敗者から見た関ヶ原合戦 (新書y 173)

著者 :
  • 洋泉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862481467

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  • 慶長五年(一六〇〇年)九月一五日に天下分け目の関ヶ原の合戦になる。関ヶ原が戦場になった背景は相対立する見方がある。

    第一に大垣城に籠る石田三成らを野戦の名手の徳川家康が引きずり出したとする。
    第二に石田三成らは前もって関ヶ原を決戦場と定め、野戦築城を進めていた。ここから関ヶ原の合戦は小牧長久手の合戦のような野戦築城による長期戦になる可能性があった。

    野戦築城の中心は松尾山であった。ここは松尾山城と呼べるほど要塞化していた。松尾山城に豊臣秀頼と毛利輝元を迎えることで戦局を有利に進める計画を練っていた。野戦築城の工事は着実に進み、三成の野望は高まっていった。

    ところが、九月一四日に予期せぬ出来事が起こる。小早川秀秋が勝手に松尾山城に陣取ってしまった。秀秋の行動は三成を驚かせ、野戦築城計画に影を投げかけた。秀秋は何を考えているのか、誰に味方するつもりなのか、三成には不明であった。秀秋は家康と手を結び、裏切りの糸を紡いでいるのではないかと疑われた。

    秀秋を牽制するために西軍が関ヶ原に動き、西軍を追って東軍も動いた。東軍は既に秀秋を味方と位置付け、西軍に包囲されつつある秀秋を救援するために動いたとする説もある。

    三成にとって小早川秀秋の裏切りや毛利秀元の傍観は開戦前から予想できていた。三成としては合戦を優勢に進めることで勝ち馬に乗ってもらうしかなかった。

  • 関ヶ原の合戦において、何故この時この武将はこの行動を取ったのかということを現地調査と史料をふまえて予想、解説。主に西軍側。

著者プロフィール

歴史作家。戦国期の歴史の現場を精力的に踏査し、現場からの視点で歴史の定説を見直す作業をすすめている。主な著書に「真説・川中島合戦」「真説・千房の一族真田三代」など

「2017年 『天秀尼の生涯 豊臣家最後の姫』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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