旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。 (電撃文庫 よ 4-1)

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  • メディアワークス
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  • Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784840241922

作品紹介・あらすじ

世界は穏やかに滅びつつあった。「喪失症」が蔓延し、次々と人間がいなくなっていったのだ。人々は名前を失い、色彩を失い、やがて存在自体を喪失していく…。そんな世界を一台のスーパーカブが走っていた。乗っているのは少年と少女。他の人たちと同様に「喪失症」に罹った彼らは、学校も家も捨てて旅に出た。目指すのは、世界の果て。辿り着くのかわからない。でも旅をやめようとは思わない。いつか互いが消えてしまう日が来たとしても、後悔したくないから。記録と記憶を失った世界で、一冊の日記帳とともに旅する少年と少女の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 物語としては大きなことは起こらないし、変わったことも起きない。ただ、高校生の男女2人が「喪失症」ってものが起きた世界をカブで旅をするってだけ、でもそれがただ素晴らしい。

  • 人びとの名前がうしなわれ、記録がうしなわれ、存在がうしなわれていく「喪失症」が蔓延する世界の物語です。喪失症の症状が現われはじめた「少年」と「少女」の二人は、スーパーカブに水と食料、生活用品、そして大きな日記帳を載せて、「世界の果て」への旅に出ました。

    二人は、会社を辞めて畑仕事をはじめた「取締役」と「秘書」、人力飛行機を制作している「ボス」、そして心臓の病に苦しめられている「姫」と彼女の世話をしている養護教諭といった人びとに出会い、旅をつづけていきます。

    すこし文章の荒いところも見られますが、それも含めて、みずみずしい作品世界をかたちづくっています。できればもっと若いときに出会いたかった本です。

  • 少年と少女が恋人だと誤解されたり、互いに意識したりしながらスーパーカブに乗って旅をするとかかっこよすぎる。
    取締役やボスは自分の夢を果たすことができて幸せだったと思う。
    あの世界の人々は自分がもうじき存在しなくなることをわかっているからこそ自分の夢を追いかけることができたのではないだろうか。
    少なくとも、今の自分には生活をすべて捨ててスーパーカブで旅なんてできない。
    どうか、彼らが大陸も旅をできるように喪失病の進行が止まればいいのにとか思ってしまった。
    それから、姫と先生の二人の旅も気になる。

  • セカイ系と言われることもあるが、『イリヤ~』に代表されるそれらとはやや異なる。本作における少年・少女の関係は「セカイ」の行方を左右する方向へは向かわない。喪失症という危機を抱えた「セカイ」にあって、現に存在する自己を確かめ合い、消えるまでの限られた未来を共有する関係に留まっている。内なる関係性が外へ影響を及ぼすのではなく、外の影響から内なる関係性が生じ、再び外へ還元されることはない。主人公が名前をもった特別な誰かではなく、最後まで単なる「少年」「少女」であり続ける点、そうしたあり方を端的に示すだろう。
    「天国や地獄が本当に存在するとは思っていなかった。が、それでも消えた人間が、本当にただ消えてしまうとは思いたくなかった」(p.192)は、死に対する人間の根源的恐怖をよく言い表している。多くの文化圏で、死後の世界が想定され、その喪失を「別れ」と呼んでここではないどこかへ行ったかのように表現されることは、それに対する一つの慰みなのだろう。形見によって偲ぶ行為も、現在の不在を確認することで、かつて存在していたことを確かめる方法である。
    しかし、本作の喪失症は、故人のあらゆる痕跡を奪い去る。形見も消え、偲ぶ方法も失われ、不在を確かめることすら困難にする。そのことは、かつて存在していたという記憶すら曖昧にさせる。そこに、三章幕間で述べられる少年らの抗いの方法がどれほど有効か。遺されたそれが遺されたものであることさえ、わからなくなってしまう危機に対して、その方法が慰みとなり得るのは何故なのか。説明できないが、不思議と共感はできる。

  • 電撃文庫らしいタイトル。
    このタイトルだけで気になって手に取った人は多いと思う。私もその一人だった。
    内容は思った通りセカイ系。世界観は
    情景描写である程度把握できるので、詳しい説明は省かれている。二人の物語を書きたかったのではなく、雰囲気重視で書かれた物語。そのため邪魔をしないように登場人物や建物などの固有名詞は存在しない。
    読み終わっての感想は特にない。

  • 感情の純粋空無に於ける哀しみというのがあると思う。日常の惰性態が無化された瞬間にもなお残る elementary な零度の哀しみ。たとえばここに古典的名著と呼ばれる一冊の本が在るとする。歴史の風雪に耐えてきたと云うが、つまりは歴史の混濁の中で雑多な猥雑な語りと眼差しに塗れてきたということだ。世界からその内実が『喪失』されつつある中で、自分自身の存在をも『喪失』の予感に晒されつつある中で、「世界の果て」へと旅を続ける少女と少年は、歴史の土に一切の根を下ろしていない。それはこの小説も同じじゃないか。或いは、そう感じる私が、歴史の中に身を置けていないと云う事だけなのか。私は今まで、死んだ人間の本ばかりを読んできた。「世界の果て」、つまり何処へでもない何処かへ向かう旅。そこには乾いた哀しみだけが在る。

    "もし二人が故郷へ帰るとすればそれは、地球を一周した時だ。"

    しかし、どうしても"ライトノヴェル"と呼ばしめるあの文体と定型的脈絡とによって、この純粋否定態に於ける哀しみが、小説の中では弄ばれて終わってしまっているように感じられてならない。そのことが残念だ。

    純化されたこの小説をもう一度読んでみたい。本を読み終えた瞬間に背筋が震えたのは、とても久し振りのことだった。

  • 好きが詰められた本。雰囲気が良い。

  •  わたしの六月はゾンビ月間。
     なんとなく終末漂うタイトルに反応して手に取ったが、所謂ゾンビ作品では無かった。
     目茶苦茶広義に捉えれば解釈は可能だが。
     「名前」と実体が消える病が世界に広まり、人々が消えていった。
     少年と少女が世界の果てを目指してスーパーカブで旅をする話。
     旅の途中出会う人がいい人ばかりなのは「病」の法則によるのか、作品の都合か。
     細々した描写がしっかりしているので「病」の設定も実はしっかりしていたと思いたい…。
     続編は出ていないが彼らの旅と世界の終末を見届けたかった気もする。

  • 久しぶりに読んだラノベ。おもしろかった。大好きな本になった。
    少年と少女の旅、楽しそうだった。

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