男らしさの終焉

  • フィルムアート社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845918300

作品紹介・あらすじ

どうしたら窮屈な“男らしさ”のスーツを脱げるのか?
男性はどこへ向かうべきなのか?

男性が変われば世界全体がより良い場所になる

──ターナー賞アーティストであり異性装(トランスヴェスタイト)のクレアとしても知られるグレイソン・ペリーが、新しい時代のジェンダーとしなやかな男性のあり方を模索する。


英国生まれのアーティストであり、TVメディアでパーソナリティを務めるグレイソン・ペリーは、12歳の時に自分の男性性に疑問を抱き、やがて女性の服を着ることに魅力を感じるようになりました。

暴力的な継父など周囲の男性たちやジェンダーの縛りのせいで苦しんだ経験をもつグレイソン・ペリーは、男性の最大の敵は、男性自身だといいます。
男性性の被害者は女性だけではありません。
男性自身もまたジェンダーを演じることに駆り立てられている犠牲者といえます。

大抵の男性はいい人で道理をわきまえています。
しかし、乱暴な人間、レイピスト、犯罪者、殺人者、脱税者、汚職政治家、セックス中毒、ディナーで退屈な話をするのは、なぜ男性ばかりなのでしょうか。

世界は絶えず変化しています。男性にも変化が必要です。
マッチョで時代遅れの男らしさと距離を置き、それとは別の男らしさを受け入れることで、世界にポジティブな変化をもららすことができるのです。

本書では主に男性性が支配する四つのエリアについて言及しています。
・権力(男性が世界を支配する様子)
・パフォーマンス(男性の服装と振る舞い)
・暴力(男性が犯罪や暴力に手を出す様子)
・感情(男性の感情)

グレイソン・ペリーは、人種、階級、性別、セクシュアリティ、経済学、人類学、社会学、および心理学など、さまざまな分野を横断しながら、冷静な(時には風刺を交えて)分析をしています。そして、本書の最後に、男性向けの未来のマニフェストを提示しています。

《男性の権利》
傷ついていい権利
弱くなる権利
間違える権利
直感で動く権利
わからないと言える権利
気まぐれでいい権利
柔軟でいる権利
これらを恥ずかしがらないでいい権利

社会で規範とされている男性像、男らしさの固定観念から自由になるために。
世界を少し違った形で見るために。

これからのジェンダー論、ついに刊行。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    筆者のグレイソン・ペリーは、性別としては男性だが、トランスヴェスタイト(異性の服装をする人)であり、12歳の時から自らの男性性に疑問を抱いてきた。暴力的な父親のもとで育てられ、男性性の野蛮さを痛感してきた彼は、15歳になる頃には反男性プロパガンダに加わっていたという。

    そうした複雑な境遇のもとで青春時代を送ってきた筆者が、「男性性は変わらなくてはならない」と提唱するのが本書、『男らしさの終焉』である。筆者は「男たちよ、自分の権利のために腰を下ろせ」と述べており、男らしさとその特権を放棄したほうが、男にとってもかえってメリットがあるのではないか、と指摘している。

    例えば、男の子は女の子よりも「我慢強くあれ」「感情的になってはいけない」と教えられる。このカルチャーの中では、男の子の感情は女の子のより種類が少ないし、単純だと思われている。また、男の子は女の子より丈夫だし、細かいことは気にしないと信じられている。
    だが当然、男の子だからといって苦難に耐えうる強さを必ず持つ理由はない。むしろ感情の起伏に対して抑圧的であることにより、弱音を吐き出すのを控えてしまい、孤立、不安、感情の麻痺といった心的ストレスを抱えてしまう。

