- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784837972396
作品紹介・あらすじ
この本には、よくもこれだけの成功例を集めたものだ、というくらい有名無名の成功者たちの"生き方と成功パターン"が示されている。そして、そこに共通するのは、この小さな"プラスの習慣"が身につくかどうかで、すべてに天と地ほどの大差がついてしまう。あなたに成功を保証するこの本の10の習慣は、すべて「朝、顔を洗う」のと同じくらい簡単に身につくことばかりである。
感想・レビュー・書評
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最近若い人を指導する立場になって、もしかしたら自分の仕事に対する価値観や人生観が時代錯誤なのかな、と思っていたところこの良書に出会った。
人間なんて近道しがちな、謙虚であるべきことを忘れがちな、誘惑に負けがちな生き物なのだから本書は普遍的な重しとして貴重な存在だ。
若いうちに読んで欲しい。160年も読み継がれる理由がある。
ただし、戦争で勇敢に戦うことを称賛していたり、文学が人生に与える影響力を過小評価しているところは(?)。
スマイルズの主観、時代背景もあるのだろうが…
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人間としてどう生きていくか。成功している人、活躍している人。いわゆる天才と言われる人は、粘り強い努力家、着実な努力家である。
自分を助けるのは、偶然の力ではなく、確固とした目標に向かって粘り強く、勤勉に歩んで行くこうとする姿勢なのだ。
今の自分はできているだろか?現代においては苦しさを伴うこともあるかもしれない。誠実に、謙虚に生きる。どこかで我慢も必要だ。 -
この本の原著は、1857年に出版されていますが、まさに現在まで読みつがれている名著でした。
自己啓発本は、この一冊だけ読めばいいです!
ぜひぜひ読んでみて下さい。
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古典でもあるので少し構えていたがとても読みやすくほぼ一日で読了。清々しさが残った。
印象に残ったところ
国民全体の質がその国の政治の質を決め、自助の精神の浸透具合がバロメーター
人が自らをどう支配するかが大事で外部からどう支配されているかは重要ではない
人間の価値を見るにはその人が目下の者にどう振る舞うかを見れば良い
気付き
民度=国民一人一人の質×人口
外圧を跳ね返す内圧が大事でその人の自分軸となる
弱者に対する態度が人間性を表す
自分の行動に、意識に取り入れたいこと
失敗しても落ち込み過ぎず、快活さを持って努力し自らモチベーションを上げる
簡単に手に入れた知識は身に付かず薄っぺらいものになりやすいため心に浮かんだ考えや見聞きした事実は書き留め血肉とする
他人に自説を押し付けず、求められて披露する謙虚な気持ちでグイグイ行かない冷静さを保つ
何でも手っ取り早く効率的には最近の流行りだが、時間をかけ試行錯誤した中から生み出されるものでないと薄っぺらく脆いものになる。
国民性や民度はそこに住む人々の精神の高潔さによるとのこと。政治の堕落も然り。何とも耳の痛い話。
誰かのサポートが必要なシーンは必ずあるが、それを得て生かすのも日々自ら内面を鍛えていなければ期待できない。
何事も自らの気持ちの持ちようが結果に大きく作用する。
正しい自分軸を身につけることが肝要。 -
「自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。」
「外部からの援助は人間を弱くする。」
「一度に一つの仕事しかしない人間のほうが、むしろ誰よりも多くの仕事をする」
「着実な努力を嫌う人間が増え、精神力の低下と衰弱が進んでいる」
「休息なんて、あの世に行けば誰でもできるではないか」
「小説を読みふけり、まやかしの感情に支配されると、健全な心はゆがみ、精神が麻痺する危険性が大きくなる。」
「理想に現実を重ね合わせる努力をしているか」
「立派な習慣を身につけるよう気をくばるのが、いちばん賢明な習慣」
本の内容はありきたりな綺麗事を並べ立てているようだが、偉人たちはそのありきたりな事を専一にやってのけたからこそ夢を叶えることができたのだと考えると、自分でもできるのではないか?と思ってしまう。
今までは偉人の偉業をばかりを見て、その人自身の努力を知らなかったが、今回教科書に載っている偉人の苦労話を聞くと非常に人間味に溢れており、違う生き物だと思っていたニュートンらを身近に感じることができた。
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自身の日々の行動を省みるきっかけになるような偉人の言葉が幾つも引用されており、襟を正す思いでした。
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将棋の菅井竜也八段の愛読書ということで読んでみた。高尚な人生訓、金言が散りばめられていた。人生に迷ったらまた読み返したい。優しさと思いやりが大事。
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実に大和魂な(=旧大英帝国パワーな)エンカレッジ本。「天は自ら助くる者を助く」をベースに、おびただしい量の成功者事例を紹介しながら徹底的に「努力即ち成功」をインプットしてくる。凄まじい圧力が逆に清々しく生半可なビジネス書を読むよりやる気は出る。明治時代に日本では「西国立志論」として翻訳されたらしく、時代が大きく変わった明治の若者たちを如何にして刺激したか、想像に難くない。余談だが、ここの著者の翻訳は口が悪くて好き。平気で落ちこぼれとかノロマとか途方もない大バカ者とか言っちゃう。ただし、ちょっと貧困を努力の培地として賞賛しすぎてて、普通の家庭で育った自分にとってはちょっと腹落ちしない部分はある(執筆された時代的に仕方がない気もするが)。
二つほど、心に留めるべき文があったので、ここに記す。
豊かで恵まれた家庭に育ちながら、なおもその時代に重要な役割を演じることができた人間、つまり、快楽に満ちた生活を軽蔑し、毎日を勤勉に生きた人間こそ、いっそう尊敬に値するといえよう。
確固たる目的や目標を持っていれば、勉強も実り多いものとなる。ある分野の知識を完全にマスターしていれば、いつでもそれを活用できる。この点から言えば、単に本をたくさん持っていたり、必要な情報を得るには何を読んだらいいかを知っていたりするだけでは十分といえない。 -
自助・共助・公助のどれがいちばん大事だろうか、というと、最近では共助がもっとも大事だ、という答えが多いように見受けています。そこには、前提として自助が行われいるというのがあるかもしれない。自助が最低条件としてあって、そのうえで、共助が大事です、と言っているかのように、ぼくにはとれるようなふしがありました。しかし、民度が高くてなんでも言える世の中で、自己開示していけるならばそれが一番いいのでしょうけれど、あんな街だとかあんな病気だとか、負のイメージにこりこりに固まるひと(スティグマにとらわれるひと)が多いから、自分はこういう窮状にいてこんなことに困っているのだと、自己開示して共助を求めるよりか、自助でなんとかしようというほうが現実的な場合が多々あるでしょう。それで、じゃあ「自助」を掘り下げて考えるとどういうことをすることなの?という問いが生まれます。漠然と、こうだろう、と考えていた「自助」というものの捉え方を、そんな150年前の書物で確かめ、アップデートするのが目的の読書でした。温故知新です。