みんなの「わがまま」入門

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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865282306

感想・レビュー・書評

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  • 『不平や不満を訴えることは、私たちの社会において、苦しみや痛みを一方的にだれかに押し付けないために、絶対必要なものです。』

    「わがまま」をキーワードに、社会運動をわかりやすく書いている。
    面白いのは、著者自身が社会運動をずっと近くで見ていながら、参加することはためらう、と言っていること。
    その立場からなので、様々なことをおかしいと思いつつもなかなか行動できない身にも、責められているような気にならずに読めた。
    中学生くらいから大人まで、ぜひ読んでみてほしい。

  • 個人の要望や不満は「わがまま」と言われることがある。でも、案外口に出してみると、みんなも思っているけど口に出せなかったことかもしれない

    #清田隆之 さんがSPBSで主催する

    #やさしいはつくれる? というワークショップに参加しました

    その中で著者の富永京子さんの「自己責任にせず個人的な問題を社会につなげていく」という講義に参加しました。

    富永さんの講義はとてもわかりやすい。“わがまま”は社会の中での不安に対する意見である。自分の不満なんて・・・という控えめなコメントにも、きっぱりと答えてくれる。誰かに話すと「それな!」って同意してくれる人けっこういるから!って。

    恥ずかしいとか、私なんて・・・とか、自己責任とか、そーゆーことじゃなくてさ、もっと身の回りの「え?」って思ったことを挙げていこうよ。それが社会運動の始まりだよ!と力強く背中を叩いてくれる。とはいえ、デモとか恥ずかしいしー私よりも困ってる人たくさんいるしーなんかいい子ぶりっ子みたいでイヤだなー少しすれば嵐はおさまるしーそれまで我慢すればよくない?と思ってしまいがちだ。

    それの爆発した進化系が「保育園落ちた日本死ね」だ。

    あのひとことで、たくさんの人が考え、動かざるを得ない社会の空気になった。たぶん言った人だってそこまでになると思ってなかったと思う。でも、やっぱり声をあげてくれたことで「そう!それな!」って思った人はかなりいたはず。

    小さなことでもいいから、声をあげてみようよ。で、聞こえたら「それな!」って言ってみようよ。社会はたぶん変わる。もともと形のないものなんだし。
    そんなことを、学生さんにもわかるように書いてくれてる。自分だったら?どんなことがあるかな。ワークもあって、考えるきっかけになるかな。

  • 社会学(この分野を社会学と呼んでいいのだろうか?)について,また「民主主義」を学ぶ導入として紹介していただいた本でした。

    読みやすさしか勝たん。ということで激読みやす本でした。

    世間で何かにつけて声をあげている方,それに対してディスる方,どちらが正しいのか...。なんてことをよく考えたりするのですが,正解は極めて少ない模様。
    主観的でも声を上げることによってきっかけをつくる。それ自体是非を問われるものではなく,あげられた対象について話し合う過程がミンシュシュギってやつなのかぁと思ったり。

    学校現場で生徒みんなわがまま言い出したら困るな〜とも思いました。
    しかし,わがままを納得できないということはどこかシステムエラーが起こっているということなのか。現代の学校現場での諸問題が続出しているということはやはり過渡期だということなのか。
    ただそれはよりよくしていくために必要な道筋なのだろう。

    「わがまま」言いたくなってきました。

  • すごく納得性が高くてスラスラ読めた本だった
    カテゴライズしてしまうとか、自分の常識で考えてしまうとかはすごく心当たりあるし、それを自分が中学生/高校生の頃から考えられてたらなと思う
    わがままっていう言葉自体があまり良くないようにも感じる
    自分の思いを伝えることは悪いことじゃないんだと思った

  • 社会運動ってワードから
    なかなか離れなくて
    途中で読むのをやめた。
    もっと身近なわがままについて
    知りたくて読んだけど、
    デモみたいな話ばっかりにしか
    受け取れなかった。

