- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784863240230
作品紹介・あらすじ
ぼくたちは、
未来に向かって
縄文の古層へ旅をする
以前から縄文文化に深い関心を寄せてきた音楽家の坂本龍一氏と、人類学者の中沢新一氏が、縄文の古層に眠る、わたしたちの精神の源泉に触れるため、聖地を巡り、語り合います。
諏訪、若狭、敦賀、奈良、紀伊田辺、鹿児島、そして青森へ―――
社会的な状況が大きく変化している現在、これからのヴィジョンを見つけるために、ふたりが人間の心の始まり「縄文」へと潜っていきます。
感想・レビュー・書評
-
人類学者の中沢新一と坂本龍一の縄文を巡る対談集。
二人の知識の多さに勉強になった。
諏訪から始まり、敦賀、奈良、山口・鹿児島、そして青森を回る。
気なったところをつらつらと書いてみる。
以下ネタバレあり。
第一章諏訪より
・アメリカの黒人の多くは実は先住民族との混血だというはなしがある。アフリカから連れてこられて奴隷にされていた人々が逃げるときに先住民族がかくまったため。
・諏訪は「生命力のある死」
・縄文の人たちは美人を見ても同時にその後ろに蛇をみる感覚を持っていた。
・宇宙は循環して元に戻っていく。螺旋のように一巡して宇宙は変わっていくが上から見ると同じところに戻ってくる。村で見ても中心墓。それは生と死を循環するという思想から来ている。いまはそれを忘れている。
第二章敦賀より
・原発なんてもん作って、ものすごくお返しをしなくてはならない。原発の前で楽しそうに海水浴している光景は異様だが、お祭りにも見える。
第三章奈良より
・この世界で貴重なものを見出すのは特別な場所ではなくて自分の身の周りという考え方がある。見慣れた風景にもまだ見たことない風景が潜んでいる。
・菌類のセックスは食べて取り込むなど35億年もの間ずっと実験してる。それに比べれば人間は保守的。
・熊楠は男と女をつなぐものとして「ふたなり」を思いつく。
第四章山口・鹿児島より
・アメリカにレイプされている。
・映画が事件を求めるのは狩猟と関係している。
・エイゼンシュテインはディズニーのバンビが嫌い。それはバンビはいいが背景の森が死んでいるから。
第五章青森より
・大昔は戦いで敵を殺すと食べていた。それはリスペクトからくる行為。動物であっても自分とイコールの存在。なぜ人肉を食うのを怖がるかというとその感覚がないから。
エピローグより
・イヌイットは冬に氷が張るとアザラシを狩って一年分備蓄していたが今では温暖化のせいでアザラシが腐っちゃう。
・農業だけが神話的なユートピアではない。
この本を読み終えると南方熊楠についてもっと知りたくなったし、読んだことないのでハイデッガーの「技術論」を読んでみたくなった。
今を知り考えるために「昔」を知ることも大事であると改めて思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もっと早くに読むべきだった。
-
「いちど人間がつくったシステムはなかなか容易に変更できないところがある」「現在の地点に一直線にきたかのような錯覚に陥る」(174頁)それならば縄文時代まで遡って遺跡を旅し、現代に至るほかの可能性が潜在的には生き続け、それを取り出すことで、世界のデッドエンドを超えてゆこうというメッセージが伝わりました。旅した期間は9.11以降、3.11以前のようです。
-
坂本龍一と中沢新一が縄文の遺跡や痕跡のあるところを巡り、対談する本。
1.諏訪
2.若狭・敦賀
3.奈良・紀伊田辺
4.山口・鹿児島
5青森
を2006年から2007年にかけて訪れる。最後の東京での対談は2009年。
「聖地巡礼」と言っても「遺跡めぐりの旅行ガイド」というものではなく、そこで見たものをきっかけに、二人が縄文の文化から、神話、音楽、日本、世界、人間について語りまくる。
最高に面白かった。二人とも何かというと脱原発論に行くところはご愛敬。
中沢新一の「アースダイバー」はとても面白かったのだけど、ちょっと妄想の暴走と分量についていけないところもあったのだけど、
この縄文の本は、お互い暴走が始まりそうになると、やんわりと話が戻って来てくれて、おかげで読みやすい。
坂本龍一がヨーロッパ的な線形の音楽ではなく、非線形の「庭のような音」を作りたいと言っていて、それが2009年の「out of noise」、2017年の「Async」につながるかと思うと興味深い。
随所に出てくるハイデガーとか難しい本を知ってると、一層楽しめるのか、それともこの本のごまかしや浅はかさが見えてくるのかな?と思うのだけど、今のところ何かというと縄文を原発反対に結び付けるところ以外は最高。 -
精神性や哲学を語っているの。旅行案内では決してない。そう思って読むとがっかりします。
-
「観光」「EV Cafe」を読了してから読むと興味深い、「中沢、坂本」が実現したら「細野、村上」は可能なのだろうか。もしくは4人で対談するとか。
-
大好きな中沢新一と坂本龍一の共演。深い知識と経験が織りなす掛け合いが最高。
-
2016/1/8
なんでだか、もう一回これを手にし、そして今度は『左うでの夢』を聴く。
心がざわつく音楽を作る人、坂本龍一。
2014/3/28
自然から奪い尽くして、辱めて、そこに原子力発電所を作った。
自然からむしったものを、私は返せるんだろうか?