    筆者は「男性のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化しない存在として片付けるのをやめよう」と提唱しており、同時に、男らしさから脱却することで、むしろ「弱者に共感できるようになるし、経済力を気にしなくなるし、良い人間関係の恩恵に目を向けられる」と述べている。社会のポジションの大部分が男性によって占められており、その結果競争的な構造が形成されているのであれば、男性の弱い部分を解放してあげることで、より思いやりの深い社会を築くことができる。全ては男性が変えはじめることであり、そして男性のためにもなることなのだ。
    ――――――――――――――――――――
    以上が本書の一部まとめである。
    本全体として、筆者は男性に結構厳しい目線を向けており、中には過激なだけで根拠に乏しい発言もある。「概して男性は女性と違って友情を保つのが下手だ」「男性がプラトニックで健全な関係の大切さに気づかないのは、そこにはセックスという原動力が関わっていないためである」という感じだ。筆者自身が、男性性としての生き方に悩みながらも、軍隊や競争といった男らしさにあこがれていたという複雑な事情を持っていたこともあり、男へのステレオタイプを強調する傾向にあるのが気になるところだ。
    だが、筆者は決してミサンドリーではない。男性性のメリットを受け止めつつも、有害な特徴については改めていこうね、というスタンスを取っている。女性が読んでも男性が読んでも、あらたな価値観の構築に向けて何かしらのヒントをくれる一冊だった。

    ――男性性は、孤立している状態のことではない。幸福な未来にふさわしい男性性を構築できれば、武力に訴えることが減るし、弱者に共感できるようになるし、経済力を気にしなくなるし、良い人間関係の恩恵に目を向けられるようになる。
    私たち男性は、自分の人生をかけても男性性は変えられないと思うのをやめよう。私はセラピーを受けたことで、物事に対する考え方は本質的なものであっても変えられることを学んだ。変化には、動機と教育と十分な時間が必要なだけなのだ。
    男性のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化しない存在として片付けるのをやめよう。何しろ彼らは女性と同じ脳をもっているのだ。問題は、現在の男性の性役割に締め付けが強いことだと思う。男性は常に、無意識的に監視してしまうのである。
    健全に変化を起こすには、差異を許容することが重要だ。男性は、他の男性に対しても自分に対しても男らしさの基準に達していないという理由で責めるのをやめるべきだ。
    ――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 「男らしさ」という性質にひそむ害
    男らしさという悪党がもたらす問題は、今日の世界が直面しているもののなかでも最悪だ。ある種の男らしさは露骨にヒドイ場合、または密かに傲慢である場合は特に、自由で平等で寛容な社会にとって害になる。世界のあらゆる問題はY染色体をもった人々の振る舞いが原因であり、男性とは権力や金や銃や犯罪歴のある人間のことらしい。

    大勢の人に女性的だと考えられている振る舞いを、男性もするようにしないといけない。つまり、思いやりがあり、人を幸せな気持ちにさせ、地球を救う振る舞いをである。

    1976年、社会心理学者のロバート・ブラノンとデボラ・デイビッドは、男性の性役割に関する、すなわち伝統的な男性性に関する基本的な構成要素を四つにまとめた。
    ひとつ目は「意気地なしはダメ」。二つ目は「大物感」。上に見られたいという欲求と、男性の成功とステータスを論じている。三つ目の「動じない強さ」では、とりわけ危機的状況における男性のたくましさと自信と自立心を説明している。四つ目の「ぶちのめせ」では、男性の振る舞いにおける暴力性、攻撃性、大胆さを論じている。


    2 デフォルトマン
    デフォルト(初期値)マンとは、白人・ミドルクラス・ヘテロセクシュアルの男たちのことだ。社会のあらゆるところに存在し、特にエリートクラスに多く存在する。デフォルトマンが成功するのは当たり前である。なぜなら我々の社会の大部分は彼のルールで動いているからだ。デフォルトマンの性、人種、階級が有利になるように、彼の世界観は政府やメディアやビジネスに組み込まれ、社会の基本構造にバイアスを与えているのだ。

