- Amazon.co.jp ・本 (249ページ)
- / ISBN・EAN: 9784864881111
感想・レビュー・書評
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タイトルに負けた。
タイトルだけで読みたくなってしまう本がたまにあるが、まさにこれがそれ。
平田俊子さんのお名前は聞いたことがあったが、読んだことはなかった。
低反発枕も枕草子もみんな知ってるのに、なぜ今まで結びつけた人がいなかったんだろうか。
しかも、ただの言葉遊びにとどまらず、枕草子の観察力と知性とユーモア、そして清少納言のいけずな性格と比べたら、私はそれほどではありませんよ、というようなメッセージまで伝わるではないか。
岸本佐知子さんのようなぶっ飛んだエッセイかと思って読み始めたら、意外に普通で、なんだそうでもないじゃん、と思ったのだが、だんだんじわじわと効いてきて、真ん中頃にはいやぁ、この方かなり好きだわ、と思うに至った。
優しさと意地悪さ、センスとナンセンスのバランスがいいというか。
自分が教えている大学のキャンパスに馬がいるのに驚くのは普通だが「ちゃんと入試を受けて学生になった馬なのか。」(p141)とか、25年前に死んだ飼い猫のことを思い出し、「五年とちょっとしか生きられなかった。生きていたら今年で三十歳だ。猫の寿命は長くて二十年ほどらしいから、生きていたとしても死んでいるだろう。」(p164)とか、書けるものではない。生きていたとしても死んでいるなんて、内田百けん(門がまえに月)みたい。
高級チョコレートをもらって食べたら大変おいしい。「この人との仕事は頑張ろう。」って、なかなか素直に書けない。普通は。そして「おいしいものの欠点は、すぐなくなってしまうことである。」(p219)。「なくなる」でなくて「なくなってしまう」というところが上手い。
平田俊子さん、また読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルが気になって読んでみた。
ゆるい日常の「枕草子」でもあり
世の中にちょっと「低反発」した随筆でもあり。
高村光太郎の足跡を訪ねる旅と
その想いを綴ったところがいいなぁ。
古式ゆかしき、昔ながらの聖地巡礼ですね。 -
「低反発枕なるものが現れた時には驚いた。ついに枕が人類に反旗を翻す時が来たらしい。」淡々と綴られる文のおかしみ。落ち着いた文章とユーモアがものすごく好み。文中に、言葉を仕事にしている人ならではの単語や表現がふと出てきてハッとする。
Marumanのスケッチブックのような色の装丁もよい。 -
2020年7月24日
おもしろいものもあるけど、少し鼻につくのもある。ちょっと無理矢理じゃない?って思う題材がちらっとあった。著者の感性に私が嫉妬しているだけかもしれない。
講義に向かう小心なところとか、夏休み前のときめき、終わりのやるせなさはとっても共感できた。
謙虚な言い回しが心地よい。
8年前と違い、鬼籍の人が増えたことは、私の身近なことと重なり、自分をゆっくり考えた
87才のお母さんの荷物は微笑ましい。
著者は詩人とわかったので、詩も読んでみたい。 -
詩人で、小説なども書く著者によるエッセイ集。
すでに還暦を超えているわりに、著者の文章はすこぶる若々しい。30代だと言われても信じられる感じ。
詩人ならではの鋭敏・繊細な言語感覚が随所で光る、楽しいユーモア・エッセイである。タイトルからして面白い。
歌人の穂村弘や翻訳家の岸本佐知子など、著者よりやや若いユーモア・エッセイの書き手と比べると、「妄想力」がいま一つというか、ぶっ飛んだ感覚はあまりない。
が、どうということのない四季折々の日常を、読者が愉しめるエッセイに仕立て上げるテクニックは、端倪すべからざるものだ。
それこそ、日本の随筆の原点たる『枕草子』を、21世紀に移植したような趣。爆笑ではなく微苦笑を誘う上品で淡いユーモアが、全編に横溢している。
どことなく『枕草子』っぽい一節を、例として引いておく。
〝夏の間は見るのも嫌だった毛布が、恋しくてたまらない季節になった。この世に毛布があってよかった。毛布なしでは生きていけない。毎晩ベッドに入るたびにそう思う。夏の間親しかったタオルケットのことは、とうに忘却のかなたである。今にして思えばあいつは軽くて薄っぺらなヤツだった。温もりを知らないヤツだった。
毛布は違う。温もりだけから出来ている。どこをいつ触っても温かい。機嫌が悪くてきょうは冷たいなんてことはない。〟 -
914.6
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わたしも人類に低反発する心を忘れないでいよう。
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狙った感じでなく、きちんとオチもつけていてうまいなぁと思わせるエッセイ。