  • 長々と印象に残った箇所をメモしているうちに変なところを押して、白紙に戻ってしまいショックを受けている。保存機能付けてくれ、ブクログさん…。泣

    ともあれ、本冊は★2の箇所と★4の箇所が個人的にはあったので、均して3。
    中高生にも読めるようわかりやすく説明されているのだけど、そのわかりやすさの追求ゆえに、言葉選びがわかりづらい時が度々あった印象。

    例えば、わがままは自己チューではないという前提を最初に説明するわけだけど、読者の私はやっぱり日常で登場する意味での「わがまま」を想像してしまうので、読み進めづらく感じてしまった。
    また、「かわいそうな人がわかりづらい」という項では、どうしても他者がそのひとの物差しで勝手に測る「かわいそう」という言葉が苦手だった。誰かの苦しみの背景が「女性だから」「年少者だから」に繋がったとしても私は「かわいそう」という言葉は使いたくないな、と思ってしまった。
    だけどその一方で、この私のモヤモヤこそが社会学の研究の自分のテーマになり得るんだろうな、と思うと面白かった。


    以下、自分用メモ⇓
    P.110-
    社会がどれくらい変わったのかを実感するために、20年前と今を比べてみましょう。(略)
    ①テーマを決める。「家族」「会社」「友達関係」「部活」など…
    ②そのテーマに則して、20年前の雑誌、漫画、CM、ドラマ、小説、映画、曲の歌詞など、好きなものをピックアップして見てみる。…
    ③20年前のものと今のものを比較して、変化が見られるところ、違和感があったところを書き出してみて、だれかに話してみる。


    P.131-
    たとえば「国民なめんな」というプラカードを掲げて行進する人々をみて、「何を言っているのかわからないし迷惑だ」という気持ちになるのはわからなくもありません。私が友だちと話していても、なんでデモって「ああいう感じ」なの?もっとマイルドな表現じゃいけないの?と言われることもけっこうあります。(略)
    まず、デモの場で人々は「激しい言葉しか使えない」可能性があります。なんで政治家との交渉とか選挙での投票じゃなくてデモをやっているのかというと、それまで冷静に話しても聞いてもらえなかったからですよね。(略)
    もうひとつは「説明してよ」と言われても、うまく伝えられない怒りを表している場合。社会的に弱い立場になればなるほど、勉強の機会が与えられなかったり、理論立てて説明ができないがゆえに、整理された言葉がつかえず、過激な表現を使わざるをえない。
    これはフェミニズムの文脈では「トーンポリシング」と言われる行為と関連しています。デモをやっている人や過激な主張をしている人に、「わかりやすく説明してください」って言っちゃうことが、私もよくありました。でもわかりやすく説明することそのものが、ある種すごく限られた人、今の社会で「賢い」と評価される人の好きなんです。


    P.144-
    自分のいるコミュニティにしか通じない言葉を使うのをやめないと…、と思っていても、そもそも自分と違う人と対話するチャンスがないのでは「わがまま」以前の問題になってしまいますよね。そこで「イベント」を大事にしてほしいなと考えています。(略)
    たとえば最初は「人種団体」と名乗っていても、女性も男性も少数民族もLGBTも、それぞれの指す「人権」の内容は違うわけで、そうなると変えるべき法律も要求される知識も違ってくる。だからその人権団体も専門へと分かれざるをえないのは当たり前なんだけど、専門の間のつながりが弱くなってきちゃうんですよね。(略)
    こうして専門に分かれた多様なテーマの運動家たちが集まる場となったのが、「反グローバリゼーション運動」と呼ばれる社会運動でした。(略)この運動では、途上国で生きる貧困層の人々の生活をなんとかしたい人も、経済政策に関心のある人も同じ場所に集まり交流することができた。専門に分かれてばらばらになってしまったみんなが集まれる機会をつくったことが重要でした。


    P.160-
    もうひとつお伝えしたいことは、私たちはだいたい偏っているから、何もしないのが「中立」ではないということです。たとえば、選挙で投票する際に参考にできるツールのひとつに、各新聞社が提供している「ボートマッチ」というサービスがあります。(略)これも学生さんたちに勧めると、「でも、特定の企業や組織が提供しているものでしょう。偏っていないんですか?」と言われたりします。この質問自体が、「中立」への強い欲求を反映していることがわかるでしょう。でも、そんなものどこにもないってこともまた、十分わかってもらえると思います。(略)
    自分なりの正しさを組み上げるためのひとつのステップとして、多様な人々に会ったり、今まで知り合ったりした人々の他の面を知ってみながら、「正解がない」という事実に、まずは慣れてみましょう。


