- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784863855830
作品紹介・あらすじ
我妻俊樹と平岡直子が対談形式で送る、
ストレンジャー(よそ者)のための短歌入門。
<扱われるテーマ>
「最初の一首」のつくりかた/スランプののりこえ方/口語と文語
連作のつくりかた/いい批評とは何か/破調/学生短歌会/新人賞
同人誌と歌集/「人生派」と「言葉派」/信頼できない語り手/作中主体とは何か/テーマ詠の難しさ
感想・レビュー・書評
-
この本は決して凄くわかりやすくはないけれど、短歌に入門したばかりの私(もう8カ月たっていますが)にはちょうどいい内容の対談集でした。
私も短歌は最初が一番たくさんできて、その後は題詠の方がやりやすくなったというのは同じでした。
自分のことを書かないのと虚構を書くのは全然違うこと。
穂村弘さんの『短歌という爆弾』から「砂時計のクビレ」という言葉を取り上げていらっしゃいますが、全然覚えていないので再読しようと思いました。
「なんとなく上手い歌」がなにをやってるのかがわかるようになったと平岡さんがおっしゃっていますが、私が一番知りたかったのは「そこ」なんです。
わからない歌にはどうしてわからないのかはわかる歌とどうしてわからないのかもわからない歌があるともおっしゃっています。
短歌は詠むだけではダメで読めないと、詠めないんですね。
繰り返し読んで勉強したい「その」「わからない所」をくわしく語っている本です。
平岡さんと我妻さんの歌も最後にニ十首ずつ載っていますがお二人の歌も私にはわからない歌です。
この本を読み込んで勉強すれば、もしかしたら自分にも人に「わからない」と思われる歌が詠めるようになるかもしれないと思いました。
最後に平岡直子さんの歌で一番、有名と思われるものを載せておきます。
<三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった>
<心臓と心のあいだにいるはつかねずみがおもしろいほどすぐ死ぬ>
この歌の意味がすぐにわかったとおっしゃる方は、かなりの短歌ファンだと思います。 -
歌人ふたりが短歌を作ることと読むことについて徹底的に語り合った対談集。
まえがきの〆に書かれた「定型とは言葉を抑圧する仕組みである一方で、どんな言葉にも居場所をあたえる大義名分でもある」がこの本全体の要約になっていると思う。なぜ短歌なのか、短歌でできること、短歌にしかできないこととは何なのか。
この二人の実作を知らないので(巻末の二十首はもちろん先に目を通した)第一章は少し話が見えづらいところもあったけれど、やはり作るにしても批評するにしても穂村弘の影響から逃れられない世代の話が共感できた。読者としても新世代の人の歌集を読んでいて常に穂村さんの影がちらつくのはいかんともしがたい。ニューウェーブ短歌の「ステキ」な語彙とある種の限界の話も興味深かったし、もっと掘り下げてほしかった。
一首鑑賞を通じてどんなふうに読む人たちなのかがわかったところでの第二章以降は、短歌に限らず己と言葉との距離、あるいは世界と言葉と自分との距離の話として二人の会話にとても入り込んで読めた。定型というのは言葉と、そしてそこに込めているつもりの思考を自分から切り離して見るための手段だろう。「歌で起きてることのすべてに作者が気づいているわけじゃない」というのはどんな創作物にも当てはまり、だからこそ批評の仕事がある。読むというのはそれだけで一つの翻訳作業、だけれども「入れ替えられてしまう中身の外側に、しぶとく生き延びていく容れ物があるはずだ」。短歌という詩形そのものがこの「生き延びていく容れ物」なのだと思う。 -
人生を読むのか言葉を読むのか。
作者はもちろん短歌を詠むのだけれど、半分"短歌自体"が詠んでいるような歌に魅力を感じる。
強烈なストレンジャー意識を忘れたくない -
※本稿は、「北海道新聞」日曜版2024年1月21日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。
・真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは
宇都宮敦
二歌人の対談による短歌入門書が話題になっている。一人は、1968年生まれで怪談作家でもある我妻【あがつま】俊樹。もう一人は、84年生まれで川柳作家でもある平岡直子。両者とも短歌結社には属さず、同人誌活動などで読者と交流しているという。
最前線で活躍する二人が語るこの入門書には、2000年代の短歌が多数引用されている。それらを見ると、もはや短歌は口語がスタンダードであり、文語と歴史的仮名遣いの短歌は少数派であることも実感できる。
正直、近年の口語短歌には意味のとれないものも少なくないのだが、その要因が的確に解説されていて腑に落ちた。曰く、意味のとりやすい従来的な短歌は「人生派」で、その対極ともいえる「言葉派」の短歌が、若い世代の支持を集めているらしいのだ。
歌の中の「私」が作者の実人生と重なるものが「人生派」。対して、歌の中に「私」はほぼ現れず、言葉で共感させるのが「言葉派」。作者の属性や経験よりも、意外性ある語の組み合わせや巧みな比喩による言葉派短歌は、なるほど大喜利のようで受けるのだろう。
掲出歌のような「三分割の歌」も増えているそうだ。「真夜中のバドミントンが」「つづかないのは」「月が暗いせいではないね」という散文的な表現を倒置させ、目を引く歌に仕上げている。
近代短歌以来の上の句と下の句という二分割構造が、明らかに変化しているということだろう。刺激的な話題でもある。
(2024年1月21日掲載) -
二人の歌人が短歌の制作に関するさまざまを対談形式で解説していく。実際の創作から選評など活躍する歌人ならではのアプローチは面白い。
-
入門というタイトルだけども、文中にあるように短歌を始めてちょっとして、壁にあたった段階の人を対象にしているので新鮮。わたしにはちょうど良かった。
なんとなくモヤモヤそういうものかな?と思っていたことをほどいていってもらえて、すごく霧が晴れた。
-
葛原妙子の短歌が好きなのだが、理由がわかったように思う。「視界の違和感によってレンズの存在に気付かされる」とあるが、まさにその視差によって得られる酩酊感に酔っているようだ。葛原妙子歌集をもう一度読み返してみたくなった。
それ以外にも二人の短歌のエッセンスが詰まっていて大変興味深く読んだ。穂村弘の短歌論に対してもう少し斜めの切り口から見てみたい人におすすめしたい。
この本、私も目をつけてました!
もう読まれたのですね。
まだ買ってないけど、早く読みたいです♪
平岡さんの三越の...
この本、私も目をつけてました!
もう読まれたのですね。
まだ買ってないけど、早く読みたいです♪
平岡さんの三越のライオンの歌、有名ですね。
どなたかの解釈を読んだ気がしますが忘れました。笑
悲しいだった、という文法的に間違っている文章がインパクトあって忘れられない歌です。
こういう歌ってミステリアスで面白いです。
私も、短歌が上手く読めないので、読めるようになりたいです。
やっぱり、目をつけられていましたか!
『推し短歌入門』はまだ、読めてないんですが、こちらは、買って読んで本当に...
やっぱり、目をつけられていましたか!
『推し短歌入門』はまだ、読めてないんですが、こちらは、買って読んで本当によかったと思う本でした。
入門とは言っても、ちょっと難しいくらいに、感じられたのが、私はちょうどよかったです。
平岡さんの三越のライオンの歌は、確か、穂村さんが、『短歌のガチャポン』で、解釈されていたような気がします。
5552さんが、この本のどの辺に目をつけられて、レビューされるかも楽しみにしています。