    デフォルトマンのアイデンティティという拘束服は、部族の全員が喜んで着ているかというとそうでもない。リーダーや、一家の大黒柱や、ステータスハンターや、性犯罪者や、尊敬を集める人物や、立派な業績の象徴。そうなっていることへの心地悪さにもだえている者は多い。
    デフォルトマンの役目を終えることは部族のメンバーにとって良い面もあるだろう。常に責任を「立派に」背負っているストレスで爆発寸前になっている状態から抜け出したり、人々が平等でいるおかげでロクでもないことをせずに済む世界に暮らしたり、新しい膨大なワードローブから服を選んだり。他人に責任を取ってもらえるという後ろめたい喜びを味わうこともあるだろう。しかし本当の利益は、元デフォルトマンが目に見えるかたちで他人に配慮し、積極的に関与し、良い人間関係を築くことである。これは幸福なことだ。

    現代の男性は常に危機にある。なぜなら、他人よりも上回っていたいという男性の衝動は、啓蒙主義以降の現代世界の中心的な概念、すなわち人間はみな平等であるという思想にそぐわないからだ。
    このアイロニーは男性性が不安定になる状況をよく示している。平等と技術の進歩と人権に関する現代の取り組みは、昔から男性が肉体で行ってきた物理的な支配を狙い打ちにしている。人類がうまく生き抜くために必要だった脳には、だいぶ前にあるプロセス(現代性と民主主義)が設定されたが、それは古い男性性と合わないものなのかもしれない。


    3 ジェンダーは選び、演じるもの
    19世紀まではピンクは男の子の色だった。成人男性は赤い軍服を着ていたからだ。対して、青は繊細で上品であるため女の子にふさわしいとされていた。やがて売り手によって、ピンクと青のジェンダーが逆転し、ピンクが女の子の色として定着したのは1970年代になってからだった。
    ピンクの歴史を見てみると、男性性と女性性の象徴はまったく恣意的であるということがよくわかる。ジェンダーを明確に示すために必要な小道具とジェスチャーと台本は、本来的に決定されているのではなく、一時的な社会的構成概念なのである。

    ジェンダーはパフォーマティブであり、ほぼすべての人間は、支配的な二元システムの一員として見なされるために努力している。しかし、この考えは人を戸惑わせる。ジェンダーに応じたパフォーマンスに慣れすぎているせいで、「我々はジェンダーをパフォーマンスしている」ということに一部の人は納得しないだろう。「そういうものでしょ」と言うかもしれない。世の中が変化しているとはいえ、自分の容姿に関わる問題を些細なものだと考えている男性はまだ多い。

    男らしい外見への志向は、古い男性の役割が不要になっている現状への反応である。それはワーキングクラスの男性性がよく表れている例だと思う。眩しい筋肉、タトゥー、ラウドミュージック、爆音で走る車。これらはどれも、重工業産業が崩壊し、状況が悪くなっているのがはっきりしてもなお、「本物の男」だというメッセージを発信したがっている気持ちの表れである。
    過剰な男性性は、力のない男性が取り入れようとすることが多いようだ。極太の上腕二頭筋や分厚い胸筋をつくるのに必要な動きを、ワーキングクラスの仕事である土木工事のパントマイムとみなすこともできる。男性が体をケアするのは良いことだが、必要ないほど求めてしまう筋肉は、男性の服の装飾的な機能と通じるものがある。今日のサービス産業の労働者にとって、ベンチプレスで150キロのウェイトを持ち上げる筋力はまず必要ない。男性たちは男性の美しさには見た目以外にも意味があるという幻想に固執しているのである。


    4 未来を作るための男性性
    社会は進歩し、機械が荷を持ち上げ、戦闘の多くは専門家に外注されている。男性性の基本的な力学支配・多数派の必要性は、近代化計画のなかではまったく時代遅れのようである。私たちの望み通り、より平等で寛容な社会へとたどたどしくも前進するにつれて、男性が受け継いできた心理的なツールと肉体的なツールは不要な部分が増えているように思われる。