    P.166-
    とにかく、私たちは「ふつう」がどこにもないにもかかわらず、何かその集団なりの「ふつう」を求めようとしがちです。(略)
    だいたいこういう人だったらこういう話題を出せばいいかな、というイメージを持ってしまうことは、私もよくあります。18歳の学生にだったら、受験の話とか部活やサークルの話とかのほうが身近に感じてもらえるだろうし、逆に政治や信仰の話をすると身近じゃないかなとか思ってしまう。ただ、それも一種のレッテル貼りですよね。


    P.190-
    化粧品に関しても「肌の色」に関する議論はつきもので、日本だとよく「美白」や「ホワイトニング」という言葉が使われたりします。これもやっぱり国際的には差別にあたってしまうのであまりよくないと言われています。
    肌の色に関する表現が問題となっていることが私が知ったのは、ある海外の美容系YouTuberのお話でした。この方が動画で「日本のコスメ業界ではまだ”美白”という言葉が通用しますが、世界のコスメ業界はもう”美白”という言葉をあんまり使わない。その言葉にはレイシズム的なニュアンスが入っている」というお話をされていて、なるほど…と感じました。

    P.197-
    「好きなものを好きって言う」「自分が関心のあることを言葉にする」っていうのは、「わがまま」を言うための土台づくりにちゃんとなると思います。


    P.202-
    社会運動をする人たちは、化粧品も自分でつくることがあります。既存のメーカーの商品は自分の肌に合わない、何が入っているのかよくわからないといった理由で、天然の素材を用いて自分で化粧品をつくる活動もあるのです。(略)1968年に地婦連という団体が、既存のメーカーの化粧品は高額すぎると、100円の「ちふれ化粧品」を売り出したのです。(略)
    こういう活動は「わがまま」ではないんじゃないか、自分たちで解決してしまっているわけだから、「がまん」の一環なのかもしれないと思う人もいるかもしれません。ですが、こうした「代わりのものを自分でつくってみる」という試みが注目されることで、普段から私たちが使っているものやサービスはじつはこういう問題があったんだ、と知らせるきっかけになったりもします。


    P.213-
    私の周りにも、安保法案に対する抗議行動をしていた院生がいました。その学生は、安保法案の問題点をひとりでも多くの人に伝えるために、パンフレットをつくって人に渡したり、デモをしたり、安保法案の問題を考えるために学習会を開いたりとすごく頑張っていた。(略)そういうこともあってか、2015年に安保法案が成立してしまったときに、めちゃくちゃ落胆してしまっていた。(略)
    「わがまま」を言い続けるというのは、大変なことです。この本で何度も繰り返したとおり、「わがまま」を言うだけで「あいつ変わってる」「なんか近寄りがたいな」という社会では、それをし続けることも大変だし、言えば言うほど、自分で設定した「正しさ」のなかでがんじがらめになってしまうこともあるでしょう。(略)
    うまくいくまでやる必要はないし、それを自分がやる必要はないんです。(略)だたひとりの「わがまま」、ただひとつの社会運動だけで、そんなにやすやすと社会は変わらないのです。学習会を開いて、デモや集会をやって、それがマスメディアを通じて報道されて、多くの人がその問題について知ることができて、さらに他の人たちが企業をしたり、政治家に提案をしたりして、そうこうしているうちに人々の意識も変わってきて、社会は何年もかけて変わっていくのです。(略)
    自分を含めた社会の状況をよくするためなのに、あなた自身がつらかったり、疲れ果ててしまっては元も子もありません。


