モビリティーズ――移動の社会学

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  • Amazon.co.jp ・本 (493ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861825286

感想・レビュー・書評

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  • <移動の社会学>

    これまでの社会科学が、空間的にもコミュニケーションの面でも非常に静的な捉え方で社会を分析してきたのに対して、移動のレンズを通して新たなパラダイムを構築しようという意欲的な本だった。

    古代からグローバルな移動や交易は存在してきたが、移動がより普遍的な意味で大きな影響を及ぼすようになってきたのは、おそらく19世紀頃からであろう。本書の前半では、このような時代のレンジのなかで、さまざまな移動のモードを一つひとつ取り上げながら、それらがもたらした社会構造や人間関係の変化を概観している。

    主には、歩くこと、鉄道、自動車、飛行機、バーチャルな移動が取り上げられている。


    <歩く>

    歩くことは、太古から当然行われてきたが、歩くことが社会の構造と関わり重要な意味を持ってきたのは、近代的な都市が形成されてきてからであるというのが、筆者の見解である。

    それまでは人々は「歩き回る」ことはなく、決まった生活圏のなかの決まったルートを往来してきたが、近代の都市が舗装道路や街灯、地図といったさまざまな仕組みを通じて、人びとが歩き回ることを可能にした。

    そして、このことはより多面的で階級やジェンダーに対して開かれた社会のあり方を最初にもたらしたと考えられる。


    <公共鉄道>

    公共鉄道は、客室と駅舎という2つの空間を通じて、より多くの人がランダムに遭遇する「平等主義的」な場を生み出した。また、公共鉄道の普及を通じて、クロック・タイムによる統一的な社会システムが国家の中にはじめて普及したという点も重要である。

    このことは、待ち合わせや定例的な会合といったかたちで、我々が人と会い、コミュニケーションをとる方法に、現代にいたるまで大きな影響を与えている。


    <自動車>

    公共交通が移動による社交の場を再構成したのに対して、自動車はよりプライベートな移動における利便性を武器に、社会の中に浸透していった。自動車による移動は公共交通と比べて高いフレキシビリティを個々人にもたらし、そのことが人に会うこと、仕事や余暇を計画することにも個人主義とその時間に合わせたタイムマネジメントを強いるようになった。

    また、自動車による移動が世界に広く浸透したことで、産業や都市システムなど現代の社会を規定する大きな要素となっている。


    <飛行機>

    続いて登場した飛行機による移動は、自動車ほど広く一般の移動に使われるものではなく、またフレキシビリティの面でも自動車よりは公共交通に近い。しかし、そのグローバルな広がりは、人間の移動のあり方をさらに土地から引き離し、都市や国家といった社会の構成要素をさらに希薄化させる効果をもたらした。

    飛行機による移動は、ナショナルな区分けではない形で新しい人口集団を生み出している。また、国際空港はその空間デザインからサービス、監視のあり方に至るまで、グローバルな都市空間のあり方を最初に体現したものであり、むしろ国際空港の姿が現実の都市に滲み出して、グローバル化する都市の形を変えつつあると言ってもよい。


    <バーチャルな移動>

    最後に、通信、コミュニケーションの技術の進展が挙げられている。これらによるバーチャルな移動、コミュニケーションが、新たな人のつながりを生み出している。しかし、筆者の分析によれば、バーチャルなコミュニケーションはその仮想の空間の中に留まることはなく、バーチャルなコミュニケーションを通じて生み出された新たな人のネットワークが新たな人の移動を生み出すことにこそ重要なポイントがあるという。

    地理的な範囲、ローカルな社会組織、それらを超えた感情の交わりによるネットワークなど、あらゆる形で人間同士のネットワークが構築され、それぞれを維持するためのさまざまなコミュニケーションがとられるようになっている。