いや帰すんだ。
その輪を回すために生きるんだ。
遠い、でも近い。
いろんなことが繋ぎ合わさってくる。
それが今とゆう歳の可能性。
この本を読んで、坂本龍一を知る。
戦場のメリークリスマスを聴いて、心に風が吹く。 -
中沢新一と坂本龍一が、それぞれの問題意識を胸に縄文時代の名残が残る場所を巡りながら意見交換をした対話集。
中沢新一の縄文研究というと『アースダイバー』が思い出されますが、この探訪がきっかけとなってあの作品が生み出されたそうです。
坂本龍一はNYで9.11を体験し、それがきっかけとなって縄文へと引き寄せられていったとのこと。
近代社会の崩壊を目にして、原始回帰への興味が生まれたそうです。
国家というものについて考えるために、国家が生まれる前の人間の考え方を知ろうとする旅。
言葉や文字が生まれる前の時代をたどっていく時に、頭で理解しようとしても無理なこと。
二人がそれまで培ってきた知性と感性で、縄文について感じ取っていきます。
まず向かったのは、縄文中期の中心であった諏訪。
この地域は日本に国家というものができてからも、なかなか完全には国家に属さなかったという反骨精神の旺盛な場所だそうです。
若狭が征服した側で、信州は征服された側。
征服された側の怨念は強いとのことですが、その辺りに詳しくないので、どういうことなのか気になりました。
仏教は宗教よりアートに近いという話が採り上げられます。
また、昔の貴族は温泉に入る時、天皇の許可を取らないといけなかったということを知りました。
温泉地にこもることは、死の世界からエネルギーを蓄えることとなるため、反逆の疑いを持たれれないように報告が必要だったのだそうです。
一番印象的だったのが、天皇と南方熊楠との出会いのエピソードでした。
二人は神島で会ったそうですが、お互いに歌を贈り合ったとのこと。
「本の歴史の中でも、こんなに美しい光景はないんじゃないかと思う」と言われているように、尊敬し合う二人の邂逅についてもう少し知りたいと思いました。
熊楠は常にキャラメルの箱を標本箱として利用しており、天皇に御進講した時も、キャラメルの大箱に入れて粘菌標本を進献したとのこと。
自然体です。
縄文の名残を残す土地を訪ね、過去に思いを馳せ、現在の自分たちと人間の未来について思いを巡らせる二人。
それぞれの専門領域に触れながら、漠然とした思いは着実に形をなしていきます。
二人がぴったり息があっている様子が伝わってきますが、全編を通じて、互いの意見にどちらも全く反論をしていないことに気が付きました。
そんなに言うことすべてが流れるように同調していくものなのか、編集上そうなったのか、わかりませんが、反論の上に新たな認識が生まれていく対話も知りたかったと思います。
すっかり縁がなくなったようで、しっかりとつながっている縄文時代と現在。
その道の一流の専門家でも、原点に立ち戻っていきます。
根っこを知ることの大切さを知りました。