    P.248
    社会問題の被害に遭っていない人が声を上げることには、さらに具体的なメリットがあります。それは、いろんな人が「わがまま」を言うことによって、被害に遭った「当事者」がわかりにくくなるということです。(略)
    このような事例は他にもたくさんありますが、近年のものだと、雑誌『週刊SPA!』に対する大学生の抗議運動がそれにあたるでしょう。これは『週刊SPA!』が「ヤレる女子大学生RANKING」というタイトルで、いわゆる性的な関係に持ち込みやすい女性の特徴を男性目線からランキングづけした記事に対する抗議行動でした。(略)
    抗議行動の代表となっている女性は「ヤレる」と称された、誹謗中傷された大学に所属している女性ではありません。しかし、実際にランキングに名前が書かれている大学の学生が立ち上がれば、心ない人々にそういう目で見られてしまう可能性がなくもない。だからこそ、よそ者だと言われても、立ち上がることは大事なのです。


    こう、改めて記録を残すために読み返すと勉強になる箇所が多くある。
    あとは内容以外にも、本冊で紹介される書籍がためになりそうで、そこも良かったです。読みたいリストにたくさん入れました。

  • あとがきの言葉使いに 作者の感情がすごく籠もった言葉の連続に、作者が渾身の思いを込めて書いた一冊なのだと感じた。
    学者の研究にまつわる本としては私情が挟まりすぎているのかもしれないが、それも「わがまま」として許容したいと思った
    すごく沢山の高校生や中学生に届いてほしいなあ、、




    社会運動をする意味
    →世の中を変えることが出来なくても、自分自身を変えることは出来る
    フェミニズムの運動に参加して、政策が変わらなかったとしても、男女平等という考え方を知ることで、その人が生きやすくなることがある

    活動に参加することが継続できなくても、一度参加することで視野が広がる

    犯罪者にも背景があり、自分がいつ犯罪者になってもおかしくないと、知ることが大切
    過ちを犯すことを非難するばかりでは、過ちを恐れてだれも何も出来ない

    スティグマ(烙印)は実は、私自身が私に押しているものだった
    私はこんな人間だから こう捉えられる人間だからと自分で自分をカテゴライズしてしまっていた
    まずは、自分のカテゴライズと烙印を取り払う。私は自由だと思ってみようと思います

    そもそも人間は違いすぎている
    だからコミュニケーションしやすくするために、カテゴライズして共通言語を見つけようとする
    すると、今度はその共通言語を話していた人以外を敵に思ってしまう

  • 社会に対して声を上げること(社会運動)を「わがまま」と表現し、忌避される理由、意義、やり方を説く。
    今の若者に伝わることを意識して書かれているのが特徴的。言葉の言い換えも多用しわかりやすい。
    さあ、わがままを言いおせっかいをしよう。

  • これは中高生向けに書かれた本だが、大人の私にもかなり学びがたくさんある本だった。
    とくにぐっときたのはこのあたり。

    多様化したことで、簡単に痛みをわかちあえない、
    提案なら良いけど批判だけならダメという考えが強い国民性がある、
    中立や隔たりにこだわりすぎない(どんな人も自分の観点から物事を切り取って解釈しているにすぎない)、
    自分や私の人をカテゴライズしすぎない、
    初志貫徹にこだわらなくても良い(興味を持った社会問題にずっと関わり続けなくても変わっても良い)、

    途中エクササイズが入っていて、それもわかりやすかった。
    確かに、10年前の働きマンとか読むと、少しずつ社会が変化しているのがわかる。
    この本に紹介されていた「レッド」も面白い!

  • ふつう幻想
    いつの間にか多数派に合わせた社会
    「わがまま」の言いにくさ。

    今の私にとって心が楽になる言葉がたくさんあった。

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著者プロフィール

富永京子(とみなが・きょうこ) 立命館大学産業社会学部准教授。専門は社会運動論。近年の研究テーマは、現代日本の社会運動がもつ文化的側面に関する研究、戦後若者文化における社会的権利要求への揶揄・攻撃・冷笑の研究。著書に『みんなの「わがまま」入門』(左右社、2019年)、『社会運動と若者―日常と出来事を往還する政治』(ナカニシヤ出版、2017年)など。

「2022年 『自由に生きるための知性とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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