものは、要するに人であります。
したがって、本当の事業は、事業ではなく『徳業』であります。
・いかなる素質、才能があっても、志がなければ人物としては失格である。
など心に残る指摘が非常に多いです。