    そして、各々のネットワーク使うのは必ずしも特定のコミュニケーションの形や移動の形に限定されるわけではない。たとえば、インターネット上のコミュニティであっても、時折空間を共有することでその緩やかな紐帯を確認する儀式が必要とされているといったことである。実は、通信技術の発展の前から様々な形でこの現象は発生しており、移動の重要性はこのような点からも改めて確認できる。


    <モビリティーズ・パラダイム>

    以上のような様々なモードにおける移動が社会に浸透し、それぞれが重層的に影響を与えている状況を概観すると、筆者の指摘する移動こそが新しい社会科学にとって重要なパラダイムを構成しているという主張も、非常に説得力があるものに思える。

    そして、この新しいモビリティーズ・パラダイムは、移動により生まれる新たな社会的関係やコミュニケーションだけでなく、さまざまな社会システムやそれがもたらす社会の構造変化も対象となっている。


    <ネットワーク資本>

    本書の後半では、この移動の重要性と社会における移動の影響を前提としながら、移動の社会学を構築していく。

    まず筆者が検討するのが、社会的不平等と移動の関係である。従来型のシチズンシップによって規定される社会的平等や、公共サービスへのアクセスだけを焦点にした検討は、移動の目的や形態、その背後にあるネットワークが重層化した現代の社会においては不十分である。

    代わりに筆者が重要視しているのが、ネットワーク資本という概念である。これは、「感情面や金銭面の利得や実益を生み出す、必ずしも近くにいない人々との社会諸関係を生み出し維持する力」と定義されている。

    ネットワーク資本の要素は、移動手段へのアクセスだけに限られるのではなく、離れたところにいる人との会合を生み出す人の繋がり、それを調整する情報端末やネットワークサービス、移動を可能にするアイデンティティ認証の具備など、幅広い要素を含んでいる。これらの有無や差異が新たな社会階層やコミュニティを形成しており、これらの状態に注目をしなければならないという。

    この議論は、移動自体の選択肢をその個人がどの程度持っているかに着目するという点で、アマルティア・センのケイパビリティの議論にも通じる視点である。


    <「人に会うこと」の重要性>

    続いて筆者は、この移動の背景にある「ネットワーク」自体についても、その捉え方を見直す必要があると述べている。具体的には、ダンカン・ワッツらが提唱している「スモール・ワールド・ネットワーク」に見られるように、ネットワークの形成は複雑系の性格を有しており、特定の集団に関するメンバーシップを以ってネットワークというのでは、現代のグローバルに広がり時に大きく拡張、変化するネットワークの実態を捉えきれないという。

    筆者はこのスモール・ワールド・ネットワークの議論をさらに進めて、これらのネットワークが形成される時には社会的にどのような行為が必要なのかということを論じている。つまり、ネットワークの紐帯を構成するものが単に「その人を知っている」ということだけなのかという点を再考している。

    筆者が導き出した結論は、「人に会う」ことの重要性である。筆者は、強い紐帯と弱い紐帯が混在しながら複雑系を形成しているネットワークのリンクを活性化するのは、定期、不定期な場所の共在を通して実現する面会であり、これこそがスモール・ワールド・ネットワークを実際のものにしていると考えている。

    グローバルに散らばる家族であっても、同業者の関係であっても、人びとは何らかの形で定期的に会うことを約束していることが多い。また、これ以外にもそこにだれが居るかは事前には分からないが多くの人が集まる会議などのイベントでの予期しない面会などが、新しい形でネットワークを活性化するということもある。

    移動の手段が複雑化し、また自動車が社会にもたらした影響に見られるように時間が断片化しパーソナライズ化した現代の状況において、これらの会合を調整することはますます難しいことになっていると筆者は述べている。しかし、それでも多くの人々はさまざまなツールを活用して時間を調整し、さまざまな形で人と会うことを続けている。そして、そのための機能として「移動」が人びとの社会的側面を規定する度合いはさらに大きくなっていると思われる。