    ジェンダーをめぐる激しい議論は、活動家、メディア、学者、つまりミドルクラスの人々によって行われている。一方、その輪の外にいる男女は不当に扱われている。

    偏見に満ちている男性権利活動家から離れた、理想の運動とはどんなものだろう?現代の男性は次世代に対して、女性が優位になることを疑ったり拒絶したりしてはいけないと教えるべきだ。同時に、そのことの大切さや、これまでの男性のあり方や、負の歴史に囚われた時代遅れの人間ではなく真に現代的な男性でいる術を、教えなければいけない。

    男女平等の世界で男性はどうなるか、どうあるべきか。それにフォーカスした例はほとんどない。社会の変化によって女性が受ける利益と男性が受ける屈辱に関する記事を、いくつも読んできたが、男性の未来についてはあまり書かれていなかった。専業主夫の増加。セクシストの減少。心を開いて気持ちを伝えること。いずれも重要な社会的変化である。
    問題は、それらがかつてなかったものであるため、オールドスクールな男性たちの強力なプロパガンダを退けるロールモデルとナラティブがないことである。男性に必要なのは、時代遅れのロマンチックな物語のスリルではない。今ここにある親密な関係と意味ある役割がもたらす、日々の幸福を祝福する態度である。


    5 男性性の殻を打ち破れ
    男の子は成長する過程で、男女の感情は異なるとするカルチャーに浸かっていく。そこでは、男の子の感情は女の子のより種類が少ないし、単純だと言われている。男の子は女の子より丈夫だし、細かいことは気にしないと言われている。
    男の子の感情の複雑さを過小評価するのを今すぐやめよう。男性は暴力との、パフォーマンスとの、力との関係を変革しなくてはいけない。まずは、子供であれ大人であれ男性がもっと感情の広がりをもてるようにしよう。男性性にポジティブな変化が起これば、世界にものすごくポジティブな変化が起きるだろう。男の子にとって感情表現は難しいものだが、成長すると、ひげが生えて声変わりをするのと同じくらい、うまく表現できないことをあっさり受け入れてしまう。

    男の子は、運動場や遊び場で転んだり怪我をしても泣いてはいけないときわめて具体的に教わる。しかし、感情の危険についてはどうだろう。女の子をデートに誘ったり、同僚ときわどい話をしたり、友人に個人的なことを打ち明けたりするときに、木登りしたり巨漢の選手にタックルするときの気の強さやマチズモは役に立たない。普通の男の子は、乗り越えれば成長できる機会に、自分の能力のなさに落ち込むことがある。男の子が自分の感情に敏感でいるように育てられていないとしたら、意見の相違が起きたときや、愛情を表現するときに、どうやって自分の感情を声にすればいいのだろう?

    ソーシャルワークの研究者であるブレネー・ブラウンは、TEDで「傷つく心の力」という素晴らしいトークを行った。ブラウンによると、最も充実した人間関係をうまく築いているのは、心が傷つくリスクを冒し、自分の弱さと失敗、つまり自分の弱さの根底にあるもをさらけ出せる人だという。他人に自分を開いているのだ。
    ブラウンによると、多くの人が感じている恥ずかしさは、つながりが絶たれることへの不安、つまり「私は十分ではない」ことを知られる不安である。そして、人々はそういうことを話したがらない。他人とうまくつながっていると感じている人とそうでない人に違いがあるとすれば、前者が自分は友情や愛を受けるにふさわしいと思っている点だとブラウンは言う。

    男性性は、孤立している状態のことではない。幸福な未来にふさわしい男性性を構築できれば、武力に訴えることが減るし、弱者に共感できるようになるし、経済力を気にしなくなるし、良い人間関係の恩恵に目を向けられるようになる。
    私たち男性は、自分の人生をかけても男性性は変えられないと思うのをやめよう。私はセラピーを受けたことで、物事に対する考え方は本質的なものであっても変えられることを学んだ。変化には、動機と教育と十分な時間が必要なだけなのだ。
    男性のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化しない存在として片付けるのをやめよう。何しろ彼らは女性と同じ脳をもっているのだ。問題は、現在の男性の性役割に締め付けが強いことだと思う。男性は常に、無意識的に監視してしまうのである。
    健全に変化を起こすには、差異を許容することが重要だ。男性は、他の男性に対しても自分に対しても男らしさの基準に達していないという理由で責めるのをやめるべきだ。

