- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784866240848
作品紹介・あらすじ
東南アジアの狩猟採集民(森の民)を研究している人類学者と言語学者。森の民とともに暮らして得た知見を語り尽くす。性別役割分業や、「持たない」ことが基本原理であることなど、閉塞した日本社会を打破するヒントがここに。
感想・レビュー・書評
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自分の中で言語化されていなかったモヤがいくつか書かれていて、少しだけ落ち着いた。
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同調してほしい人と会話をしていてよく変な空気になるのはパースペクティヴってしまう癖があるからやなと自覚しました。
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誤植が複数箇所あり、とてもテンションが下がる。きちんと校閲されていないのかな、適当に作られた書物なのかなとがっかり。
内容も、対談なのでそこまで深くはない。
「文化人類学者がフィールドで出会った所謂『未開の民』から現代日本人は何を学べるか」という問い自体はあらゆる文化人類学本で使い古されたテーマがあり、本書は「ofの人類学からwithの人類学へ」を提唱しているが取り立てて新しい視点だとは感じられなかった。
ただ、「あわい」で生きる=森の民といる時の自分と日本社会で生きる自分を明確に区別せず、自分の多層性だというふうに捉える
というのは共感する。
私も中国にいる時と日本にいる時では振る舞い方が多分結構違うと思うけどどちらも自分自身だとおもっている。
ていうか、文化人類学者もみんなそう思ってるんじゃないのか?
あとは、奥野さんの「他者のパースペクティブから世界を見る」の論考は面白かった。
パースペクティビズムは本来捕食者と被捕食者の「眼」の奪い合いであり、生態的課題を達成するための実用的パースペクティビズムであるという指摘は大変興味深い。
「他者の視点に立ってものを考えよう」などと言うとこれまた説教くさくなるが、「それは生き残るための生態的戦略だった」と言われるととてもしっくりくるし生き物にとって重要な考え方なんだな!と素直に思える。 -
『ありがとうもごめんなさいもいらない
森の民と暮らして人類学者が考えたこと』
の 奥野克巳さん と
『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から
言語学者が教わったこと』
の伊藤雄馬さん との 対談集
このお二人の ぶっつけ対談が
面白くないわけがない
わたしたちが 暮らしている
この世界だけが スタンダードではない
ことを 気持ちよく 思い知らされる