    <モビリティーズ・パラダイムにおける「場所」の変容>
    これらの「人に会う」ことの重要性から、筆者は逆に「場所」自体も変容をしていると考えている。この変化の根底にあるのは、従来の地縁や領土といったかたちで人をその場に紐づけるための場所から、訪れる場所への変容である。そして、この変化のため、場所自体が選ばれる対象となり、そして選ばれる場所となるためのグローバルな競争が起こっていると筆者は指摘している。

    このグローバルな競争の中で、場所は「土地から景観へ」と変容し、スター建築家の建物やストーリーと紐づけられた歴史的地区、集落、自然などが、常に「上演中」の形で世界中から多くの人びとを惹きつけようとしている。このことも、移動化する社会がもたらした変化の一つであろう。


    <今後の社会の方向性>

    本書の最後に筆者は今後の社会の方向性について警鐘を鳴らしている。筆者の考えでは、移動化した社会が進んでいく先は、移動がますます大規模かつ頻繁になることからエネルギー消費が増大し、地球高熱化(地球温暖化よりも深刻な事態を表現している)により多くのネットワークやシステムが崩壊する未来か、システムとネットワークが高度化することによりすべての活動を監視・管理し、そのパノプティコンのなかで人びとが「安全管理」される世界の二つであろうと述べられている。

    いずれも明るい未来とはいいがたいが、移動のシステムがますます大規模化して我々の社会の中に組み込まれるようになると、その影響は我々自身の社会生活のあり方や社会の構造をますます規定するようになるということは事実であろう。そして、コミュニケーションの技術がそうであるように、その技術やシステムをどのように設計し管理するのかということは、社会の制度設計にも匹敵する重要性を持つようになっていると考えられる。


    <まとめ>

    原著は2007年に発行され、本書の議論の多くが21世紀初頭までの事象を対象に分析をしたものになっているが、それでもその後の移動やコミュニケーションに関わる変化の方向性をかなり的確に指摘しているように感じた。

    また、移動というものを軸に置くことで、都市や場所といった不動(あくまで物理的な位置が)のものも、コミュニケーションという非物理的なものも、一体となって変容していく姿が捉えられるということも、本書を読んで気付かされた。

    それらは移動のためのネットワーク資源というかたちで相互に繋がっており、これに注目して社会を見ていくことが重要であるということを知ることができ、新たな視野を得させてくれる本であったと思う。

  • 現代社会における「移動」の視点による社会学の重要性を極めて明快に示した著書。多様なヒト・モノ・コト(情報等)が異なる形態によって移動する現代において、「移動」の視点は多様な学問分野に示唆的な知見と言える。その視点を網羅的に記した本書は「移動」を学問的に扱ううえで極めて重要な著書である。

著者プロフィール

(John Urry)1946~2016年。ロンドン生まれ。英国の社会学者。ランカスター大学社会学科教授、英国王立芸術協会のフェローなどを務めた。21世紀における「移動」をめぐる新たな社会科学の中心的人物として、世界的に著名。
日本でも『観光のまなざし』『場所を消費する』『社会を越える社会学』『モビリティーズ』などの邦訳で広く知られ、その著作について、社会学者の北田暁大は「具体性と抽象性を往還するなかで理論が生成していく現場を読者は目撃することになる。……スリリングであると同時に論争的でもある」と評し、作家の髙村薫は「20世紀を生きた者なら誰でも身体感覚としてもっている感覚を初めて言葉にしてもらった驚き」と述べるなど、アカデミズムを超える広い読者層を獲得している。
2003~2015年、ランカスター大学に「モビリティ研究所」を設立し責任者を務めた。2015年、新たに「社会未来研究所」を設立し共同責任者となり、人生の最後の時間を“モビリティーズ・スタディーズ”の集大成としての“未来研究”にかけ、翌年の2016年に亡くなった。本書は、その最後の研究成果として結実したものである。

「2019年 『〈未来像〉の未来』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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