    ●男性の権利
    傷ついていい権利
    弱くなる権利
    間違える権利
    直感で動く権利
    わからないと言える権利
    気まぐれでいい権利
    柔軟でいる権利
    これらを恥ずかしがらない権利

  • 国際女性デーに手に取りたいブックリスト|美術手帖
    https://bijutsutecho.com/magazine/insight/26853

    「男」に悩むすべての人へ。ターナー賞作家グレイソン・ペリーの新書『男らしさの終焉』をチェック|美術手帖(2019.12.19)
    https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21080

    「男らしさの終焉」書評 「社会の弊害」からいかに脱するか|好書好日(2020.03.14)
    https://book.asahi.com/article/13212719

    男らしさの終焉 | 動く出版社 フィルムアート社
    https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21080

  • メモを取りラインを引き、3.4回読み返した。女性の書いた、フェミニズムに関する書籍はまあまあ読んできたのだが、男性がジェンダーについて書いたものを本として読むのはこれが初めてだった。とても新しくて、柔軟で、正直な内容で、すごく新鮮な気持ちになれた。
    副題をつけるなら、「男性と女性。この支配的二元システムからの解放と新しい権利」とか。

    自分は女で、フェミニストを自認している。小さな頃から、ジェンダーバイアスを意識してきた。
    この、「意識する」という感覚自体が、男性にはあまり無かったのだという意見にハッとする。
    なぜなら、今のこの状況が、昔からの「普通」で、「当たり前」だったから。
    「どうして大体の家はお母さんがご飯をつくるのに有名なシェフは男が多いのか」
    「なぜ司会者の男性がいてアシスタントは女性なのか」
    「なぜ男性が主に働いて女性は子を育てるのか、なぜ離婚したらほとんどお母さんと子が一緒になるのか」などなど、小さい頃お母さんを質問責めにした覚えがある。自分の家庭が一般的なものではなかったせいもあると思う。父は家事全て出来て、車の免許が無く、母はとても強くて、言葉使いも乱暴で、怖いもの無し。外食が好きで遊ぶのも好きだった。(それ以前に父は失踪癖があり、酒乱、バイセクシャルだった)
    テレビや周りの家庭からのジェンダーに関する「スタンダード」とされる刷り込み。
    男女では感情が違う。男の子だから、女の子だから、という、親の言い訳。(これは母になってからさらによく耳にする)
    著者は言う、「ジェンダーはパフォーマティブである。」この言い分も新鮮だった。当たり前とされていることに内包されているジェンダーバイアスに、ではなぜ女性の方が意識的になるのか。
    それは長い歴史のなかで、対等であるべきと戦ってきたからだと思う。
    例えば、政治参加。(日本で女性に参政権が成立して74年) 例えば、雇用機会。(男女雇用機会均等法が成立して34年)
    これらを男性は生まれながらにして持っていた、だからそれを差別だとは思わなかった。対等になろうとする健全な考えを拒否するのは、ノスタルジーと共にある刷り込まれた「男性性」であると言う。
    Metoo運動、Kutoo運動に激しく反応し攻撃する男性(なかには女性)を思い出す。
    男らしく、女らしく、という幻想は、未来に必要だと私は思わない。全ては個であるべきだと思う。

