私のおばあちゃんへ (韓国女性文学シリーズ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863854833

作品紹介・あらすじ

年老いた女になるつもりはなかった。
その日その日を生きているうちに、いまにたどり着いただけ。
いまという日は、自分とはまったく関係のない他人のものでなければならなかった。

6人の女性作家が描く“おばあちゃん”アンソロジー


おばあちゃん世代の作家オ・ジョンヒ(李箱文学賞、東仁文学賞と、韓国の二大文学賞を受賞。『鳥』で2003年ドイツのリベラトゥル賞受賞。現在は東仁文学賞の審査委員)は次のように述べている。

この小説集は、現代韓国文学の中心で熾烈な執筆活動をしている作家、六人六色の饗宴であると同時に、長い人生を送ってきたすべての「おばあちゃん」に捧げる賛歌でもある。老いていく私自身の姿や複雑な内面が見え、また、私が通過してきた道を生きている娘が、私自身が向かっている時間を生きた母親の姿がはっきりと見える。この作品集は老年に対する通念や偏見を破り、かといって下手なあきらめや和解も見られず、むしろ生の不可解さ、人間の存在の神秘さ、長い年月に堪えてきた人が放つ香りのようなものを読み手に伝える。紆余曲折と悲しみと心の傷によって、人間はかくも愛すべき存在でもあるのだということも。
(訳者あとがきより)


<あらすじ>
いつかおばあちゃんになることを夢見ていたのに「きのう見た夢」(ユン・ソンヒ)。

残されたフランスでの日記を手掛かりに孫が想像で描いたおばあちゃんの最後の恋「黒糖キャンディー」(ペク・スリン『惨憺たる光』)。

認知症になったおばあちゃんが何度も繰り返し伝えたのはトラブルの多い孫の未来のためだった「サンベッド」(カン・ファギル『別の人』)。

厳しかったおばあちゃんから遺された屋敷を処分するために久しぶりに足を運んだ私は、取り返しのつかない過去に引き戻される「偉大なる遺産」(ソン・ボミ『ヒョンナムオッパヘ』収録「異邦人」)。

女三世代で行ったテンプルステイで母の意外な一面を知り、母にだんだんと似てくる自分に気づく、ある穏やかな秋の日「十一月旅行」(チェ・ウンミ『第九の波』)。

ひとりで堅実に生きてきたはずが、いつの間にか老人だけのユニットに暮らす羽目に。二十一世紀後半の近未来を描くディストピア小説「アリアドネーの庭園」(ソン・ウォンピョン『アーモンド』『三十の反撃』)。

ミステリー、SF、ロマンス、家族ドラマなど、老いを描いた6編

感想・レビュー・書評

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  • 【試し読み】ソン・ウォンピョン「アリアドネーの庭園」(『私のおばあちゃんへ』より)|書肆侃侃房 web侃づめ|note
    https://note.com/kankanbou_e/n/nbb3034106bd0

    『私のおばあちゃんへ』ユン・ソンヒほか|韓国女性文学シリーズ|海外文学|書籍|書肆侃侃房
    http://www.kankanbou.com/books/kaigai/kankokujyosei/0483

  • おばあちゃん子の私はこのタイトルに所謂「おばあちゃん」的なものを求めて手にとった。

    おばあちゃん的なものとは、世間一般に「おばあちゃん」という呼び名から連想されるような、孫を慈しむとか、重ねた年月の数だけ刻まれた皺が人生を語るみたいな典型的おばあちゃん像。

    韓国でいう「ハルモニ(おばあちゃん)」も大体同じニュアンスだと思われる。

    しかしこのタイトルは罠だ。
    なぜなら内容が見事にこういったイメージを裏切っているから。
    「私のおばあちゃんへ」とは、懐かしいおばあちゃんの面影を求めて感傷的にこの本を選ぶ私のような人間に「おばあちゃんとは30年後のお前のことだ!」と、残酷な現実を突きつけるためにつけられためちゃめちゃ意地悪なタイトルだと思う。
    でもその効果は絶大。

    「おばあちゃん」という言葉が、いかに人間としての個を鑑みない残酷な言葉であることか。
    「子供」「若者」「お母さん」しかり。
    すべて1人の人間の通過点に過ぎないということを痛感させられる。
    「おばあちゃん」という生き物はいない。

    私自身が「孫」と「おばあちゃん」の中間の年齢であり、老いの兆しが見えはじめたこともあってか、ちょっとしんどい部分もあったが目からウロコの思いで読みました。


  • ノスタルジーを誘う「おばあちゃん」という響き。しかし大多数の女が年老いた女になるつもりなどないのに避けられない現実。

    収録短編のうち最も気に入ったのは「アリアドネーの庭園」だ。主人公の老女の視点から見る、失望に満ちた老後の人生に同情していた読者は、終盤の視点の転換に息を飲む。私はどちらの立場だろうと考えたが、どちらにもなり得るのに、双方の断絶と、横たわる分かり合えなさに茫然。その分かり合えなさを読者に分からせる構成が本当に見事で、目前に迫る現実を突き付けるディストピアSFとしても秀逸な物語。その著者が、希望を抱かせる物語として多くの人に愛される小説「アーモンド」のソン・ウォンピョンだというのに驚かされ、作家の思いがけない世界観を堪能した。

  • こんなアンソロジー読んだことない!
    『きのう見た夢』ユン・ソンヒ 最も現代的な老婦人かも。
    『黒糖キャンディー』ペク・スリン
    すてきなのにまどろっこしいようなロマンス
    ラストにしびれる、おばあちゃんの真骨頂

    『偉大なる遺産』ソン・ボミ
    この中では一番ミステリで孫娘は大事件に直面するし
    忘れてたはずの過去をつきつけられる、損な役割

    『十一月旅行』チェ・ウンミ 『第九の波』の著者
    まるで嗅覚を働かせて読むような短編だった

    『アリアドネーの庭園』ソン・ウォンピョンは『アーモンド』の著者 こんなに怖い近未来SFをかく人だったとは!これは既に現実となっている

    おばあちゃんを安易なカテゴリ化して描くのはもう止めてほしいと思った
    作家のみなさん、[おばあちゃん]は金脈ですよ
    私の来し方行く末を考えて読んだ

    普通の人生を生きてるように見せて全然違う老婦人たちの物語だった

    中の挿絵が良かった、でも表紙はちょっと合わないかなぁと思う

  • 六人の女性作家が「私のおばあちゃん」を描く。自分の将来の姿や娘の目を通した姿など、年を取るってどんなことなのかを垣間見せる。나의 할머니에게(私のおばあちゃんへ)

  • 自分の祖母のこと、母の老いのこと、祖母と母の違うところ、自分の近い将来などに思いを馳せながら読んだ。特に後半の四篇はそれぞれに余韻とインパクトがあった。

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著者プロフィール

1973年生まれ。1999、東亜日報新春文藝に短編小説「レゴでつくった家」が当選する。短編集に『レゴでつくった家』『そこに、あなた?』『風邪』『笑うあいだ』『枕をする』『日々、エイプリルフール』、中編小説に『やさしい人』、長編小説に『見物人たち』などがある。

「2021年 『私のおばあちゃんへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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