出来事と写真

  • 赤々舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865410396

作品紹介・あらすじ

二〇〇三年に陸前高田で撮られたこの一枚のスナップ写真は、東日本大震災によって、その意味を大きく変えることとなった。人の力の及ばない出来事に、写真家はどのように巻き込まれ、未来にどのような希望を見出したのか。

感想・レビュー・書評

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  • 震災と写真については、多くが語られ、また多くは語ることすら危ういという判断のもと沈黙されている。しかし、その語る(もしくは語らない)本人は一体どの位置・立場から語る(語らない)のかということがこんなにもナイーブな問題となる経験をおそらくわたしたちはしてこなかった。

    震災というひとつの出来事が、個々人の立ち位置を明確化し、発言や身振りのひとつひとつを地理化して対象との距離を推し量るような環境を作ることになったのは、そのエネルギーや被害のような、単純な量に還元できる話ではない。

    畠山直哉は陸前高田で生まれ育ち、震災で実家、家族を失ったということがこの話の中で語られている。そして写真家であることは、本を手にする者は既知のことであるだろう。つまり、畠山の立場は、「表現者としての個人」と「被災者としての個人」の間に身を置きながら、その距離をときに縮め、ときに対照化して話し始めるのだが、どちらか一方によることもなく語られており、その語りは冷たい熱を帯びている。

    ーーーーーーー

    災害と写真という意味ではわれわれも似たような境遇なのかもしれない。ぼくが石巻の出身で、北上川沿いの町に実家があるといったらどうだろうか。そして今に至るまでずっと写真を撮り続けている立場として、この本の話には自分とどうしても重ねてしまうところがあったということも含めて、正当な評価はできるのだろうか。

    震災時は都内で仕事をしており、自身の直後もテレビを見ることはできなかった。どうせいつもの地震だろうという感覚があり、無視していたものの本当に恐怖が襲ってきたのは津波で破壊されていく映像でもなく、繰り返されるニュース、CMでもなく、連絡がつかなくなってから3日目の、生存可能性が極端に下がる時間を過ぎ始めたころからだった。その後、結局は皆無事だったのだが、ではこのときの「皆」とはだれなのだろうかと今でも考えるとぞっとする。

    この本の中でも「時間」については語られている。写真は「未来」に向けて開かれていることを語る箇所は、ほんとうに力強い。ぼくが震災で思い知らされたのは「イメージに力はない」ということだった。だからこそ、ここでの写真イメージは潜勢力として未来に賭けられているのかもしれない。

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    単純な忙しさによって妨げられていただけなのだが、震災後4年してようやく実家の風景を見に行った。その際に非常に複雑な感情として受け取ったのが、美しいということだった。これは非常に危険な言葉であるため、ひとを不快にさせる可能性もはらんでいる。が、あえてここでこの言葉を使うのは、当事者意識からでもなく、傍観者としてでもなく、感情としてなのだ。

    この本の中でも「美しさ」という言葉が頻回に語られている。それを話すこと、そして出版するということを選択した畠山直哉、大竹昭子の覚悟はすさまじいと思う。リスクを回避する世の中で、このような本を出すことは、それなりの覚悟だということを、これは読者側が感じなければいけないのじゃないかな、と思ったりするのだが、それはまた別の話し。読む個人の感情までは、コントロールできない。あとは読んでみてください。としか今のところは言えない。

    ぼくは写真表現として、震災直後の写真は撮れなかったし無理してでも撮ろうということは避けてしまった。畠山直哉は震災前から陸山高田を撮っていて、その後も撮っているという。では表現として、どういう表現が可能なのかということも、ここでは語られている。答えらしい答えではないが、ここでも距離を取りながら語られている。

    表現として、ということは難しい。答えはたぶんない。そういうものは時間をおいてふっとと現れる類いのものだ。そういう期待とともに読むことは楽しいし、文章からは暗く感じるかもしれないが、読んでいて非常に「楽しい」本です。

  • “僕は芸術とか文学とかデザインとか、まあそういう心を扱う表現活動というのは、そういう「体験しないやつにはわからないよ」っていうような気持ちがもっているほんとうにさびしいニュアンスを超えるための方法をつくっていくことだと思うんだよね。”(p.212)

  • 写真

  • 東日本大震災をきっかけに出来事と写真の関係を考察した。311の津波で畠山氏は故郷陸前高田の風景と家と母親を失う。以後「出来事」を撮ることが必然となった。震災が彼の写真のスタイルを変えた。写真とは何かという問いがつねに頭の中にあった。問いの中に真実があるとしたら、今を生きる私たちの疑問を現実に即して引き出すのに、写真ほど相応しいものはない。写真に倫理はない。写真が内包する時間。写真は詩。今の時代、写真が撮れるだけでは意味がない。写真家として生きていきたいなら写真以外の何かを身につけなければいけない。

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著者プロフィール

1958年陸前高田市生まれ。筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了。1997年木村伊兵衛賞受賞。著書に『Underground』(メディアファクトリー)、『話す写真』(小学館)など。

「2015年 『陸前高田 2011‐2014』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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