    女性が未来を向いているのに対して、進歩的では無い男性は、ポジティブディスクリミネーション(積極的差別是正措置)は男性差別だと訴える。
    日本の育休取得率は6%、衆議院議員女性率は10.2%(世界的には24.3%)。映画監督の94%は男性、医師の80%は男性。
    この本はイギリスについて書いてある。イギリスでも悩める進歩的男性はたくさんいる、日本はどうだろうか。
    男らしさに苦しめられている人は、きっとたくさんいるはず。最近大好きな氷川きよしさんとか、自殺まで考えたらしい。今の生き生きとした姿は、男女問わずジェンダーパフォーマンスに苦しむ人に勇気を与えていると思う。男性の権利を奪っている本当の正体は何だろうかと、考える必要がある。
    受刑者の男女比なんかにも言及があったが、ここにその感想を書くと独りよがりになりそうだ。社会全体の問題として、ずっと「意識」すること。
    新しいしなやかな男性性の在り方を皆が受け入れたら、ものすごい変革が訪れるのではないのかな。
    辛くなる事件(医大の女性減点、センター試験日の痴漢など)がたくさんある。フェミニズム同様、新しい男性性の未来を女性もまた考えることが大切。
    非常に刺激になりました!

  • フェミニズムの話は読んだことがあったけれど、「男らしさ」についての話は読んだことがなかったので新鮮でした。
    小さい頃から周りに吹き込まれたり、メディアの影響もあってか、男の子はこうあるべきとか女の子はこうあるべきとかなんとなくイメージするものはあるけれど、本当のところ、私は「男らしさ」とか「女らしさ」がよくわかっていません。
    男だから、女だからというよりも人としてこうありたいな、こうあってほしいな、というのはありますが。
    女性は色々変化しているし、せざるおえない状況だったんだろうと思うけど、男性が変わったというのは今ひとつ実感がわかないです。
    男とか女とか関係なく人として相手を思いやり、助け合える世界であったらいいなと思います。
    こういうテーマは変わるのにすごく時間がかかる気がします。

  • ザ・翻訳という感じで少し読みにくかった。
    男性が男らしさという呪縛から解放されれば、女性が女らしさを求められる機会も減るだろう。
    わたしはフェミニストだけれど、男性に対し権利を主張するというより、みんな自分らしく生けれたらそれが最高だよね、という立場なので、こういう本をみんなもっと読んで!と願うばかり。

  • 誰かが勧めたとかじゃなく、たまたまAmazonで出会ってしまった。それだけの本で、ここまで私を揺さぶって、考えさせて、勇気付けてくれた本はなかった。

    著者のグレイソン・「クレア」ペリーもTV(トランスヴェスタイト)であれば、このレビューを書いてる私自身も、TV。
    イギリスと日本の文化の違いを除けば、書いてあることで、共感できなかったことはなかった。
    この人も、「男」「男らしさ」「男性性」と、(人からは独特の仕方に見えるかもしれないけれど)誠実に反抗し、葛藤し、格闘してきたんだ、ということが読んでいてとてもよく伝わった。

    そういう人間だからこそ、
    「むしろ私は、女性の格好をすることで男性のあり方をもっと鋭く考えられるようになった」(p.13)
    という言葉を、魂の底から実感込めて言えるのだ。

    「女装」をすると、直ちによく分かることが二つある。
    一つは、いかに自分が普段から「男装」をしているかということ。
    もう一つは、いかに自分の抱いている「女性」像が“テンプレ”かということだ。

    思えば「女装」という「男性」からの一時的な解放の仕方を覚えてからの私は、同時に、「男」でもないがしかし「女」でもない「何か」の間で、ムズムズとした違和感と居心地の悪さに苛まれながら、自分のセクシュアリティについて葛藤し、もがき続けてきたように思う。
    そして、就職するようになってからも続いた、私のセクシュアリティに対する社会からの「男性特有の抑圧的な眼差し」を言語化したいと思っていた。
    「男性省」という言葉でクリアに認識できるようになったのは、だから、この本のおかげなのだ。

    イギリスにも男性省はあるだろうけど、日本にももちろんある。
    国会議事堂の中に、霞ヶ関に、大中小問わず会社のオフィスの中に、学校に、テレビ局に、神社仏閣の中に、各ご家庭に、脈々と日本流の形である。

