- Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
- / ISBN・EAN: 9784837954798
作品紹介・あらすじ
本書は論点にいささかの曖昧さ、不明な点がない。最近の歴史書にはめずらしく、プラトン、カントから始まり、ヘーゲル、マルクス、エンゲルス、ニーチェなどの大思想家たちをふまえ、重厚な歴史論を展開している。そして、われわれが今おかれている立場が歴史上でどのようなところにあるのか、またそこに生ずるこれからの問題は何かを実に明快に解き明かしている。
感想・レビュー・書評
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フランシスフクヤマ 「 歴史の終わり 」ヘーゲルをベースとした歴史哲学の論文を 一般向けに加筆した本。
訳者 渡部昇一 の解説や注釈も充実していて、とてもわかりやすい論文。いい本だと思う。歴史という言葉の意味を 学問から 国家の変化 に変換して読む方が 解釈しやすい。
歴史の終わりとは これ以上 変化しない政治体制の終点を意味。リベラルな民主主義が 全ての国家の政治体制のゴールという論調。
リベラル=政府からの自由、私有財産や企業活動の自由。
民主主義=すべての市民が政治的な力を共有する
という意味で 読み進めている。
リベラルな民主主義の対立概念として、ファシズムやコミュニズムを取り上げており、これらが衰退し、リベラルな民主主義へ移行した理由が わかりやすく整理されている。
ヘーゲル
*人間社会は進化し続けるのでなく、一定の社会形態を実現したときに終わる→歴史には終わりがある
*人間の歴史は 生命保持、財産追求だけでなく、他者に認められたい願望を考慮に入れること〜人間を満足させるのは 物質的な繁栄でなく 他者に認められること
*アメリカ独立、フランス革命→普遍的かつ相互的な認知を特徴とする社会の実現→歴史の終わり
*支配と服従の関係を普遍的かつ平等な認知に置き換えることによって 認知にまつわる問題を解決
*ヘーゲルにとっての歴史の終わり=リベラルな民主主義社会
ヘーゲル「最初の人間」
*人間は はじめから社会的な存在→人間は 他の人から認められることを求める
*最初の人間は 他の人間と出会うたびに〜戦いを引き起こし、自分を認めさせようとして 自分の生命を賭ける
*自分が自由(正真正銘の人間)であることを 認めさせる
*人間的自由=人が自然的、動物的存在を乗り越えて、自分の手で 自己を創造したときに出現する
*自己の創造の出発点=生命を賭ける戦い
ファシズムとコミュニズム
*正統性とは〜人々の主観的な認識のなかの相対的な概念〜ヒトラーに忠誠した人々は ヒトラーの権威の正統性を信じた
*全体主義の目標=国民から自由を奪うだけでなく、自由への恐怖を与え〜縛られてる方が幸福と思い込ませる
著者は 気概を 優越願望と区別しつつ、民主主義の政治プロセスを 気概を実現する手段〜自分の見解を他人に認めさせる手段〜としている。
リベラルな民主主義
*他人に侵害されない(自己保存)の最低限のルールのもと
*世界の市場経済と結びつくことで経済発展をして
*市民のチェックや合意を受けながら
*気概を実現する政治体制
となる
ソクラテス
*気概は政治共同体を強固にする反面、その共同体を破壊しかねない〜公正な政治秩序の構築には 気概の育成と制御が必要
ニーチェ
*人間の本質は 欲望でも理性でもなく、その人間の気概
*人間は、まず評価する生き物であり、善と悪の言葉を発する能力の中に生命を見出す赤い頰をした野獣である
「近代教育の目的は〜偏見や伝統的権威から人々を解き放つことにある。教育を受けた者は権威に盲従せず、自分の力で考えることを学ぶ」
リベラルな民主主義が 人間の問題を解決する最善策ではあるが、対等願望と優越願望により 思想混乱は生じ続ける ということだと思う。
ニーチェ「リベラルな民主主義における市民」とは
自由主義者から調教され、快適な自己保存のために 自分の優れた価値への誇りを捨てた 最後の人間
ニーチェ にとって リベラルな民主主義国家とは
*リベラルな民主主義国家は 主君の道徳と奴隷の道徳の統合体ではない〜ニーチェ にとっては 奴隷の勝利
*リベラルな民主主義国家の市民は 優越願望を放棄した個人〜自由や創造性は 優越願望から生じる
*最後の人間は 暖かさを求めたがために 生きていくのが困難な土地から立ち去ってしまった
ニーチェ 「一つの光り輝く星を誕生させるため 人は自分の中に 常に混沌を抱えていなければならない」
*健康と自己満足は 債務にすぎない
*気概とは 闘争や犠牲を進んで求め〜自己証明を試る人間の側面
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現代哲学の諸問題、レポート用。
対等願望、優越願望についてもう一回しっかり考えたい。 -
Book Description
1992年に出版されて以来、『The End of History and the Last Man』は論争と議論を巻き起こしてきた。宗教原理主義、政治、科学の進歩、倫理規定、そして戦争をめぐるフランシス・フクヤマの先見的な分析は、かつて冷戦終結の根本をえぐったのと同様に、世界中で闘いを繰り広げる宗教原理主義テロリストの本質をも突いている。新たなあとがきを収録した改訂版『The End of History and the Last Man』は、まさに現代の古典だ。
--このテキストは、ペーパーバック版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
本書は論点にいささかの曖昧さ、不明な点がない。最近の歴史書にはめずらしく、プラトン、カントから始まり、ヘーゲル、マルクス、エンゲルス、ニーチェなどの大思想家たちをふまえ、重厚な歴史論を展開している。そして、われわれが今おかれている立場が歴史上でどのようなところにあるのか、またそこに生ずるこれからの問題は何かを実に明快に解き明かしている。
目次
第1部 なぜいま一つの歴史が終わりを告げるのか―世界史における歴史的「大転換」とその内部構造(20世紀がもたらした最大の「歴史的教訓」
「強国」の致命的弱点
あまりにも貧しすぎた「超大国」
「千年王国」の旗手)
第2部 幻想のうちに崩壊した「自由の王国」―ヘーゲルの予言はなぜマルクスよりも正確だったのか(人間にとって「普遍的な歴史」とは何か
歴史に見る人間の「欲望」のメカニズム
歴史は決して「逆流」しない
社会進歩のメカニズムと資本主義体制
自由市場経済の圧倒的勝利
民主主義の弱点・権威主義の美点
近代をのし歩いた「悪魔」
「自由の王国」のなかで)
第3部 歴史を前進させるエネルギー―「認知」を求める闘争と「優越願望」(はじめに「死を賭けた戦い」ありき
近代史に登場した「最初の人間」
共産主義がつきつけたファウスト的「交換条件」) -
歴史の終わり(下)のレヴュー参照