    「デフォルトマン」で思い浮かぶのは、日本で言うところのA部S三、麻◯太◯、石原ファミリー、小泉ファミリーあたりが典型的だし、なんと言っても日本には天皇家がある。
    また、そういう「デフォルトマン」近辺に群がる、無数のオールドスクール、オールドファッション、ノスタルジックマンな男たち(もっと言えば「ムラの男衆」)の姿も、私には容易に思い浮かぶ。

    そういう人たちに向けて、社会改革のメッセージとしてこの本に書いてあることをそのまま当てはめるのは、どうだろうか、正直私にはまだ早いような気もする。
    社会構造面から言っても教育面から言っても、クリアすべき課題が、イギリスに比べてはるかに多く、従ってはるかに時間がかかることも、もちろんそうだ。ポジティブ・ディスクリミネーションを採用出来るくらいにはこの社会はまだ成熟しておらず、未だ家父長制を強固に引きずっている。宗教(というか民間信仰)の放つジェンダー圧力も強烈だ。だが何よりそれ以前に、「男女共同参画」をこの国はあまりに他人任せ(特に女性・マイノリティ任せ)にし過ぎだし、「男女平等」ということで、世界全体が一体何を目指しており、私たち一人一人に何が問われているのか、明確に理解している人が、まだこの日本という国ではあまりに少な過ぎると思うのは、私だけだろうか?(私だけならいいけど)

    でも、草の根からアクションするためのヒントは沢山あるはずだ。
    中でも、「男にはセラピストが必要だ」ということに、私も同感だ。
    もちろん、自分に都合のいい、キモチイイところだけをくすぐって回復さしてくれる、いわゆる「癒し系」の人のことではない。たとえ自分に都合の悪い部分だとしても時にはそこに一緒に同伴し、心のトゲとなっている部分、トゲとして刺さってる部分を抜き、本来望ましい、穏やかで優しい統合された自己へと人格を回復さしていく、そういうセラピストが望まれている。
    男は自分自ら「凶器」を捨てるのが難しいところがある。強烈な体験か、でなければ誰かの助けを借りて、凶暴にもなりうる自分自身の内なる獣との付き合い方を学んでいく必要がある。
    その点、異性装はセラピーではないが、「男装」から解放されることの癒しが得られる人は得られるかもしれない。

  • ジェンダーイシューは女性の観点から語られる本が多いけど、そもそもジェンダーの問題は女性だけに留まらず男性側も意識を変えていく必要があって、この本は男性側から男性特有のプライド問題や越権的な社会構造ちゃんと見直して、そろそろ男だからっていう鎧は脱ぎ捨ててみてもいいんじゃないの俺たち、どうよ?社会構造見直さない?的な本です。ジェンダーイシューを男性側から紐解いて読んでみたいと思っていた私にはちょうど求めていた本でした。

  • メンズリブの有名な本。
    翻訳本特有の日本語なのに意味が分かりにくい(英文の構造を受け継いでいるため)のと、イギリス人が共有している文化的背景について知らないと感覚的に分かりにくいことが多く初心者向けではないと思った。
    メンズリブ初心者はフェミニズムの本や他の日本人が書いたメンズリブ本を先に読んだほうがいいと思う。
    マチズモが社会の発展の足枷であることは日本のみならずどこの国も抱える問題であるということが認識できる。

  • 「普通」や「自然」はヘイトの根幹にある危険な言葉だ。「あなたもあなたのやり方も普通じゃない」は、差別を受けているマイノリティに向かってしばしば公然と放たれるセリフである。そういう攻撃的な態度の背後にある思想に基づいて、日常の行動のあらゆる判断がなされている。私たちはこのような一見些細な不正義に対して、繰り返し注意を呼びかけなければならない。(p.33)

     男性たちは「男性省」という目に見えない権威に従って役柄を演じている。いつ観察されているかわからないので、私たちは繰り返し互いにチェックしている。私たちは役柄の範囲を守る。誰もがみな、権威の操り人形であり囚人だ。私は男性を見ると、男性を演じることに駆り立てられている気の毒な人だと思ってしまう。(p.80)

     役者たちは—役の準備をしているときは—衣装の大切さを口にする。ひとたび役柄に入り込めば、演技に没頭できるようになる。というわけで、ジェンダーをめぐる大きな議論では、服は変化の重要な推進力のひとつかもしれない。あらゆるアイデンティティは自分と他人とによってつくられる。権力者として見られたい場合、その役の服を着れば、人々は無意識に、あるいは別の方法で、あなたを権力者として扱いはじめるだろう。男性のあり方を変えたいのなら、彼らの衣装を変えて、演技に変化をもたらそう。(p.103)

     現代の西洋人男性なら、自分の肉体と多くの本能がもはや必要とされなくなっていることがわかる。社会は進歩し、機会が荷を持ち上げ、先頭の多くは専門家に外注されている。男性性の基本的な力学—支配・多数の必要性—は、近代化計画のなかではまったく時代遅れのようである。私たちの望み通り、より平等で寛容な社会へとたどたどしくも前進するにつれて、男性が受け継いできた心理的なツールと肉体的なツールは不要な部分が増えているように思われる。(p.129)

     男子は、稼ぎ手になるべく育てられるだけでなく、コミュニケーション能力が低く、自分の感情と向き合うことが少ないため、アートに向いていないと思い込んでいる。男性は自分の感情は複雑ではないと思っている。彼らは予測可能な表や図を自分の逃げ場所にしたがる。人間の内面を調べるよりも、エンジンを分解した方がいいと思っている。(p.163)

     人間関係で「弱さ」はどんな働きをするだろう。それを男性に説明する場合、私は「設置面」の比喩を使う。二輪の車(バイクや自転車)に乗っているとき、私たちは二つのゴムの輪、つまり設置面に命を託している。設置面とは、タイヤが接触している部分のことだ。ゴムが柔らかかったり、タイヤの圧力が低いほど、タイヤが変形するので設置面は大きくなり、グリップ力が増す。人間関係でいうと、傷つきやすい状態とは、より多くの人と関わっていて、他の人から影響を受ける用意があるということだ。人間関係の幸福は—バイクのタイヤと同じように—接触面に依存しているのである。(p.169)

     現代的で負担を分かち合い思いやりのある男性ロールモデル。その資格を得るためには、ある程度世間から離れて家庭に入らなければならないと思う。だから、オルタナティブな男性ロールモデルは有名人ではないかもしれない。(pp.192-193)

    男性の権利
    傷ついていい権利
    弱くなる権利
    間違える権利
    直感で動く権利
    わからないと言える権利
    気まぐれでいい権利
    柔軟でいる権利
    これらを恥ずかしがらない権利(p.197)

  • 「男性性の主な要素はノスタルジーだと私は考えている。男女問わず、人間が過去を振り返るとき、そこにあるのは性への意識だ。わたしたちはの性衝動は常に何かを追い求めている気がするが、結局過去を追い求めているのだと思う。」(178頁)

    「男性の権利。傷ついていい権利。弱くなる権利。間違える権利。直感で動く権利。わからないと言える権利。気まぐれでいい権利。柔軟でいる権利。これらを恥ずかしがらない権利。」(196ー197頁)

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著者プロフィール

960年イギリス生まれ、ロンドン在住のアーティスト。現代社会におけるアイデンティティやジェンダー、社会的地位、セクシャリティ、宗教など、普遍的に人間的な主題を風刺的に扱い、陶芸作品やタペストリー、彫刻、版画といった伝統的なメディアを使って物語絵的に表現している。2003年にはターナー賞を受賞。日本では2007年に金沢21世紀美術館で個展を開催。2011年の大英博物館、2017年のサーペンタイン・ギャラリーなど個展も多数開催しているほか、作品制作のドキュメンタリーや社会問題を扱ったテレビ番組が英国アカデミー賞を受賞している。著書に『Playing to the Gallery』(Penguin, 2014)。クレアという異性装のキャラクターとしても知られる。

「2019年 『男らしさの終焉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

グレイソン・ペリーの作品

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